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【小説】メアがいない夜 #眠れない夜に

※この物語では、実在の病名と架空の病名が混在しています。また、実在の人物や団体などとは関係ありません。


プロローグ

人里離れた田舎にそびえる、白い病棟。その3階の一室に、とあるアルバイトのため、満莉愛まりあは向かっていた。

小夜子さよこさんのことって、どれくらい聞いてる?」
「えっと…すみません、実はあまり、知らなくて…。」

案内係を務める看護師の山崎の問いに、満莉愛は申し訳なさそうに答えた。

「別に責めてるわけじゃないわよ。ごめんごめん。でも、あまり知らないのに、よくこの仕事受けようと思ったなーって。」
「わたし、ヒトと話すのは好きなので…。それでお給料をいただけるなんて、すごく嬉しいじゃないですか。それに、お金が必要だったので…。あ、こんな不純な動機じゃ、ダメですかね…。」
「お金が必要っていうのは院長からも聞いてるし、別に不純な動機でもないでしょ。それに小夜子さんは、たくさん話してくれる相手を求めてるから、話すのが好きっていうのは、むこうも嬉しいと思うよ。」

満莉愛のアルバイトは、この精神病棟に入院している小夜子という患者の、話し相手をすることだ。

「それで、小夜子さんのことだけどね。ここに入院している患者さんのなかでも、かなり珍しい病気なの。消夢しょうむ症候群っていってね。」
「しょうむ症候群…ですか…?それって、どんな漢字を…?」
「消える夢って書いて、”しょうむ”だよ。」
「消える夢…。」
「悪夢を見ない病気なの。」
「え…?それって、良いことなんじゃ…?」

あまりの衝撃に、満莉愛は思わず歩みを止めた。

「あ…ごめんなさい…。ビックリしちゃって…。」
「気にしないで。”悪夢を見ない”っていうことの正しい意味を知ったら、決して良いとは思えないのよ。」
「どういう意味なんですか…?」
「詳しいことは、小夜子さんに聞いてみて。よっぽど失礼なこと言わない限り、病気のことでも気兼ねなく教えてくれるから。」

少しの不安を抱えながら、満莉愛は小さく返事をする。

「あ、そうそう。前にも話してると思うけど、休憩も自由にとってね。とくに、小夜子さんが眠っているときは、暇になっちゃうと思うから。」
「はい、わかりました。」
「まあでも…眠っている時間は、ほんとに少ないと思うけど…。」

先程から続く意味深な発言に、満莉愛は更なる不安感を覚えた。

ここは、川西睡眠向上支援病棟。数少ない、「眠り」に関する悩みを抱えた精神疾患患者のみが入院している病棟だ。


1.眠らないお姫様


「死神が迎えに来たってわけじゃなさそうね。」

部屋に入ってきた人物たちに向かって、わたしは言った。

「小夜子さん、そのジョーク笑えないですって。縁起でもない…。」
「あら、そう?そちらのお嬢さんもかしら?」
「はじめまして。望月満莉愛といいます。今日からよろしくお願いします。」

担当看護師の山崎といっしょにわたしの部屋を訪れた女性は、少し緊張している様子で自己紹介をした。

「満莉愛さん、よろしくね。わたしのことは、小夜子で良いから。」
「わかりました、小夜子さん。」
「話し方も、もっと楽にして良いのよ。そんなに歳も変わらないでしょうから。おいくつ?」
「もうすぐ、21になります。」
「やっぱりあまり変わらないわね。わたしは今年で23歳になったわ。」
「えっ!?見えなっ……す、すみません!」

慌てた様子の彼女を見て、わたしと山崎は吹き出した。

「小夜子さん、老けてますもんね。」
「ち、違います!そういうつもりじゃ…!ただ、大人っぽいから…。」
「ふふ。気にしてないわよ。山崎はもう少し、口を謹んでほしいけどね。」
「はいはい、失礼しました。さて。わたしはもう必要なさそうなので、なにかあったらナースコールで呼んでください。」
「わかったわ、ありがとう。」

山崎が部屋をあとにし、これから満莉愛さんとふたりでゆっくり話せることに、わたしはとてもワクワクした。でもそんなわたしの期待とは裏腹に、彼女のほうはますます緊張してしまったようだ。

