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旅に生きる~地形や気象から読み取る日本の貧困~ その①

撮りため放出編→こちら

※無料ですが全部読めます。みなさまからの投げ銭で旅をする企画ですが今回は撮りため編にテーマを混ぜた特別篇のようなものです。

荒人神社
福島県田村市常葉町常葉荒町21-3

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noteでアカウントを検索すると不幸だったり、ネットが使えるだけで相当追い込まれている人だったり。
もちろん間一髪で助かった人の体験談や助からず停止しているアカウントまである。

わたしが目に触れる事ができる人はそれぞれの境遇や運不運はあれど、たぶん屋根の下で眠れて数か月の食べ物はなんとかできる人が大部分だとは思っています。

ここでは原因などは細かく説明しませんが、先進国で起こる貧困は発展途上国のような『弱肉強食』ではないです。
時代や国家、または社会の大きな流れ、またその意思決定をできるその当時の大人や指導者の行動結果で生まれるものであると思っています。
就職氷河期は深刻な問題であり、ここを救わない、産みだした世代の謝罪と自覚がない限り日本の問題は絶対解決しません。
しませんが、世界中でロストジェネレーションは存在しているわけです。
コロナが『ブーマーリムーバー』と呼ばれたのは腹いせでもなんでもなく、

「俺達がやり返さなくてもコロナがお前らをあの世に送ってくれる」

という冷たく乾いた諦めなのです。

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さて荒人神社。
『あらひと』と呼ぶわけですが『現人』の誤記と言われたりしています。
福岡や鹿児島など九州地域にそれなりの規模を持った神社が多いのかな?という印象です。

祭神は住吉三神ですが『荒々しい力を持ったモノ』という意味合いが強そうです。
住吉三神も神功皇后が三韓征伐をしたさいに海の荒波を沈めたのでそれに関連した意味合いが強いのかなと。

ここまでキーワードがすでに出ました。

みなさんはなぜ『格差』『貧困』があると思いますか?その期限、西洋的な話ではなく日本的な原点はどこだと思いますか?
そしてそれが今も一部引きずっていると言われたらどう思いますか?

さらにわたしが「地形関係あるよ」って言ったらどう思いますか?
「前からちんこちんこ言ってておかしいと思っていたけど、ついに黄色い救急車にお世話になる時が来たか・・・・(´・ω・`)」と思うかもしれません。


そうかも(´・ω・`)隔離病棟に閉じ込め不可避

まあ待て!狂人のお喋りに付き合ってくれ!5分だけでもいい!

動画で尺を稼いでいくスタイル。

本題に入りませう。
まず三韓征伐とか、神武東征とか。
そういう古代というか神話のお話を『全て事実』と言う方がいます。
保守系の学者さんとか、保守系の歴史解説者とか。

わたしはわからないとしか言えない。
『そう物語を書く根拠になる出来事があった』としか言えないから。
新たな物証や発掘による考古学的発見で変わる事実もあるとは思います。

例えば三韓征伐も実際はあった。
ところが『お腹を石で冷やして応神天皇の出産を遅らせた』とか
戦わずして新羅は服属して朝貢したのも『神功皇后はじめ日本の神々の威光にひれ伏して』
みたいなのをそのまま事実というのは違いますよね。

このへんは小説の脚色のようなモノととらえるしかありません。
ただ『三韓征伐そのものが嘘』とかそういうことではないわけです。

で、これを踏まえていただきまして、ただでさえ脚色が入っていて、事実確認のできない古い物語の時代、
『奴国』が邪馬台国に逆らったというのは読んだことありますよね?

邪馬台国九州説(とくに南九州)を取ると成り立たない話なのです。
しかしこれが成り立たないと日本の農業の歴史も成り立たないわけですが。

古代の王朝がなぜ成立し富や武力を持つことができたか?
それは『稲作』です。
世界史であれば小麦であるように人間は大量かつなんにでも使えてそこそこ保存の効く穀物『麦・米』の奴隷になることで貧富の差と権力が生まれたと言えます。

邪馬台国は米であります。米を国民が納めることにより成り立ちます。
だからこそその他の布織物や鉄器を確保する富を産むための富を蓄えることができます。

そして強い国に従う証はその国からの貢物です。
米や布織物、鉄、その他海産物など。交易であり臣従の証です。

しかし邪馬台国がどこにあったか?確定していませんがある程度整った権力は『近畿地方』に成り立っています。これに異論はないはずです。

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今は品種改良で北海道でも米が採れますが古代は確実に水が確保しやすく、なだらかな土地、そして温暖でなければ収穫ができなかったはずですね?

