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ひとりっこの王国

「ひとりっ子 協調性がない」

ひとりっ子の人は、一度は言われたことがある言葉ではないだろうか。

世間にまるで真実のように流布する思い込みである。個人的に、ひとりっ子の娘を6年近く育てている親としては、「ひとりっ子」という単体の要素だけで性格が決まってたまるものか、子育てはそんな単純じゃないぞという気持ち。

こうしたステレオタイプは、考えなくて済むので使うほうは脳みそが楽だ。だから、たくさんの人がすぐ信じちゃうんだと思う。

言われたほうは、はっきりとした負の感情でなくても、モヤモヤする。主語を大きくした対話は、この先どんどん嫌われる気がする。

娘、ただいま5歳と10か月。親目線で言えるとことして、彼女の家での環境は、ひとりっ子であるがゆえに「競争がない」。

チャンネル争いもないし、お菓子を兄弟と奪いあうこともない。なんというか、三人兄弟で育った身としては平和に暮らしているなと思う。

娘は、なんだかとても優しい。

先日、一緒にリンゴを食べた。お皿から、少しづつ減っていくリンゴのスライス。さいごの一切れが残った。すかさず「じゃんけんしよ」と提案してくる娘。

欲しいといえば、あげるのに。娘は、わざわざじゃんけんがしたい。ちょっとめんどくさいなと思いながらも、付き合う。そしてこのじゃんけんは、娘が勝つまで終わらない。

つまり、さいごの一切れをもらえると自覚しつつ、じゃんけんで勝つ形式を踏みたい娘の完全なる出来レースだ。

3回じゃんけんして、娘が勝つ。「どうぞ」とお皿をよせると、娘は最後のスライスを手にした。そして、それを半分に割る。

「おかあさん、半分こしよ」

手にしたピースの片割れを、ちゅうちょせず私にくれた。

「ひとりっ子だと、そんなに親が見てられるんだね」

仲良し家族と合同でハイキングにでかけたとき、三人の子どもを持つ友人が、私たち家族を眺めながらポロリとこぼした。彼女の子どもたちは、すでに10代に差し掛かっている。だいぶ離れた年の我が家の娘の姿をみて、昔を思い出したのだろう。

「うちなんて、わちゃわちゃだったわ」

彼女の言葉に、私は不意を打たれた気がした。私は、彼女の3人の子に遊んでもらっている娘の姿をみながら、別のことを考えていたからだ。

急な斜面をスイスイ上るお姉さん・お兄さんに、負けじとがんばる娘。ブランコにのる娘の背中を、やさしく押してくれる年上の子どもたち。

きょうだいがいるって、こんな感じだったのか。むけられる眼差しが増える。「親対子ども」だけではなく、もう少し複雑な家族の関係性がつくられていく。

我が家のひとりっ子の王国は、それと比べるとずいぶんと静かだなと思った。両親のキスを独占してその頬に受ける娘から、「さみしい」って言われたらどうしよう。

世の中には、家庭の数だけそれぞれの王国がある。そして、そのなかには語られることのない喜びも悲しみもある。

娘のやさしさは、ひとりっ子だからではなく、それは彼女が彼女であるからだ。

彼女は今日も。

布団で限界まで隣の母にくっつき私に窮屈な思いをさせる。
ちょっと見てないスキに、食パンにチェリージャムをべったり塗りたくる。
登校するやいなや、お友だちとうれしそうにハグをする。

彼女の王国は、静かにやさしく、そしてあざやかに彩られている。

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