「そう硬くならずに、とりあえず座って?」
「あ、はい…失礼します…。」

恐る恐る、イスに座る彼女。借りてきた猫って、こんな感じかしら。

「そんな、面接じゃないんだから。面白いヒトね。さっきからずっと、不安そうな顔をしているわ。」

それもそのはず。たったの2歳とは言え、年上の初対面の女と、ふたりきりなのだから。しかも、その女は精神病棟の入院患者。彼女がわたしの病気についてどこまで事前情報を得ているのかわからないけど、もし詳しく聞かされていないのなら、得体の知れない恐ろしい存在だろう。

「まずは私たち、ちゃんと知り合う必要があるわよね。なんでも聞いて。嫌なことはちゃんと、嫌って言うから。」
「えっと…じゃあ…。このお部屋、とても広くて綺麗ですよね…。テーブルとか、このアームチェアもこだわりを感じますし…。まるで、ホテルみたい…。」
「まあ、とても精神病院の個室とは思わないわよね。」
「す、すみません!わたし、いきなり失礼なことを…!」
「え、どこが?全然失礼じゃないわよ。率直な感想でしょ。」

これは打ち解けるまで、少し時間がかかりそうだわ。でも、悪い子じゃないし。というか、良い子過ぎるのよね…。

「そのテーブルもイスも、わたしが選んだの。」
「えっ!?そんなことができるんですか!?」
「わたしのフルネームはご存知?」
「もちろんです!川西小夜子さん…え、川西ってまさか…。」
「そう。父はこの病院の院長よ。だから娘のわたしの病室は広く、わたしのワガママを出来るだけ反映させた部屋なの。」

父もまさか、自分の娘が精神疾患にかかり、そして自分の病棟に入院することになるとは、夢にも思わなかっただろうけど。幸いにもわたしの父は、ドラマなんかでよくある、「金にがめつく、患者と向き合わない」なんていう嫌な医者ではなく、患者の回復を第一に考えるタイプの医者だ。おまけに、親バカときたもんだから…。

「失礼ですけど、川西ってそこまで珍しい苗字でもないから、たまたまかと…。」
「西園寺とか伊集院とか、いかにもな名前だったらねえ…。これで、ひとつ目の疑問は解決したかしら?」
「あの…小夜子さんの話し方がお綺麗なのって…。」
「そうね、あなたの想像通りだと思うわよ。この口調のせいで、実年齢より上に見られる、ってのもあるかもね。」

わたしも、本当ならもっとフランクな話し方をしたいのだけど。長年根付いた口調を矯正するというのは、難しいことである。

「他に質問は?」
「山崎さんとあんなふうに話していたのも、なにか関係がありますか…?」
「良いところに目をつけたわね。山崎は、元々川西家の専属ナースだったの。」
「なるほど…。」
「さて…そろそろ、本題に入りましょ。」
「本題って…。」

察した様子の彼女。いや、察したというよりは、”彼女が一番聞きたいことに、わたしが気付いた”ことに、気付いたのだ。

「わたしの病気のことよね。その様子じゃ、詳しくは聞かされてないんでしょう?」
「はい…。消夢症候群という病名と、悪夢を見ない病気だということしか…。」
「はあ…山崎ったら、そんな意味深な言い方をしたのね…。」

まったく、意地が悪いわ。雇い主に似たのかしら。

「じゃあ、ちゃんとわたしが教えてあげるわ。わたし、以前は悪夢障害だったの。」
「悪夢障害、ですか…?」

悪夢障害は、主にストレスが原因で悪夢を見やすくなる障害だ。悪夢が原因で起きている間も憂鬱な気分を引きずったり、悪夢を見るのが怖くて不眠症に繋がったりすることが多い。わたしはその後者だったことを、彼女に説明した。

「だから最初は、その治療で精神科に通ってたんだけどね…。ごく稀に薬の副作用で、わたしみたいに消夢症候群を引き起こすことがあるのよ。」
「副作用、ですか…?悪夢を見ないことは、良いことのように思えるんですが…。」
「物は言いようよね…。ねえ満莉愛さん…ヒトの夢から、悪夢だけを綺麗さっぱり取り除くなんて、そんなことが果たして可能なのかしら…?」
「それは…できたら、素敵ですよね…。幸せな夢だけ見れたら…。まさか、夢自体をまったく見ないってことですか!?」

