見出し画像

タイの外食の多様性と「自由」

「日本は一度行ってみたい国だけど、食べ物が心配でその気になれないんだよね」

10年以上前のことですが、タイの語学学校に通っていた頃、カナダ人のクラスメイトがそう言っていました。彼が菜食主義者であることは知っていましたが、「タイでの外食に不自由がないなら、日本での食事も問題ないはずなのに」と思い、なんだか腑に落ちない気持ちで聞いていました。
肉以外のタンパク源として重宝する、豆腐をはじめとした大豆製品も日本が発祥のもの。むしろ日本のほうが、食の選択肢は広くなるのではないかという印象すら持っていたのです。

当時、わたしは「ベジタリアン(Vegetarianism)」や「ビーガン(Vegan)」という言葉は聞いたことがあるものの、その内容はあまり理解しておらず、さして関心もありませんでした。
しかし、その後世界の様々なスタイルの食の制限や規定について耳にすることが増え、知識も増えてきました。今になって、日本での外食は確かに、食材を調べたり、特定の食材を避けたり、置き換えたりということが、タイと比べてかなり難しいのだということの意味がわかるようになり、クラスメイトのことを思い出します。

特定の食材を口にしない(できない)人は意外に多い

口にするものに対して制限や禁忌を設ける理由は、人によって様々です。健康のため、動物愛護のため、また地球環境への配慮といった場合もありますが、最もよく知られているのは宗教的理由ではないでしょうか。

イスラーム法で食べることが許された食材や料理を表す「ハラール食品」という言葉は日本でもよく知られています。
「仏教国」とされるタイではイスラーム教徒は少数派ではありますが、ハラールに対する意識は高く、多くの学食やフードコートに認証を受けたハラール食品のお店があり、留学生や外国人観光客を含めたイスラーム教徒に利用されています。また、こういったお店はイスラーム教徒以外の人も普通に利用することができ、多くの人が食事をしています。わたし自身も、仏教を信仰するタイ人の友人と特に意識することなく選んだお店に、ハラール認証マークを見つけたことがあります。
 タイでは食品の輸出が盛んで、なかでもハラール食品は成長市場として注目されており、国際基準のハラール認証を得ている企業も多いです。国立大学のチュラロンコーン大学には、「ハラール・サイエンス・センター(Halal Science Center)」が設置されており、ハラールについて専門に研究、認証を行っている他、ハラール食品かどうかを判断するためのスマートフォン向けアプリの開発なども行っているといいます。

イスラーム教のほか、タイの仏教徒にも宗教的理由で禁忌を守っている人がいます。仏教の戒律には不殺生が入っているため、厳密には肉食は忌避されます。それでも鶏や豚は日常的に食べている場合がほとんどですが、実は「牛肉は食べない」という人はタイ人には非常に多いです。これが少しややこしいのですが、タイ語では一般的に豚肉のことは豚を表す「ムー(Mu)」、鶏肉はニワトリを表す「カイ(kai)」というのに対して、なぜか牛肉のことは牛を表す「ウア(Ua)」ではなく、肉類を総称する「ヌア(Nua)」のほうに略します。以前、タイから来日したお客様を接待する際、「なまものはだめ」と聞いていたのでお寿司以外のお店にと焼き鳥屋を予約していたところ、「ヌアは食べない」と聞いて焦ったことがあります。よく聞けば「ヌア・ムー(豚肉)とヌア・カイ(鶏肉)は食べるけれど、ヌア・ウア(牛肉)は食べない」という意味で、無事に焼き鳥を楽しんでいただけましたが。

タイ上座部仏教はバラモン・ヒンドゥ教の影響を受けており、牛を神の従者として神聖視し食用とはしないバラモン・ヒンドゥ教にならって牛肉を食べない、というのがひとつの理由です。また、中華系など、観音信仰を持つ場合にも、牛肉は避けられます。観音様が仏道に入るのを反対した観音様の父親は、地獄で裁きを受けた後に牛に転生したという物語があり、観音様のお父さんである牛を食べることはできない、というのがもうひとつの理由なのです。

タイではハンバーガーのマクドナルド、ステーキのシズラーなど、外資系のチェーン店でも、魚介、鶏、豚肉のメニューが充実しています。日本から進出した焼肉の牛角、牛丼の吉野家でも牛肉以外のローカライズされたメニューが取り入れられているのを見ることができます。

画像1

タイスキチェーンのメニューの1ページ。肉以外の選択肢として魚介や練り物の種類も充実しています。

タイでは一般的に牛肉以外の選択肢のほうが多く、そもそも牛肉を食べる機会がほとんどないために、特に強い主義があるわけでもないが自然に牛肉を食べる習慣がないという人もいます。そのような人のなかには、「普段は食べようと思わないけど、外国に行ったら食べるかも」「タイの牛肉はあえて食べないけど、日本に行ったら食べるよ」というタイプの人もいます。

