バブルとは何なのか、どうすればいいのか 投資と消費とは

今回はバブルというものを考えてみたいと思います。

一般的なバブルの定義とはファンダメンタルズを超えて資産価格が上昇することとされています。バブルが難しいのは価格上昇の真っ只中ではその資産価格の妥当さは判別できず、未来の何処かの時点で答え合わせとなるということです。その答え合わせも更に未来では正解かどうかはわからない。

バブルがなぜ弾けるのかということを端的に表現しますと、資産から得られるリターンが資産の取得価格と見合わなくなり、どこかの時点で売りが超過して値崩れが起こるということです。値上がり益を見込んでの投資にすぎないので、本来の実力と思われる水準に見合った価格まで下がることになります。

バブルとは突き詰めていけば将来に実物の財サービス購買力を保全する行為の加熱と言いかえることが出来ます。現預金でも株式でも不動産でも何でも良いですが、資産を保有する動機はそれそのものに価値を見出しているからではありません。未来のどこかの時点においての生産物の交換を保障してくれるからこそ保有したいと考えます。つまり消費のタイミングを後ずさりさせる行為です。これを考えていく現預金を始めとする流動性の高い資産の存在自体がバブルの源泉であるということが顕になります。お金は二重の欲望の一致が実現しなくても、お金を媒介にすることで片方が消費を後退りさせ取引を成立させることを可能にします。流動性を利用した経済活動をする以上の必然的な存在がバブルだと言えます。

実物で見ると金融資産等の流動性が高い対象の購入は現在の自身の消費を抑制することで現在消費したい人に実物の使用権を与えることと言えます。

具体的な例え話にしてみます。兄弟で冷蔵庫にプリンが一つしか無いとき、兄は弟に今度はプリンを自分が食べるという権利=債権の存在を宣言し、今回は弟にプリンを与えます。金融資産の購入の効果とは俯瞰すればこうなります。弟は次回はプリンを兄に差し出すという債務を負います。

結論から言えばバブルが起こりそして弾ける原因は現在の消費(プリンを食べるようなこと)を後ずさりさせ過ぎることにあります。最終消費される財・サービスとは単年度で全額を費用化する実物資産であると言い換えられます。消費行為こそバブル潰しです。根拠は繰り返しになりますが定義的に消費行為とは会計面で見れば単年度で資産を全額費用化すること、実物面で見れば対象のモノを使用することで物理的に劣化、消滅させ使用不可能にすることだからです。非常に大雑把に言えば短期で物理的に劣化、消滅する実物の使用を消費と呼び、会計的にそう処理していると言えます。不完全なのでその定義の問題点は以降に記述します。使用価値の消滅に長時間が存在するものは法定耐用年数が設定され、それに応じて毎年費用化していきます。一定の期間のある消費です。消費の投資の間に存在すると言って良いでしょう。そもそも消費と投資は容易に、厳密に定義できるものではないのです。全てはグラデーションでしかありません。経済とは状態が刻一刻と変化する非常に曖昧で複雑なものです。

当然物理的な側面と会計的な側面にはズレが当然生じますが、定義を細かくしていくと事務的に処理不可能なのでざっくり対応していると考えればよいでしょう。

ワイン投資というものがあります。ワインは時間の経過で値上がりする(投資)し、飲んでも美味しい(消費)とワインの購買意欲を煽るわけです。ワイン価格が落ちようにするためにはワインが適宜飲んで(=物理的に消滅させること)希少性を維持する必要があります。尤も適切に管理されたワインでもあまりに古いと美味しくはないようで、そういう意味で時間の経過で物理的に劣化しどこかの時点で価値を失うようです。しかし飲んで美味しいという使用価値が消滅しても歴史的な意義などの骨董品的な価値がつくこともありますから、物理的に劣化すればすぐさま費用化すべきとはならない、減価償却が認められない金融資産に近い性質のものになるのが難しいところです。こちらが上で述べた定義の不備になります。

どれだけ素晴らしい事業を開始しても素晴らしさはその事業が生み出した商品が利用されることで売上が立つということでしか定義されませんし出来ません。多くの人間が未来に購買力を持ち越すこと自体を目的としている限り金融資産への投資が過大となり、消費が萎縮しますから現時点での売上が立たないことでその事業はダメな事業だったと観測されることになります。

実物の支出(劣化、消滅することで貨幣から遠いものになりゆくモノ)を優遇することはバブル封じになります。現在の状態は歴史的に見ても極めて低い国債金利、言い方を変えれば高い債権価格を示している、いわば国債バブルです。この状態を正常化するには過去エントリで繰り返していますが現預金含む多くの腐らない、未来に購買力を持ち越しやすい流動性の高いモノへの課税を強化するべきです。言うまでもなくそれは実質的に債権者が将来得られるはずだった利益を潰すことですから、一種のデフォルトです。