今日一番興奮した様子で、先程までの倍以上の声量で聞いてくる。

「あら、察しが良いわね。でもね、単に夢を見ないだけで済むのなら、どれほど良いかと思うほどに、この病気はもっと恐ろしいわよ。」

そう言ったわたしに、ホラー映画の次の展開を恐れているような表情になった彼女。でもどこか、怖いもの見たさのようなものを、彼女の瞳の奥に感じられた。

「消夢症候群はね、眠っている間に夢を見ようとしたら、その瞬間に脳が指令を出して、強制的に目を覚まさせるのよ。」

消夢症候群は、悪夢を見ない病気。

言い換えると…、

”悪夢を見させない”病気だ。


2.ノンメア症候群


「夢を見ようとしたら、目が覚める…。それならたしかに、悪夢は見ないですけど…。」
「ヘタなとんちも、大概にしてほしいわよね。」

彼女が気まずくならないようにと、自分の病気に対して、わざとらしく皮肉めいた自虐のような発言をしてみせた。それが効いたのか否か、彼女の表情に不安や気まずさ、それから遠慮のようなものまで消えたようだったけれど、どこか悲しみを帯びていた。

「それに、消夢症候群なんてネーミングもナンセンスだわ。わたしは、ノンメア症候群って呼び方のほうが好きよ。」

この重たい空気を変えるべく、わたしは話を続けた。

「ノンメア症候群…ですか…?」

彼女の興味を上手く引けたようで、少し安堵した。わたしは、ノンメア症候群の語源について語ることにした。

「悪夢のことを、英語で”ナイトメア”っていうでしょ?この”メア”っていうのは、悪夢を象徴する魔物なの。そのメアが来ないから、non-mareノンメア症候群っていうのよ。」
「ナイトメアの語源って、そういうことだったんですね…!」
「メアは、黒い馬のような姿だったり、ゴブリンのような姿だったり、美しい女性の姿だったり…。文献によって様々で、その姿かたちは定かじゃないのよね。まあ、伝承上の魔物だから、定まっていなくたっておかしくないけど。」

興味のある分野だったのか、それとも初めて得た知識に関心を寄せているのか。彼女の目は輝いていた。コロコロと表情の変わる、ほんとうに面白い子。
しかし、彼女の興味は、話の内容自体にあったわけではないらしい。

「小夜子さんって、そんなことをご存知なんですね…!そういったお話しが、好きなんですか…?」

どうやら、わたしが語ったということに意味があったようだ。彼女との距離が縮まったことがわかって、わたしも嬉しかった。

「わたしね、ヒトと話すのも好きだけど、読書も好きなのよ。ジャンルは問わず、基本的に何でも読むわよ。」
「あ!そうでした!山崎さんから、うかがってたんだった!それで、わたし…!」

何かを思い出したようで、彼女はバッグの中を探る。そこから出てきたのは、一冊の文庫本だった。

「すみません、すっかり忘れていて…!これ、わたしの好きな詩集なんですけど…。」

詩集の作者の名前は聞いたことはあるものの、その詩は読んだことがなかった。新しい出会いがあるのは、とても嬉しい。

「ありがとう。読んだことがない作品だから、嬉しいわ。」
「ほんとですか!読書がお好きと聞いていたので、何か本を差し入れにと思ったんですが、すでに読んだことがあってもな、と思って…。それで、詩集ならと思ったんですが…良かった…!」

彼女が考え抜いて選んでくれた差し入れに、ますます嬉しくなる。さらに、もうひとつ気付いたことがあった。

「これ、もしかして新品…?」

本の頭から、売り上げスリップが顔を覗かせていて、新品だということを物語っていた。てっきり、自分のおすすめの本を貸してくれるのだと思っていたら、わざわざ買ってくれたということか。

「もちろんです!初対面のかたに、わたしの手に触れたモノをお貸しするなんて、そんなの申し訳ないですから…!」
「そこまで気にしなくても良かったのに。でも、その気持ちもいっしょに、ありがたく受け取るわ。ありがとう。あなたも、読書が好きなの?」

