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書く人の「自由」について考え続ける。

原稿に対して、ざっくりいうと「ある程度クオリティは高いけど、いいこの殻を破って、もっと自由に」というアドバイス(というよりはもっと重いけど、指導というのも違和感がある、大事なことば)をいただいた。
このアドバイスが、ずっと頭の片隅にあって、ぐるぐると考えて……いまは理解の螺旋階段をゆっくり登っている最中のような気がする。

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こんにちは、こんばんは。くりたまきです。

そもそもわたし、"いいこ"じゃない……つもりなんだけど、どうなんだろう。とっても性格は悪いと思う。"いいこ"ってなんだろう。

"いいこ"というと、"ただ真面目なだけで優等生ぶってるけどおもしろくないこ"と言われてるような気がしてちょっと落ち込む。落ち込むのは"いいこ"だからなのか? それとも"わるいこ"なのか。

などと考えるとあんまり前進しない。単なる感情の揺れでしかないからだ、たぶん。他人の意見をきいたり、調べたり、考えたりして、まずはいまの段階での定義してみた。

"いいこ"は、"勝負していないこ"。
"自由"は、"勝負する覚悟を決めて飛び込むことからはじまるもの"。

毎回、「こんな要素を入れてみよう」とか「あんまり使わない単語も、この記事ならうまくハマるかも」とか「全然ジャンルは違うけどスポーツ記事をお手本にかっこよく描いてみよう」とか、自分なりに勝負をしている。けど、それはきっと超一流の勝負師たちから見たら、ちいさな試行錯誤で、"いいこ"の範囲内なんだろう。

そういう勝負を何度もして、勝ったり負けたりを繰り返すなかで、自分なりの、誰にも真似できない文章を見つける。

"いいこ"は真似できるけど、"自由"は真似できない。

"自由"って軽くてふわふわしたものってイメージがあったけど、獲得するには"覚悟"がいるのだと教わった。

それも、ちゃんと興奮したり遊んだり楽しんだりしていないと手に入らないんじゃないか。

ただ熱くがむしゃらに……というのでは、これまで通り"いいこ"なだけで、"自由"には届かない気がする。

そんなことをぐるぐる考え続けている。

数日前の、ほぼ日の永田さんのツイートが、深く刺さっている。

そうかあ。そうなのかあ。

単純にわたし、回数も足りてないのだろう。自由が形になるまで。

考えて、書いて、また考えて……自由を獲得するために手を動かそう。自由、ほしいな〜!

それにしても。ねえ、わたしって"いいこ"なんでしょうか?(違うと言われたいです)

30minutes note No.977

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