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『小さい魔女』の焼き林檎

小さな頃何度も開いた児童書と言えば、何冊も思い浮かびはするが、特に思い出深い一冊がある。それがこの度目出度く映画化の運びとなったのは喜ばしい。

タイトルは『小さい魔女』。
ドイツの児童文学だ。魔法が下手でまだ若い(100歳は超えているが、魔女基準での話である)小さな魔女が、ある年のワルプルギスの夜に会場のブロッケン山 へ忍び込む。バレないはずもなく意地悪な嵐の魔女、ルンプンペルおばさんにこれでもかと騒がれた挙句、箒は真っ二つに、服はめちゃくちゃに、髪もボロボロにされ、丸一日歩いてやっと家に帰ってきた。そんな小さい魔女を見た相棒のカラス、アブラクサスが、「来年までに良い魔女になれ」というので、いたずらをしたいのをぐっとこらえた彼女は人の役に立つ事を覚えていく……という物語。

物語自体も、しっかりものので神経質なアブラクサスとだらけがちで大雑把な小さい魔女の掛け合いが小気味良く、幼い頃の自分でもサクサクと読めた。人の役に立つって素晴らしいわ!と言ったかと思えばいたずらをしてけらけら笑ったり、小さい魔女が良い魔女になかなかなりきれないのも人間味を感じてとても好きである。

ただこの物語を何度もめくったことで記憶に染み付いたのはそのストーリーだけではなく、物語の舞台であろう、恐らくドイツの方と思われる場所の、きっと少し前の時代の文化だった。カーニバルが謝肉祭であることを知ったのも、焼き栗の存在を知ったのも、キャベツの塩漬け、ハロウィンの仮装も、この物語の中で見た。

極め付けは焼き林檎の存在だった。小さい魔女が冬に指をぱちんと鳴らすと、林檎がころころと転がってきて暖炉に飛び込む。出来上がった焼き林檎も、ぱちんと指を鳴らせば手元にやってくるのだ。それまで林檎と言えば、切られているか、ジャムになっているか、風邪の時限定で擦られているかだった私にとって、加熱した林檎というのは想像の範疇の外、魅惑的と言う他ないものだった。

しかしながら残念なことに、私の周りには暖炉なんてないし、焼き林檎だってその辺で売ってるものではなかった。憧れは憧れのまま、数多の記憶の底に沈められていたのである。

その記憶が不意に引っ張り出されたのは、その本を何度も繰り返し読んでいた時分から、何年経ったかもわからない頃で、冬に林檎が届いて持て余したのがきっかけだった。

一人暮らしで、林檎なんてと思ったのも束の間、急に昔の憧れが蘇り、検索してみること数分。丸ごとは無理でもカットすればオーブンでできる事を知った。便利な世の中である。

適当にブロック状にカットし、バターをひとかけらのせ、シナモンシュガーを散らす。オーブンに入れて30分程度。出来上がった湯気の立つそれは、茶色がかった皮がパリッとめくれ、バターの染み込んだ林檎の中身は少しジャムのような透明がかった色になっていて、おまけにシナモンの香ばしい香りまで立ち上る、幸せを体現したようなおやつだった。

噛めばじわりとバターのまろやかさの染みた果汁が滴る。シナモンの香りがアクセントになっているのか、甘ったるすぎないのも良い。暖房を躊躇した冷えた部屋で、熱い紅茶と一緒に独り占めをするのは至福に他ならない。

以降焼き林檎は、私の冬の定番おやつになっている。
映画が公開されたら、憧れの焼き林檎も映像で出てくるのだろうか。非常に楽しみにしている。

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