そう聞くと、元気な返事が返ってきた。共通の話題が見つかることほど、心強いことはない。それからわたしたちは、夢中で本について語った。気がつけば、彼女が帰る時間がもうすぐそこまで近づいていた。

「すっかり仲良しみたいですね。」

終わりの時間を告げたのは、山崎。今日は初日ということもあって、帰る前にも山崎が様子を見に来たのだ。

「満莉愛さんも、かなりの本の虫みたいだからね。気が合っちゃって。」
「それは何よりです。」
「ねえ満莉愛さん、良かったら今度、あなたのおすすめの本を貸してほしいわ。次は、新品じゃなくて良いから。」
「あ…えっと…!はい、わかりました…!では、また今度…!今度、持って来ますね!」

すっかり打ち解けたと思っていたのだけど、山崎がやって来てペースが乱れたのか、また少しおどおどした様子でそう返された。

「にしてもここ、ほんと絶景ですよね。久しぶりにこの部屋から夕陽見たかも。」

山崎の声に、わたしと満莉愛さんは、窓に目を向ける。

「うわ…!すごい綺麗…!」

オレンジ色の夕陽が、もう沈もうとしている頃だった。こんな景色にも気付かない程、おしゃべりに没頭していたなんて。

「これで窓が開けられたら最高なのに。」
「いくら小夜子さんの頼みでも、こんなデカい窓全開にするなんて、無理ですよ。わたしが院長に殺されちゃいます。」
「まあ、そうなるでしょうね。」
「あ…。やっぱり、開けちゃダメなんですね…。こんな大きい窓が病室にあるなんて、ビックリしました…。」

今のわたしは自殺願望なんてもの持ち合わせていないけど、ここはどうあっても精神病棟だ。万が一があっては困る。

「でも、満莉愛さんがこの病室から夕陽を見られるのは、これが最初で最後ですね…。」
「ちょっと山崎。変な言い方しないでよ。」

今日は初日ということもあり、昼から夕方にかけてやって来てもらったが、次回から満莉愛さんの基本シフトは、21時から朝の5時までだ。
そもそも、夜間の話し相手がいないために雇ったアルバイトだから、彼女がこの部屋を訪れるのは、夜から翌日の早朝までだけ。

「次は、夜景と朝日を拝ませてあげられるわね。」

そう言って、彼女を見送った。


3.夜の帳

顔合わせから2日後の、20時50分。満莉愛さんは、わたしの部屋にやって来た。

「10分前行動ね。」
「その響き、なんか懐かしいです。学生の頃によく言われましたよね。」
「どこの学園でも、言われるものなのね。お夕飯は、何か食べてきた?」

今日は、彼女のお夕飯の話から始まって、食べ物の好みの話題になった。食の嗜好を知るというのも、距離を縮めるのに有効だ。わたしの狙い通り、会話が途切れることはなかった。

会話を止めるキッカケとなったのは、わたしにある欲求がおとずれたから。それは、食欲ではなかった。

「ごめんなさい、少し眠たくなったから、一度おしゃべりを中断しても良いかしら?」

わたしのもとにおとずれたのは、睡眠欲。

「もちろんです!ゆっくり寝てください!」
「まあ、すぐに起きちゃうかも知れないけど、好きにしててね。あと、万が一時間になっても起きなかったら、気にせず帰って構わないから。」

現在の時刻は、まだ日付を跨いで間もない頃。彼女の終業時刻まで眠っていられる可能性はかなり低いものの、そう伝えてわたしは目を閉じた。

しかし次に目を開けたとき、部屋に彼女はいなかった。そんなにも熟睡できたのか、と思ったのも束の間。カーテンの隙間から、朝日は射していなかった。そして時計に目をやると、やはりまだ朝とは言えない時間だった。単に、席を外しているだけらしい。

彼女が戻るまでの暇つぶしに、わたしは先日彼女がくれた詩集を読むことにした。その詩を書いたのは、戦時下を強く生き抜いた女性エッセイスト。生きる時代は違えど、同じ女として共感する部分は多く、とても魅力的な言葉を紡ぐヒトだと思った。同時に、この詩人を薦めてくれた満莉愛さんのセンスの良さにも、強く惹かれた。

