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母の日の前日の娘が、たいそう可愛かった話

かわいい娘の話をします』というタイトルで、平日毎朝マガジンを更新している。

私の中では、記事のテーマが主に2つあり、ひとつは娘の「かわいい行動と言動の話」で、もう一つは「かわいい娘」に関する話である。

ようは、育児全般と日常の雑多な話なのだ。そして本日は、娘の行動と言動がとにかくかわいかった話です。

読んでいる人は、「何回かわいいって言うんだよ」と思うかもしれないけれど、マガジンのテーマが娘の可愛さを文字で残しておくことなので、どうか生暖かく見守ってほしい。

母の日の前日、娘と一緒にスーパーに行った。ニュージーランドでも母の日はわりと大きな家族イベントだ。スーパーはすっかり母の日仕様になっており、花束や植木、母の日のカードがたくさん売られている。

レジカウンターに、色とりどりの風船と紙が置いてあった。子どもが遊べるちょっとしたスペースになっていて、親がレジ待ちしている間、この視界に入る範囲で遊ぶ子がいるのだろう。

机をのぞくと、塗り絵のプリントがおいてある。さいきん、しょっちゅう塗り絵をしている娘のために、1枚手に取って渡す。そのときは意識しなかったのだけれど、それはハートが花で装飾された母の日用の絵柄だった。

娘は5歳。学校でも「母の日とはなにか」をしっかり学んできている。だから、ピンとひらめいたのかもしれない。

帰宅すると、机に向かい色塗りをはじめた。まずはピンクで、大きな花びらを塗りはじめる。じょうずだねえ、と覗くと、「こっちみちゃだめ」と言われた。お母さんには内緒らしい。

はいはい、とその場を離れる。ダイニングテーブルで娘が作業をしているので、キッチンでコーヒーを飲む。

色塗りに集中する娘の後ろ姿をみる。かわいい。おもむろに、のりをつかんで紙にペタペタしている。なんで、塗り絵にのりを使うんだろう。近づいちゃいけないし、楽しんでいるところ口出すのもアレだなと思って、ほうっておく。

塗り絵の紙には、「Happy Mother's Day」と文字まで書いてあり、ご丁寧に「To」と「From」の名前を書く欄まである。

娘が、「おかあさん、なまえなんて書くの」と聞いてきた。このあたりで(ああ、母の日のために塗り絵を完成させたいのか)と気づく私。

「K-A-E-D-E」だよとスペルを教えてあげる。小学校で文字を覚え始めた娘は、一つひとつ言われたアルファベットを書く。一生懸命でかわいい。

塗り絵の絵柄は、大小の花が集まってハート型になっており、5歳児がすべてを塗るにはなかなか時間がかかるものだった。午後から塗り始めて、ほかの遊びをはさみ、夕食を食べお風呂のあとに塗り絵を再開する娘。

一度中断したら、「お母さんには内緒」を忘れたらしい。

「おかあさん、あのねえ、のりを付けたらピカピカきれいになるの」と半分塗り終わった紙を見せにきた。

ああ、それでのりを使いたかったのか。「じょうずだねえ」と声をかけたら、急にハッとして「あっ!おかあさんに見せちゃいけなかった!」と、あわてて紙を裏返しにする。でへへ、と娘が笑う。

大丈夫だよ、見なかったことにするよとフォローしたら、

「そうだねえ!お母さん、寝たらぜんぶ忘れちゃうもんねえ!」

と笑顔で言われた。

いや、そんなに忘れっぽくないと思うけれど……まあ、娘が可愛いからいいか。

洗濯したシーツをベッドにセットし、寝室から出ると、廊下のむこうから娘が走ってやってきた。

「おかあさん、目をつむって?」

お、塗り絵が完成したのかな。言うとおりに、目をつむる。

「あのね、足はこうやってちょっと曲げてね」

空気椅子状態を指定されて、娘の目線と同じ高さになる。

「あとね、手を出してね。こうだよ」

そんなこと言われても、目をつむっているからわからんのだけど。モノをもらうポーズで、手のひらを上に向けて娘の前に出す。

そのとき、目をつむっている私の脳裏に重大なことがひらめいた。

母の日、明日じゃん……!

いや、別に今日でもいいんだけど。なんだかせっかくなら、明日の朝渡されたほうがいい気がする。もし、いま塗り絵を受け取って、明日「母の日は今日が本番だ!」と娘が知ったら、「えー、母の日に渡したかったな」と不貞腐れるのが目に見えてるし。

私は、目をつむったまま、いま塗り絵を受け取るのを阻止しなければと思った。

「娘ちゃん、母の日は明日だよ。その塗り絵、明日の朝渡してくれたらうれしいなあ」

「えっと……」

目の前にいる娘の困惑が、見えないけれど伝わってくる。

「あのね、あのね、おかあさんはまだ目をつむっていて。開けちゃだめだよ」

なんとしても、完成した絵を渡すという行為をしたいらしい。ふわりと、手の平になにかが置かれた感触があった。一瞬で、その軽いものは取り除かれる。

「目をあけてもいい?」

と尋ねると、「うん!」と娘の元気な返事。

開くと、娘は笑いながら後ろで手を組んでいる。どうやら、塗り絵は明日の本番にとっておくことにしたらしい。しばらく空気椅子で中腰だった足がぷるぷるする。

紙を隠したままリビングに戻っていく娘。その足で、ソファで座っている夫のもとに駆けていく。

「ねえ、おとうさん、これどう?」

私の立っている位置から、夫と娘の姿は見えないので、声だけきこえた。あきらかに、完成した塗り絵の出来栄えをお父さんに確かめている調子だ。

「おおーいいんじゃない。娘ちゃん、じょうずだねえ」

「うん、明日おかあさんに渡すんだよ!」

満足げな声だった。その後、塗り絵をだいじそうに子ども机の上に裏返しておくのをみた。

ほんと、ただ娘が塗り絵をぬって渡してくれたって話なんだけど。娘も、ただ「おかあさん喜ぶかなあ」ぐらいの気持ちなんだろうけど。

細かいパーツをきれいに塗り分けられるようになったこと。

時間のかかる作業を、一人でやり遂げられたこと。

自らの意思をもって、誇らしげに嬉しそうにしている後ろ姿。

そういう一つひとつの娘の「今」に、泣くだけだった赤ちゃん時代からの「昔」を思い出してしまう。

塗り絵なんて、線をはみ出してぐちゃぐちゃに塗っていたのになあ。ちょっと塗ったら、すぐに飽きちゃって。母の日がなにかなんて、きみは全然知らなかったのに……

まだ5歳なんだけど、「大きくなったなあ」って思って、こんな日常のただの一コマに涙ぐんでしまう。いや、ほんとに。

この気持ちをぜんぶ素直に言葉にすると、涙がこぼれちゃうので、かわりに「かわいいなあ」とつぶやいてみたりするのです。

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