しかし未来に購買力を持ち越したい債権者の債権の喪失=費用化を通してバブルが小さく小さく弾けて経済を好調状態に導くわけです。身近な例ではクレジットカードなど各種決済サービスのポイントがこのようなことをしています。期限が決められており現金化しようとすると多くの手数料を取られる。ポイント保有者は消滅期限までに実物の商品を購入して利用せざるを得ない。

国債バブルは政府、中銀が無尽蔵に通貨を供給して価格保証するため超長期に渡ってバブル状態が維持可能です。これは民間の不動産投資等によるバブルでは不可能なことです。上場株や不動産等民間主導の資産バブルは政府・中銀が引き締め圧力を強化しますし安易な価格保証もしないので日本の平成バブルも10年持たずに弾けましたが、国債バブルは平成バブル崩壊後30年近くに渡って負け知らずです。

しかしいずれにせよこれらは流動性に近いものへの需要の超過であり不健全な状態ですからあまり肯定すべきでは無いと考えます。

MMT論者は一般的に財政黒字は経済危機の兆候であると懸念します。経験的に確かに事実です。日本の平成バブル、アメリカの00年台のバブル、どちらも政府財政は好調でした。しかし財政収支が改善すること自体が常に悪いわけではなく、お金に近い性質の資産価格が好調な好景気に過ぎなかったことが問題なのではないでしょうか。

日本において平成バブルはそれ以前と比較して低いインフレ率の下で起こりました。資産価格は顕著に上昇したけれど足元の消費の熱はそれほど上がってこなかったのです。しかしこれは実際は逆の因果関係であり、実物が消費されない結果、資産が買われたということです。当然ながら資産は期待に見合った収益を上げられないのでオーバーシュートします。そして戦後未経験の大不況(国債バブルとも言う)が始まったのですが、戦後のインフレ率の長期的な下落という趨勢を鑑みると平成バブルの時点で消費が足りずに実の所は現在まで続く大停滞に向かって着実に進みつつあったあったという状況にあったのだと考えられます。この経験から私は資産効果なるものは疑わしいと考えています。資産価格の著しい上昇は弱い消費の結果に過ぎない可能性が高い。

話を本筋に戻します。お金から少しだけ距離があるけどお金に近い性質の資産価格を走らせても一時的な好調しか維持不可能であることをもって、政府債務の絶対的・相対的な縮小を全否定することには論理の飛躍があるように思われます。強力な富裕層課税やブレトンウッズ体制による資本移動規制の崩壊等、二度の世界大戦の過程で形成された経済秩序が崩壊していく中でが実物への消費・投資に需要が向かわない態が強化されてきた結果ではないでしょうか。バブル時に法人税は戦後最高水準にありましたが、所得税の最高税率は下落の只中にありました。個人への所得税が下がれば役員報酬や株主配当がまた流動性の高い資産への再投資に回ることが促進され足元の物価が上がらない原因になります。

資産価格のみが偏って上昇し、物価は上がらない。しかし資産価格の上昇を看過する訳にはいかない、この状態で経済を引き締めるとファンダメンタルはついてこないわけだからバブルが弾けてしまう。当時のFRB議長のグリーンスパンはリーマンショック以前に資産価格の上昇に歯止めをかけるために短期金利を上げると長期金利が下がってしまったことをコナンドラム(謎)だと発言しました。

これが意味していたのは将来のバブル崩壊と経済の絶不調でした。今になってみれば謎などどこにもありませんでした。資産価格だけが物価と乖離して上昇する状況は中央銀行の人々にとっては暑がっている人と寒がっている人を一台のエアコンで空調するようなものです。

つまり金融資産を含めた市場に存在するあらゆる商品の価格の乖離自体が経済運営を難しくしますし、経済調整を市中銀行間決済を管理するだけの権限しか与えられていないと言っても過言ではない中央銀行に期待するのは最初から無理があることです。

バブルを封じることはは中銀の利上げでは不可能です。政府がバブルができるだけ起こらないような経済政策を実施する以外にありません。それは何度も申し上げている通り流動性全般への広範囲な課税です。その制度下において課税から逃れようとする結果、費用化(物理的に見れば劣化、消滅)されるものへの支出が増え、構成員全体が将来に持ち越したい資産規模が小さくなる事でバブルが起こりにくくなります。

そのような理想的な状況が実現した際には、より少ないマネーストックでより大きな名目GDPを達成することになるはずです。実際の事業が活発化することから実質GDPも潜在的な限界まで成長することが期待できます。

つまりバブル潰しと景気対策は実は繋がっているのであり、景気のためのバブルを容認論というのは前提となっている状況がおかしいからこそ現出するのです。

しかしこのような理想的とも思える経済状況は多くの人が望んでないのではないだろうか?という疑念を次回のお題にしたいと思います。

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