「お目覚めだったんですね。もしかして、かなり長くお一人にしてしまいましたか…?」

5~6編ほどの詩を読んだところで、満莉愛さんが戻ってきた。

「まだ起きたばかりよ。それに、気にしないで。これを読んで待っていたから。」
「それ、読んでくださったんですね…!どうでした…?」

そこからは、その詩人についての話題になった。ただ、わたしはまだその詩人とは今日が初対面なので、語れることも限られている。わたしが読んだ数編について感想を述べ、それから彼女のとくにお気に入りの詩を教えてもらった。わたしが朗読をせがむと、恥ずかしがりながらも読み上げてくれて、そこでこの話題はおしまい。

そこからの流れで、他の詩人の話になった。その中で彼女が思い出したように、「すみません、お貸しする本を持ってくるの、忘れていました…。」と自白する。「またいつでも良いのよ。」と、彼女が気にしないようにさらりと流して、会話を続けた。

楽しい会話が、いつしか朝を連れて来た。

それからも満莉愛さんは、週に3日ほどわたしの話し相手になってくれた。誰がどう見ても、わたしたちの仲は睦まじいと言うほどになった頃。ずっと気になっていたものの、聞かなくても困るものでもない、と思って聞かずにいたことを、不意に聞いてみた。

「そういえば、わたしが眠っているときってどこにいるの?」
「図書室です。言われてみれば、話したことなかったですね。」

わたしの病室と同じフロアに、図書室がある。本来であれば、夜間に図書室を開放することはないが、満莉愛さんは社員特典のようなかたちで、ナースステーションに声をかければ開けてもらえるらしい。
そもそも3階には病室が数少なく、さらに夜間は他のフロアを行き来できないよう施錠されている。また、図書室はフロアの最奥に位置しており、ナースステーションの前を通らないと辿り着けない。そういった理由から、ヒトの出入りの管理が楽だから、そのような優遇を受けれるとのことだ。

「あら、そうだったの。でもそれなら借りてきて、ここで読んだら良いのに。あ、さすがに貸し出しまではしてもらえないのかしら…?」
「それもあるんですけど…。実はわたし、本を読んでいるわけではないんですよ。」
「そうなの…?それじゃあ、何を…?」

そこまで踏み込んで良いものかと一瞬は躊躇ったものの、もし話したくないのであれば、馬鹿正直に”本を読んでいるわけではない”などと言う必要はない。だからわたしは、踏み込んでみることにした。

「すみません、話すと長くなってしまうので、また明日でも良いですか…?わたしがいつも何をしていたのか、小夜子さんにはぜひ聞いてほしいんですけど、せっかくお話しするなら、もっと時間をかけてお話ししたいので…。」

開口一番、「すみません、」と言われたときは、少しヒヤッとした。だけどそこに続く言葉は、なんとも嬉しいものだった。

「もちろんよ。また明日、楽しみにしているわ。」

遠足の前日に、興奮して眠れなくなった子供のような気持ちがした。今眠ったら、きっと楽しい夢を見て、すぐに現実に引き戻されてしまうだろう。そう思えるくらいに、明日が待ち遠しかった。


4.魔女の棲む家

待ちに待った…というほどに時間があいたわけではないが、翌日、満莉愛さんが部屋を訪れたときのわたしは、まるで眠気なんてものは知らなかった。

「お待たせしました。」

わたしの興奮が伝わったのか、茶化すようにそう言って笑う満莉愛さん。そして、バッグから何かを取り出して、わたしに差し出す。それは、タブレット端末。そしてその画面に映し出されたのは、ロッキングチェアの写真だった。

「これ、わたしがデザインしたんです。」

木材の温かみとしなやかさを感じられる、独創的なデザインのそれ。一瞬、言葉を失った。もちろん、良い意味で。

「…すごいわ。ごめんなさい、あまりに素敵だから、すぐに言葉が出てこなくて…。」
「そう言ってもらえて、すごく嬉しいです!このロッキングチェアは、いつかうちのおばあちゃんに造ってあげたいなと思っていて…。」
「え?これは、試作ということ?」
「いえ!それ、CGでデザインしたものなので、まだ実物は存在していないんですよ…。」
「これ、写真じゃないの!?」

