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大学生と社会人のはざまで思うこと

先日、大学を卒業して、4月1日から社会人になる。

「あと5年くらい大学生でいたい。」

就職活動が現実的になってきた大学3年の秋、よく友人が言っていた言葉。
うんうん、と頷いて見せたが、私はどちらかといえば早く社会人になりたかった。

大学生活は楽しかった。
人間関係が苦手な私が、様々なご縁のおかげで人から好かれている実感を得ることが出来た。本当に本当に恵まれた環境にぬくぬくといられた。

授業にそこそこいきながら、バイトしてお金を貯め、旅行をしたり好きなものを買ったりして自由を謳歌していた。
時々文章を書いて、鼻歌を歌った。

ただ、宙ぶらりんな、大学生という期間が苦手であった。
親のおかげでこの自由を謳歌している、その感じが、なんとなく嫌だったのだ。

「早く社会に出たい。」
その想いはあったが、就職活動は苦労した。

書くことや、創ることが好き。
何か、自分の粗末な「くりえいてぃびてぃ」を発揮して、人が喜んだり、自分のことを評価してくれるなら、幸せ。

そんな幸せが得られる仕事をしたい。

そんなふんわりとした理由で就職活動をしていたから
受け入れてくれる場所があったのは奇跡だったかもしれない。

そんな理由で、と一蹴されたこともあるが、それが本音だったし、
嘘がつけなかった。

芳しくない戦績の中、そんな私でもいいと言ってくれる企業があった。

その企業は最終面接で、半ば口論になり、険悪なまま面接が終了した。

あー、これは、と。
落ちただろうなあと思っていたら、もう一度最終面接に呼ばれて内定した。

自己肯定感もなにも、もともとなかったうえに就職活動中はさらに薄くなっていた。
就職活動中の後輩には、「なんとかなる」ポジティブ精神を推奨しているが、それは推奨であり、そんな精神を保てるかはまた別の問題なのである。

それに加えて6月ごろ、「ここではない。」と思った企業を内定辞退していた私に、やきもきしていた両親や祖母の圧力が自宅に立ち込めていた。
もしかしてどこかに10円玉ハゲがあるんじゃないかと思うくらいのストレスだったので、「内定です。」そう電話をもらって、心底ほっとした。

期待を裏切らないでいられて、よかった、と思った。

思ってみれば、親の顔色や、家の雰囲気を気にして生きている節がある。
家族のことはもちろん好きだ。愛してる。
この家に生まれてよかったと本気で思っている。言わないだけで。

けれども、時としてがっかりさせてしまうことへの恐怖に、家が窮屈に感じてしまうこともあるから。

この自由を無駄に使っているのではないかという不安が、大学生活のきらめきの影にあった。
両親や、家族にしてみればそんな気持ちでいることの方がよっぽど迷惑だろうし、私も親になったらそんなことを子供に考えてほしくはないのだが、不自由な性分である。

4月から社会人になる。

自分の努力でお金を稼いで、自分の力で自由を得る。
新たな人間関係を構築せねばならぬ不安もあるが、やっと、やっと。

世渡りがうまくできない自分の世話を、自分でできるようになる。それがうれしいのだ。

4月が始まって、自分が何を思うのか。
ずっと私を支えてくれた友達に、家族に、私を好きでいてくれる人たちに何が返せるだろう。もしかしたら返さなくていいと言われるかもしれないなあ。返せても、精々飲み会の席で一杯おごったり、ケーキ買って帰ったり、その程度かもしれないけれど。

わずかでも返したいのだ。感謝を形にしたい。
私は冷静ぶっているだけで、意外とエモエモしいし、感激しいなのだ。

そして学生時代と変わらず、書き続けたい。こんなどうでもいい話を。

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