見出し画像

好きなものを食べる訓練

「きょう、なに食べる?」
「えー。なんでもいいよ」
これはもったいない。人生の大いなる喪失である。

女子がよくやる、控えめさの演出?
とかそういう問題ではない。
もっと大きくて、もっと大切なことなのだ。

はい、ひとりでファミレスでごはんを食べ終わって、
「よーしこれから原稿書き上げるぞ!」
と思っているわたしの30分の体操です。
満腹状態で書いてます。どうぞ。

この冒頭の会話、なんでもいい問題、
こういう感じならべつにわたしはいいと思う。

「えー。
 (トマトパスタ食べたい!でもトップス白いし。
  服が汚れると嫌だな…)なんでもいいよ」

でも、こっちだと考え直そう! と言いたくなる。

「えー。
 (なにも思い浮かばない…
  相手に考えてもらおう)なんでもいいよ」

ちがいは「じぶんの意思」があるかどうか。
すぐには思い浮かばないとき、
どうかじっくり考えてほしい。

きょうは脂っこいものはイヤだな。
お米とパンと麺類と粉物、どれがいいかな。
お肉、お魚、野菜、のカテゴリーだと?

毎日必ずおとずれる、意思決定のチャンスを、
逃さないでほしい。
こころと密接につながっている、
からだの声に耳を傾けてほしい。

じぶんのしたいことが、わからない。
無力感がぬぐえない。
そういうことのだいたいは、
じぶんで決めないから起こるのだ。

ひとつ一つの決断の積み重ねが、
じぶんになる。

それをしないで流れに任せていると、
成功しても失敗しても、
じぶんの糧にはできない。

なにを大きなことを言いだすんだ、
と思われるかもしれない。
けれど、これはトレーニングなのだ。
じぶんで決めるという「筋肉」は、
使わないと衰える。
歳をとるだけでも衰えやすくなる。

じぶんがなにを感じているか。
すこやかに生きているか。
点検するチャンスを、一日に1〜3回つくる。
毎日決めるじぶんになれれば、
もっと大きなことも、じぶんで決める体力がつく。

じぶんのすきなものも、明確にわかる。

人生をゆたかにする、その一歩は、
「おいしい」とこころから思えるじぶんと
出会うこと。

じぶんをよろこばせてあげよう。

もちろん、誰かの
「きみに食べさせたい、おいしいものがあってさ」
って連れて行ってもらうごはんも、
わたしはだいすきだよ。

ここのごはんは最高だ! と思って、
誰かを連れて行ったときの
「すごい! くりこちゃんおいしいね!」
も、だいすきだよ。

それも、じぶんのすきがわかっている前提の、
人生の楽しみかたのひとつだよね。

さいごまで読んでくださり、ありがとうございます! サポートしてくださったら、おいしいものを食べたり、すてきな道具をお迎えしたりして、それについてnoteを書いたりするかもしれません。