「ひまわり」みたいになれない。
ひまわりみたいになれたら、なんて考えてても、ひまわりにはなれない。
ふと思いついた、ちょっとした「たとえ話」なのだけど。
どうしてひまわりは、ふかふかの土の上に生えてるんだろう、とか。どうしてひまわりなんていう明るい色で人気の花なんだろう、とか。そんな目でひまわりを見る、蓮がいたとする。
蓮は泥のなかに浸かり続けて、息をするのさえ不自由で。濁った水の臭いもするし、生きるのが苦しい。それなのになんで。なんでじぶんは蓮なんだろう。ひまわりじゃないんだろう。
いつだって、あるはずのない原因を探すのは、不毛だ。
どうして、どうして、どうして。
そんなこと考えても、そういう風に生まれたから、としか答えはない。
でも、どうにか花を咲かせてやろう、と目標を抱く。
根を張り巡らせ、
空気を取り込み、
呼吸をして、
栄養を得て、
つぼみを抱き。
そして、まったりと淀んで鏡のように景色を映し出す沼の水面に、まばゆいほど輝く花を咲かせる。
花は、花だ。
どんな種類でも、花を咲かせようとする。
人も、人だ。
どんなひとも、花を咲かせようとすればいいんじゃないかなあ。
ひまわりだって、咲かせようとして、咲いてるんだよ。
***
なんて、ひまわりと蓮の生態系はわからないものの、考えてみたのでした。
「どうして」でなにも生み出さないときは、その考えに執着してても花は咲かない。
わたしは咲くんだ!と強く思うこと。
そのために動くんだ、手足を動かすんだ、と決めること。
失敗したら、またチャレンジしてみること。
あとはお天気やら操作できないものには逆らわず、流れに身を任せて、ただ咲こうとするだけでいいんじゃないか。
そしたらいつか、種や実になるかもしれないね。
じぶんを鼓舞する言葉を、いっぱい心の宝箱にしまっておきたいなあ。
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