わたしが写真だと思っていたのは、写真ではなかったらしい。驚いて思わず大きな声でリアクションをしてしまったものだから、その声に満莉愛さんが驚いてしまった。今度は、ひときわ小さな声でごめんなさいと言った。

「写真だと思ってもらえたのも、嬉しいです…!わたし、家具のデザイナーになるのが夢で…。それで、小夜子さんが眠っている間、図書室でずっとデザインを作っていたんです。」
「そうだったのね。ねえ、他にも見て良いかしら?」
「もちろんです!むしろ、小夜子さんにたくさん見て欲しいです…!」

そう言って彼女は、画面をスワイプさせて数々の魅力的な家具のデザインを見せてくれた。CGだけでなく、手書きのデザイン画もあった。

「ほんとうにどれも素敵だわ…。いつか、わたしのベッドもデザインしてほしいくらい。」

病室のテーブルやカーテンも、院長の娘特権でわたし好みのモノを取り寄せてもらったものの、ベッドだけは、機能面の問題等もあり、自由にはならなかった。それを少し愚痴っぽく言えば、「喜んで。」と笑うものだから、わたしも満面の笑みを浮かべた。

「でもここ、田舎で電波が届きにくいでしょ?わたしは通信機器の類を持てないから関係ないんだけど、たまに面会に来た友人がボヤいていたから。」
「それは大丈夫です。オフラインでも使えるソフトを使っているので。」
「あら、そういうのもあるのね。」

そういえば、彼女がこの部屋でスマートフォンを触っているところも見たことないな。そんなことをふと思っていると。

「あの…小夜子さん…。ひとつお願いがあるんですけど…。」

突然、彼女がかつてないほど真剣な表情で、そう言ってきた。何事かと思い、「どうしたの?」と慌てて問いかける。

「貸していただきたい本が、あるんです…。」

読書好きなわたしの病室には、本棚まで置いてある。同じく読書好きである満莉愛さんがそれに反応しないわけがなく、今までにも本棚を眺めていたことが何度もあった。そのたびに「気になる本があれば、借りていって良いのよ。」と声をかけていたのだが、いつも背表紙を眺めるだけで、借りて帰ったことはなかった。

「そんなことだったのね。良いに決まってるでしょ?深刻そうな顔してるもんだから、何事かと思ったわ。」

ふふっと笑いながらそう言うと、一瞬なぜか戸惑ったような表情をした。気になったけれど、次の瞬間には笑顔になったものだから、気のせいだと思うことにした。

「じゃあ、あの…これを…。」

彼女が手にしたのは、”魔女の棲む家”というタイトルの本。一見ファンタジー小説のようだが、内容は物語ではない。だが、満莉愛さんがそれを選んだ理由はわかった。

「それに目をつけるなんて、さすがね。」

その本は、魔女が住んでいる家に置いてあるであろう、架空の家具やインテリア雑貨が描かれているものだ。恐らく彼女は、”空想インテリア”というサブタイトルを見て、内容を察したのだろう。

「ずっと気になってて…。」
「それなら、もっとはやく言ってくれたら良かったのに。きっと、満莉愛さんが求めている内容だと思うわ。」
「ありがとうございます…!」

彼女は、深々と頭を下げる。

「返すのも、いつでも良いからね。」
「はい!ほんとうにありがとうございます!あの…小夜子さん…。」

今度はなんだ、と、また身構えた。

「あの…今度、わたしのおすすめの本も、持って来ますから…!」

彼女が自分の本をわたしに貸してくれたことは、まだなかった。もちろん無理強いすることでもないし、そもそもそんなに深く考えてもいなかったのだが…。彼女があまりにも力強く宣言するものだから、なんだか急に気になった。

