見出し画像

幸田露伴・明治の東京で「仲夏雑感」

仲夏雑感

 夏の朝は他の季節にない好い心地がする。日中の十二時から三時半ころまではどんな楽天家でも外なんぞを歩くことは出来ない。東京は海に近い都だから天気の好い日ならば必ず南風が吹く、苦しいと云ったところでそう大して長い時間ではない。支那(中国)だのアメリカだのの暑い話を聞くと云うと、東京の夏は楽な夏に違いない。それでも身体に故障があると随分休憩する。涼しい心持ち方を云えば朝早く起きることで、どんな暑い時でも日の出前の景色は他の季節と違った好い心持ちがする、私などは痰持ちなので寒いと早く起きられないが、夏は早く起きても咳に悩まされると云うような事も無い。暑い日の翌朝はどうしても露が多い、明け方に庭などを歩くと随分気持が好い。従って読物や書き物なども季節がら朝早くでなければ出来ない。殊にこの向島付近は暑くなる日でも川の水が動かないことは無いから、従って風が無さそうな日でも空気は流動するし、水気も自然多いという訳である。
 僅かな草木でも夏は発生の気が強い、麻などの容子も違っている。一年生の草などは僅かに一年限りのものだから、夏の朝の勢いといったらない。雑草なども朝露を帯びているところは憎くない。朝風というものが、他の季節でも快いが、秋などは落葉などを誘って悲しいが、夏は他のものが活き活きしているのと夜露で復活しているその配合(つりあい)のせいでもあろうが、殊に心地好く感じられる。いくら寝坊が好きになっても、夏だけはやはり早く起きないと一日の中の快い時を失う事になるから、大変に損する。夕涼みは別にどうという事もないが、庭でも掃いて打ち水でもする。座敷もコザコザ(こまごま)しないようにして置いて、空気の流通のいいようにする。先ずそんなところで之と云う事も無いが、夏の夕方に咲く花はまた自ずから異なった趣がある。夕顔などの花が白く咲いている、その他ちょいちょい夕方咲く花がある。これも他の季節には見られない趣で、蔦物などには夕方勢いよく咲くものがある。朝咲く朝顔や日中に勢いよく咲く向日葵(ひまわり)は他の花より立派でまことに夏の勢いを示したような花である。一寸俗なようにも思えるが、そう思わないで見るとナカナカ好い花で、尾形光琳のような天才な画家が描いたら必ず好い画になるだろう。下手に観察すれば何だか俗悪なもののように見える。何にせよ春は花と云うがそれは花の無い冬に比較して云った迄で、本当に云ったら日本などでは夏が花の季節ではなかろうか、朝咲くもの、日中を殊に誇るもの、夕方また咲き出して来るもの、といろいろある。先ず蓮や向日葵というようなものが水にも陸にも咲いているし、小さいのでは露草のような優しい、小さいものもあるし、また花もだが葉を観賞するものでも夏に限ると思う。先ず芭蕉などは申すに及ばず蓮の葉も奇麗だし、糸瓜(へちま)や夕顔などは野生のままでも面白味がある。殊に蔓物の葉ときたら何の葉でも俳味があって面白い。
 常盤木は夏だからと云って褒めるべき木ではないが、檜の類や杉の類などはどうしても夏の方が余計好いように思われる。園芸家の側から云えばいそがしい好いものに忙殺される時だろう。蜜柑類や柚や橙などの花橘の香りが匂う時期から夏になって秋の初め迄は何によらず生気が強い。このように物の生気が強く盛んという事が夏の特徴であろう。草木は皆僅かな時間で非常に大きくなる。たとえばトウモロコシのようなものがある。他の蔓草なども一年生でも非常に大きくなる。これは人間がそう理解して見るから勢いが良いと感ずるばかりでなく、その物の生気がそう現れているに違いない。その物の勢いの好い所を見て、盛んな感じを受けるのであろう。トウモロコシの葉がグッと出ているところは力があって実際立派なものである。向日葵も僅かな時間にズッと伸びて秋へ跨る。それ等のものは皆夏の生新な趣を現わしている。
 日盛りばかりで観察すれば夏は懶惰な時で、人間もダラケて仕舞って、日中の草木と共にウナダレて居る。日中は水分が無暗に蒸発するから葉も勢いが無くなる。日中は先ず午睡(ひるね)でもする訳なんだろうが、朝のうちの感じは爽快でもあり、気持ちが引き立つような気がする。夕霧の降りる頃になれば草木も復活して勢いが出て来る。人間もまた散歩に出るとかして午睡していた人も勢いが出て来る。夏に旅行して日中に歩いていると、どんな好い景色でも見劣りがするような気がする。実際見劣りするのでは無いだろうが、草木が弱って生気が乏しく見えるせいもあろう。人間も確かに弱るに違いない。本などを読んで居ても極く暑い時には何だか本に催眠術でも懸けられて居るようである。尤もこれは止むを得ない自然の理であろう。暑さを忘れるような本に出合えば豪気なもので、そうなれば大変有り難いが、そういう本は余りない。先ず催眠術の方が多くて困る。画などもそうで、暑い時に見ても良いというのは好いに違いないが、そういう訳にはいかない。気分の好い時に見た方がやはりどうも良いようである。
 日の出なども春や秋とも違った感じを与える。殊に暑くなる日は容子が違う。まさに人を鼓舞振起するようなところがある。それからまた明日は暑いという前の晩の月の出なども容子がちがうように思われる。無論これは水分の関係であろうが、夏の月の出の快さはまた一種特別な心持で、他の季節では感じられないものである。これは愚説だけれど、空気の中に含まれて居る水分の加減であろう。大きい川などでは趣が大分違う。海で見ては尚の事、いろいろ趣があるから、南国の熱帯地方へでも往って見たら必ず違った感じが得られるだろうと想像する。
(明治四十四年七月)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?