だから近畿地方に富と権力が集中するのは必然なのです。だからそれにともない木材資源は奈良時代の時点で近畿地方はすでに枯渇していたわけです。

米が貢ぐほど採れない地域は『労働や兵役』につく人間を出します。
しかしどうでしょうか?
米が採れないから狩猟などもっと稲作よりも力を使うはずです。
古代は15歳はもう立派な大人です。儀式的な意味合いではなく、その年齢でないと健康で活発に動けないからです。

何せ古代は平均寿命31歳ですからね(;´Д`)
さらにどうですか?15歳ということは15年育つのにかかるということです。
しかもその15年、死なずに育つ子が少ない。

そこに奴隷や税の代わりとして人夫として15歳を中央へ連れて行かれたらどうですか?

成り立ちません。

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奴国があったとされるのは福岡県とかその周辺だとか・・・・まあ九州です。

米採れそうでしょ?
ところが昔は湿地で稲作には向かなかったわけです。(稲作とそれにともなう居住地域が広くとれなかった)

そのかわり海に恵まれていたので漁をし、船による交易で食べていたと。
だから鉄や仏像、そして石橋(佐賀県など小さい石橋などがたくさんある)の文化があるわけです。

稲作はずっと田んぼから離れられない替わりに従事する年齢層が割と広くできます。
高齢でも稲を束ねるなど軽度な作業ができるからです。

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しかし船はどうですか?子供では航海ができず、年寄りでは荒波に勝てない。
狩猟もそう。常に健康で屈強な働き盛りが一定数いることによって成り立つ社会になります。

さらに南九州はシラス台地です。古代の未熟な農業では絶望の土地です。
だから鉄器青銅などで交易をしていた。ところが邪馬台国がその富どころか人まで搾取する。

・・・・それが奴国の反乱の理由であろうと。

逆に現代では豊かというか貧困なイメージはありませんよね九州。
それはまさにそういうことで、近代的な開発やサツマイモなどの耕作可能な作物が登場するまでは稲作基準の社会において貧しい土地だったのです。

このへんは教科書で習わないというか習う必要はないですね。
しかし郷土史として知っておいたほうがいい気がします。
昔は各教育委員会がその土地の郷土資料や伝承をまとめた小冊子を作って学校で配布していました。それを授業に活用もしたはずです。

ところが今はあまりそういうのがないというか。
おかしな『思想』布教パンフレットはもらうようですが。


海の神、住吉三神も宗像三女神も三柱がセットです。
住吉三神は水の深さです。これは難波だからこそです。
波が早くて難儀な場所だからこそ座礁や船の破損を防ぐために水深を把握しておくことが必要だった、だから『底筒男命・中筒男命・表筒男命』なのでしょうね。

宗像三女神は海の神であり、道の神です。
これは交易ルートの保護であると考えられます。さらにこちらは『沖津宮タキリヒメ ・ 中津宮イチキシマヒメ・ 辺津宮タギツヒメ 』(こちらは宗像大社の伝えとは違いますがそもそも時代で変化しているものなので古事記の並びを採用しました)

つまり『距離』です。荒波ではなく、大海原なのでちゃんと航路から外れないために距離を把握することです。

アマテラスとスサノオの誓約で生まれたことになっていますが、なにかしら発想のルーツは九州にあるのだと思われるわけです。


これが『反乱する理由に地形は関係する』というわたしの説です。
とうぜん邪馬台国などの所在地にかんして触れるものではありませんが、これらの理由から
『稲作を基本としていた』と軸足を置くと近畿地方にあった説が強いのかな?と一応考えていますがこの論争にはくわわってもまったく意味がない(地形的に関わるのがこの記事の内容以上では無理)のでたぶん二度とこの話題は出ません( ;∀;)あはは

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ここは公民館のすぐ横なのでなんか一つの施設ぽく見えます。

さて、これで『南の反乱』の問題はいいな!
しかしそうするともうひとつの末路わぬ民、『蝦夷』のような北はなんで歯向かったん?という疑問。

これを解決しないわけにはいかないわけです。

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