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枯日海

電車の中から海が見えた。さびしそうな顔をしていた。灯台の光は真昼の中で行き場を失っていた。そもそも光っているのかすらも分からなかった。薄ら白んでいる光景を見て、それから母を見た。母は眠っていた。健やかな寝顔の中に、あの日、私が見た影の名残がまだ少し残っていた。ふと、母の肩に身を預けたくなった。それでも私はまだきっぱり、母に全体重をかけることが出来なかった。
半分だけ母のほうに預けた私自身が、水平方向に移っていく。さびしい景色と一緒に。さびしそうな母と、海と、それから夏の終わりという季節と。

駅に降りると、どこからかお醤油の匂いがした。 猛烈にお腹がすく。隣の母に問いかけてみる。

「ねえ、まずはごはんを食べない?」

この匂い、と私は母に分かるように鼻を動かす。 母は微笑んで、美味しそうな匂いだね、と言った。
海に行くまでの一本道にある、ロータリーを突っ切ってすぐの定食屋さん。香ばしいお醤油の匂いはそこから駅のホームまで薫ってきていた。私たちは誘われるようにしてその暖簾をくぐった。昔ながら、という言葉がとてもぴったりな店内だった。手書きのメニュー、使い古された醤油さし、ひびの入ったテーブル。慎ましやかな佇まいが気に入り、お店のおすすめだというブリの煮つけ定食を頼む。母も同じものを頼んだ。調理場から漂ってくる、濃密なたれの香り。思わず顔がほころぶ。

「なんだか、歳を取っちゃったなぁ、私も」

母がぽつりとつぶやいた。目じりには小じわができていて、私から見ればチャームポイントだと思えるものだったけれど、それを気にしているようだった。

「人生って、思ったより色々なことが起きるものなんだね」

店内にかかっているラジオが、平成最後の夏にしたいことをリスナーに問うていた。ザザッ、とノイズが走る。私には、それが波の音に聞こえた。

「はい、おまちどおさま」

店主が持ってきた煮つけ定食は湯気が立っていて、煮立てのブリがたっぷりとタレに浸されて載っていた。私と母は無言でそれを食べた。あまりに美味しくて、美味しくて、言葉を交わすことも忘れていた。その時の私たちは本当に無垢だった。与えられたものをひたすら咀嚼し、自分の内側に降りていく幸福を噛みしめていた。

私たちは似ている。こういう時に、とてもよく似ているなぁと思う。愛情だったり幸福だったり、それに向かい合った時の姿勢が。
だから親子なのだ。
だからこそ、離れがたい関係なのだ。きっと。

ザザン、ザン、シュワ。
波の音はこんなにも遠く聞こえるのに、なぜさびしくないのだろう。こんなにも夏の終わりの海は白んでいるのに、なぜまだ夏の気配をそこに感じるのだろう。私の中にあの日の向日葵の残像が残っている。向日葵に重ねていたお互いが、私たちの中にまだ生きている。夏を終わらせることができない。さびしさを見ないふりしていたいのだ。

母と私はふたたび言葉を無意味にしながら、静かに波打ち際を歩いた。時おり、到底きれいな色ではない砂を両手ですくいあげ、風の中に解き放ったりした。枯れた向日葵が私の記憶に咲いていた。母の横顔がきれいで、私の輪郭はそれを受け継いだのだと知った。飽和した光の中で、私はいつの間にか母のことしか見ていなかった。

母の姿に、永遠の夏を、消えない影を見ていた。


※2018/11/25 文学フリマにて頒布した中編小説「愛をくれ」(サンプル↓)

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の後日談として無料配布したフリーペーパーの短編です


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