牛乳よりもココナツミルクが一般的なタイは、牛肉だけでなく、乳製品についても需要が少なく、畜産業のなかで牛の割合は圧倒的に低くなっていますが、近年では、輸入の牛肉も流通しています。2011年から、日本からタイへの和牛の輸出も解禁されており、「食べるべきでないもの」というイメージだけでなく、「高級で特別なもの」というイメージを持つ人も増えてきているようです。

タイのベジタリアン週間

タイで菜食といえば、チェー(je)と呼ばれる特殊な期間があります。漢字で「斎」、英語で「Chinese vesitarian festicval」 と書かれ、旧暦の9月1日から9日間、魚介類を含む肉類、乳製品、動物性油、アルコール、香辛料、香草を除去した食事をするというものです。この期間には、「齋」と書かれた黄色い旗を目印に、チェーに則った料理がいたるところで売られるようになります。食生活だけでなく、派手な服装をしない、殺生をしない、タンブン(仏教的な積徳行為)を心がける等の行動規範を課す場合もあります。いわゆる「断ち物」としてなにかの願掛けをしてこの週間に臨む人もいれば、健康のためのデトックスの機会と捉えている人もおり、取り組み方も、9日間を通して実施する人もいれば、9日間のうち3日間だけという人、外食の時だけという人、様々です。

起源には諸説ありますが、キンジェーの期間に盛大なパレードなどを行うことで知られるプーケットでは、中国から巡業に来ていた雑技団が病にかかり、回復を祈って肉を絶ったところ病が治癒したことが始まりだとされています。以来、住民たちの間で願い事の成就のために一定期間菜食を行う習慣が定着したというのです。

友人のひとりに、毎年チェーに熱心に取り組む人がいます。彼女は幼い頃病弱で、母親が「元気に育って欲しい」という願をかけて肉を絶ったところ病気をしなくなり、以来彼女の家ではチェーの期間に限らず、食卓に肉類がのぼることはなくなったそうです。彼女自身は外食等で肉類を口にしたこともあるそうですが、肉食には馴染めず、大人になった今では自身の意志でチェーに取り組むだけでなく、日頃から肉は断っているそうです。

画像3

露天商のお惣菜屋さん。できあいのものを扱うお店でも、チェーの時期はベジタリアンメニューの選択肢が増えることも多い。

食材の除去も追加も特別なことではない

タイ料理からナンプラーやニンニク、出汁を含む動物性のものを常に完全に除去するというのはチェーの時以外ではなかなか難しいものですが、肉だけの禁忌であれば意外に簡単に守ることができます。

ベジタリアンに対応したお店も日本より多いですが、それ以外のお店でもタイの料理店ではカスタムメイドが主流で、固定のメニューから選ぶというより、組み合わせて注文するという方式です。
麺類なら、麺の太さ、汁の有無、具の種類を、炒めものなら具や辛さを指定します。「肉なしで」「野菜だけ入れて」という注文も、特別なリクエストではなく一つの選択肢として対応してもらえます。さらに、多くのお店では飲み物の持ち込みをしたり、別のお店から取り寄せた料理を同じテーブルで食べることもマナー違反とはみなされないので、好みや食事規定が異なる者同士でも気兼ねなく一緒に食事が楽しめます。

画像3

屋台からホテルのレストランまで、タイでは食材だけでなく、味付けについてのリクエストも、決して失礼にはならず、ごく普通のこととして対応してもらえます。また、甘いもの、スパイシーなものなど複数種類のつけダレが添えられるほか、テーブルには常に砂糖、酢、ナンプラー、唐辛子の調味料が揃っているので、味の好みが異なる者同士でも一緒に食卓を囲めます。

一方、日本では「ラーメンをチャーシュー抜きで」「カルボナーラをハムなしにしてもらえますか」というだけでも厨房へ確認が必要だったり、注文する際にお店に気を使うものです。また、持ち込みをする際には、アレルギーなど特別な理由を説明したり、事前に追加料金を支払ったりする必要があったりと、なかなか大変です。これが外国語での注文となるとさらに面倒なことになるわけで、考えてみれば冒頭のクラスメイトの発言も納得です。固定メニューの料理につかわれている食材を確かめる必要もあり、旅行者にとってはますますハードルが高くなります。 

日本ではアレルギーに対しては、食品表示などの対応が進んできましたし、宗教的な禁忌食品にも、少しずつですが理解が広がっています。しかし、自ら主義によって食物規定を設けることについては、「好き嫌い」や「わがまま」とみなされたりと、まだまだ配慮が足りない部分があります。一方で、各自が自分の食べたいものを食べたいように食べることが当たり前になっているタイの外食文化は、日本のものにはないその「自由さ」も大きな魅力になっています。

この文章は、日タイ経済協力協会2019年発行『日・タイパートナーシップ (163)』, pp47-49に掲載されたものです。 


この記事が参加している募集

多様性を考える

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?