「わかったわ。楽しみにしているわね。」

なんだか、言いようのない違和感を覚えた。けれどそれも、気のせいだと思うことにした。


5.死神

ある日の、丑三つ時の頃。大きな異変は、あまりにも突然におとずれた。

相変わらず眠ることができずに、読書をして暇をつぶしていたところ。ルームキーをピッとドアにかざす音が、静かな部屋に届いた。

今日は、満莉愛さんは来ない日だ。それに、こんな夜中からやって来るなんてことは有り得ない。であれば山崎かと思ったが、巡回の時間ではない。ナースコールが誤作動でも起こしたか、それとも何かイレギュラーか。一瞬のうちに思考を巡らせたが…。やって来たのは、有り得ないと思っていた人物だった。

「死神が迎えに来たってわけじゃなさそうね。」

初めて彼女に会った日の第一声を、自然と発していた。

突如わたしの部屋にやって来たのは、満莉愛さんだった。

「どうしたの?今日はシフトに入っていない日でしょ?それに、こんな時間にどうやって…。」

こんな夜中に、外部の人間が病院に入れるわけがないのだ。でもその答えは、簡単だった。彼女が着ているのは、どう見ても寝衣。それも、わたしが今着ているのと同じ。つまり…。

「あなたも、ここの患者だったのね…。」

わたしのつぶやきに、彼女が反応することはなかった。同じ寝衣を身にまとい、突如わたしの部屋へやって来たこと。わたしの言葉に反応せず、虚ろな目をしていること。そして、ここが「眠り」に関する悩みを抱えた精神疾患患者のみが入院している病棟ということを考えたら、彼女の病名はすぐにわかる。

「夢遊病ね…。」

眠ったままフラフラとわたしの目の前に現れた彼女は、夢遊病者以外の何者でもない。そこまで推理ができたところで、わたしはもうひとつ気付いたことがある。

「まさか、それを持って来てくれたの…?」

彼女の手には、一冊の本が握られていた。彼女の手から抜き取って確認してみると、いつか彼女が語ってくれた、彼女の好きな作家の短編集だった。

「やっぱりここにいたんですね!」

すべての謎が解けたとき、山崎ともう一人、ナースがやって来た。

「本当に申し訳ありません!今日アルバイトだと勘違いしたナースが、3階に望月さん上げちゃったみたいで…。」

山崎じゃないほうのナースは、満莉愛さんの担当らしい。

「どういうことか、全部話してくれるわよね…?」

ナースが満莉愛さんを連れて部屋をあとにし、わたしは山崎を問い詰めることにした。


6.メアがいない夜

「黙っていてすみません。でも、満莉愛さんがアルバイトとして小夜子さんの話し相手をすることは、院長も知っていたことでして…。小夜子さんに黙っていたのも、院長の判断です。」

山崎は各所に連絡をしたあとでわたしの部屋に戻ってきて、説明をはじめた。

「わたしが聞きたいことは、そういうことじゃないの。わかるわよね?」
「…病気のことですよね。望月さんは、小夜子さんもお察しの通り、夢遊病です。」
「それだけじゃないわよね。あの子…強迫性障害もあるでしょ。」

思い返せば、不自然なところはたくさんあった。どこまでも気配りが行き届いていて、礼儀正しいところ。病室でスマートフォンを一度も手にしていなかった理由。オフラインで使えるソフト。

なによりカギになっているのは、本だ。
初対面のときに、新品の本を差し入れに持って来てくれたことはさておき。図書室の本を、読まないこと。ずっと気になっていた本を、わたしから借りることが出来なかったこと。本一冊借りるのに、あんなにも深刻そうな表情になっていたこと。

それに、一向に自分の本をわたしに貸さなかったことだって、彼女の性格を考えたら、おかしいのだ。どこまでも気配りが行き届いていて、礼儀正しい人間が、「本を持って来るのを忘れた」なんて。約束を忘れるだなんて。普通に考えたら、有り得ないのだ。

「あの子、わたしに本を貸せなかったのね…。そして、わたしの本を借りることも、あんなに難しくて…。」
「小夜子さん、誤解しないでください…。満莉愛さんは、他者を汚いと思っているわけではなくて…。」
「わかってるわよっ…!!」

自分でも驚くほどの大声で、わたしは山崎の言葉を遮った。

「あの子は、自分自身のことを汚いと思っているのでしょう?だから、自分の触れたモノをわたしに貸せなかった。わたしのモノを、自分が借りてはいけないと思っていた。それが、大好きな本なら、なおさらのことでしょう!?」

