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ずっと俺を苦しめていた考え方。「人より出来て当たり前」

読みに来てくれてありがとうね。

俺のものの考え方を小さい頃から辿っていくね。


俺の小学校は人数が少なかった。

俺のクラスは男4人、女6人の10人。

勉強は出来た。といっても10人中だから出来ていたんだかよく分からない。



勉強出来ると先生が褒めてくれる。ちゃんと勉強してるしっかり者。クラスでいつも1番。

もう1回言うけど10人中だけどね。



人より優位に立つ事に喜びを覚えた。

今で言うマウントだね。

セキララ君の考えは一味違う。そう言われたい。



誰かが図工の時間に絵を褒められた。

その絵を見てみる。

なるほど、ここの部分が良く描けてるから褒められたんだな。



その絵に対抗する。

すると「その子より更に上手いね」って褒められる。

上手く描く事が目的じゃない。人より優位に立つ事が目的。



中学校に入る。

人より優位に立ちたい気持ちは更に大きくなる。

小学校の同級生の推薦で、クラスの委員長になった。



委員長としての言動は完全に調子に乗っていた。

褒められる事を分かっていて、少し背伸びした立派な言葉遣いをしていた。

「さすが」と言われる為に生きているような学生生活だった。



行きたい高校を決めるとき。

図工が好きだったから工業高校に行く事も考えた。

でもそこは余り学力が高くない高校だった。

メンツの為に進学校に行くことにした。

「さすがセキララ君、1番頭の良い高校に行くんだね」と言われたい。



高校。途端に勉強に付いて行けなくなる。

進学校で頭の良い人達が集まってくる。



高校に入って衝撃を受けた事がある。

それは「勉強が出来ない生徒に先生が冷たい」という事。

それまで全く気付かなかった。小、中と褒められ続けていたから。先生はニコニコしていた。



高校での先生たちの冷たい態度には、かなりの影響を受けた。授業を受けていても全く落ち着かない。

場違いな感覚をずっと感じていた。



高校では放送部に入った。全国大会があって、本を朗読する部門でいい成績を収めた。

部活が唯一、人より優位に立てる場所だった。



卒業後、県外に就職。数ヶ月で退職。



実家に帰って派遣社員として工場に勤務。まあまあ仕事が出来た。まだ優位に立てる場がある事に喜んだ。



ある時職場に女性の派遣社員が入ってきた。少し年上。

とにかく性格が合わない。

その人と上手くやる事が出来なかった。


その人の事を気にするとガクッと能率が落ちた。

「出来ない人」になってしまった。


「出来ない自分」なんて、あってはならない事。

「人より出来て」はじめて自分で居られる。

人より出来る事が俺の存在価値。


ありのままの自分には何の価値も無い。

「普通」じゃダメだから、何か違った事をやらなくては。

すごいって言われる事をしなくては。


それがことごとく裏目に出る。空回りしっぱなし。


限界以上の事をしようとしてたんだね。

何が何だか分からなくなって、最後は無断欠勤してそのまま退職。



振り返れば、俺は同級生や同じ時に入った派遣社員なんかを見下してたと思う。

俺はお前たちよりワンランク上なんだって。


「友達」というものを知らなかったんだね。

🌱🌱🌱


自分1人だけが特別な人間って思われたいから、人より頑張ろうとするんだね。

出し抜いてやろうって気持ち。

その裏側には「ありのままの自分には価値がない」って気持ちがあるんだね。


それと もう1つ。「俺がみんなと上手くやれないのは、考え方のレベルが違うから」っていう、

コミュニケーション下手を隠すため。

結局は、なんて事ない「人見知り」から始まったのかもね。

🌱🌱🌱


今まで書いた事は全部、俺の個人の感想だよ。

人よりいい結果を出したい、って決して悪いことじゃないよね。良く頑張ってる。


今日はそんな感じだよ。


読んでくれてありがとう。またあしたね🌱



















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