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幼少期のぼくと小さな幸せ

「遠足は、子どもにとって一大イベントですからね」
ラジオパーソーナリティーの一言で、遠足用のおやつ選びに全力を注いでいた、幼い頃の自分を思い出した。

300円ほどだろうか。
当時、かぎられた金額で、好きなお菓子をいかに多く買うかということに全力だった。時間をかけて吟味し、時には味を想像して、ただのおやつ選びだけれど、この上ない幸せを感じていたのではないかと思う。

子供の頃は行動することに、損得感情や幸せかを考える頭は持ち合わせていなかったし、楽しもうという意識すらなかった。

やりたいからやる。

あたり前のことだけれど、今はそれが難しい。
今のぼくには、幼少期のぼく(子供心)が必要だ。

おやつを選ぶように、身近にある小さな幸せを見つけたいと思うようになった。

レストランで何を食べようかとメニューに悩んでいる時間。
休日あるいは、ストレスがたまったときに好きなアイスを買うこと。
そのアイスを、ベランダで壁に寄りかかり、夜風にあたりながら食べること。
大切な人を喜ばせたくて、何をしようかとその人のことを考えている時間。

最近気づいた小さな幸せだ。
些細ではあるけれど、それだけで幸せを感じる。
公園でひとり、シャボン玉を吹いてみたり、ひとり線香花火をしたりと一見病んでる、悲しい人だなと見られてしまうことをしてみている。
でも、そういうものが心を落ち着かせてくれることを知った。
たばこを吸うようなものなのかな(吸ったことはないけど…)

周囲の目を気にすると、自分と向き合えなくなる。だから、人目を気にせずにやりたいことを迷惑をかけない程度にやる。
人目を気にして、変に思われたくないからと制限をかけてしまう自分の頭は捨てた。
承認欲求はあるけれど、他人に好かれるために生きていない。
他人にどう思われても、やりたいことを貫ける自分でありたい。
それが、今の目標。

小さな幸せは、手の届く範囲にある。

幸福の度合いの判断は、個人差がかなりある。だから、自分に沿った自分だけの楽しみを手に入れるしかない。
仕事によるストレスなど、それは簡単に解消できるものじゃない。日々の生活をうまく生きるために、手に入りやすい幸せを知っておくことは必要だと思う。

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