言いながら、涙が出てきた。次から次へと、とめどなく。些細な違和感たちに、どうして気付けなかったのか。どうして、気のせいだと思ってしまったのか。振り返ってみると、後悔ばかりだ。それにわたしは、彼女にとても酷いことを言ってしまった。

「わたし、あの子に”そんなことで”って言ってしまったの…!わたしの本を借りるときに、すごく真剣な顔をしてたから…。あの子にとっては、重大な問題だったのに…!」
「小夜子さん、あまり自分を責めないでください。悪気がなかったことくらい、満莉愛さんだってわかってくれますよ。」
「そうかも知れないけど…!でも…!」

それ以上は、堂々巡りにしかならないと悟って、わたしは口を噤む。

「これからのことを考えましょう。まず第一に、今日起きたことは満莉愛さんにも話さなければいけません。それは、病気の治療をするうえで必要なことです。」
「それは…そうよね…。」
「そのうえで、どうしますか?これからも、満莉愛さんに会いますか…?もちろん、満莉愛さんの希望も聞いたうえでの判断となりますが。」

わたしはしばらく、何も言えなくなってしまった。今日起きたことを知った彼女と顔を合わせるのは、恐らく気まずいだろう。それに、こうしてわたしが全てを知ってしまったことで、彼女が傷付くかも知れない。…いや、彼女が傷付くところを見たくないという、わたしのエゴに過ぎないのかも知れないけれど。

「…満莉愛さんが、アルバイトをしていた理由を話しましょうか。」
「え…?」
「精神病棟に入院しながら、アルバイトをしたがった理由、気になりませんか…?」
「それは気になるけど…。」
「彼女、本を買うお金が欲しかったんですよ。」
「本を…?」
「普通の小説であればまだしも、デザインを学ぶための専門書って、けっこう高額ですから…。夢を叶えるためにちゃんと病気とも向き合うから、勉強するためのお金を稼ぐ手段が何かないか、相談してきましてね…。」

今まで満莉愛さんと過ごしてきた時間で知り得た彼女のことや、ここまでの山崎の話が、全部ひとつの線で繋がっていくような気がした。

「そうだったのね…。」
「なので、かなり無理矢理なこじつけですけど、このアルバイトもある意味、治療の一環と言いますか…。お金を稼ぐのもそうですけど、小夜子さんと話すことも、良い刺激になりますしね。」
「そんな言い方ってズルいわ。」

そこまで言われてしまえば、今後どうするかなんて、答えは決まりきっている。


エピローグ

「あの…新しいデザイン画を描いたので、見てもらっても良いですか…?」
「もちろんよ。見せて。」

人々が深夜と認識する時間もとうに過ぎて、日の出が拝めるかという頃。小夜子と満莉愛は、”睡眠”という概念すら忘れたかのように語り合っていた。

「今度はテーブルね。なんだか、あなたにしては珍しいテイストじゃない?」
「この前買ったインテリア雑誌を参考にして、少し新しいジャンルにも挑戦してみたんです!」
「そうだったのね。こういうのも、素敵だと思うわ。」

小夜子が褒めると、満莉愛は嬉しそうに笑った。

「ごめんなさい、少し眠たくなってきたわ…。もっと話していたかったんだけど…。」

不意に”睡眠”の概念を思い出したらしい小夜子が、申し訳なさそうに告げた。

「良いんですよ。というか、眠れるのは良いことです。」
「そうよね、ありがとう。よくわからないんだけど、なんだか今日はゆっくり眠れそうな気がするの。」
「それはほんとうに喜ばしいことですね。どうかゆっくり、眠ってくださいね。」

「おやすみなさい。」と互いに交わし、小夜子が目を閉じたことを確認した満莉愛は、タブレットにまた新たなデザインを描き始めた。

「あ、そうだ。」

しかし、1分と経たないうちに、目を開ける小夜子。

「どうしました?」

満莉愛が問いかけると、小夜子はイタズラな笑みを浮かべて、願いを言う。

「はやく、わたしのベッドをつくってね。」

その願いを聞いて、満莉愛もまた、微笑むのだった。




【終】


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