見出し画像

冬のはじまりの朝をきみと歩く

カーテンをあけると、デッキの上がきらきらと光っていた。

「エルサみたいになってるよ」

朝食のあと、テレビにかじりつく娘に声をかけた。

大好きなディズニー映画のプリンセスの名を出されて、娘がやってくる。

「おかあさん!お外いこう!」

勢いよく窓を開けて、デッキに飛び出した。

朝の空気が、冷たい。デッキの上の氷は、思ったよりも氷で、歩くとシャリシャリと音がした。つるつる滑るデッキを一通り楽しんだあと、娘が言った。

「おさんぽに行こうよ」

そうだね。それもいいかもしれない。

朝ごはんの片づけを夫にまかせ、ふたりで歩くことにした。


我が家から歩いて数分の散歩道に向かう。だれかの家の煙突から、けむりが出ているのがみえる。

ああ、冬のはじまりだな。

ニュージーランドでは、公式的に冬がはじまるのは6月からだ。けれど、こうやって急に寒くなった朝、南極の冷たい空気が山に雪を降らせ、街にも吹くようになると冬が来たのだなと思う。

散歩道の木々は、すっかり秋色に染まっていた。

きれいではないけれど、すごく汚くもない小川が流れている。たたた、と川に駆け寄る娘の袖をつかまえる。

「そんなに近づくと、危ないよ」

深さもたいしてない川だ。万が一、川に落ちてしまっても、おぼれることはないだろう。それでも、ふとした瞬間に足を踏み外さないか、心配で娘の手を握ってしまう。

「大丈夫だよ。娘ちゃん、落ちないよ」

こんなの大したことない、慣れているよといわんばかりに、娘は川のヘリへ寄る。小石をつかんで、川に投げる。

木の枝を探して、もう一度放り投げる。

「おかあさんも、やってね」

何の目的で川に枝や葉っぱを入れるのか。ちっともわからないけれど、娘とおんなじことをする。パシャん、と枝が川に落ちると、水面に波紋が広がる。

何が楽しいの?なんて、聞かなくてもわかるくらい、娘は楽しそうだ。


カモが寄ってきた。この小川は、カモの住処だ。春になると、かわいい子ガモを見ることができる。餌付けをする人がいるので、枝を投げ入れる娘の姿に勘違いしたのだろう。ガーガーと、数匹集まってきた。

「フード、フード!」

娘がさけぶ。いや、英語でも通じないと思うよ。

「えさー、えさー!」

日本語でも無理でしょ。そもそも、投げ入れているのは餌ではないし。

「がー!がー!」

ついに、カモ語を話すことにしたらしい。娘の声真似に応えるように、一羽のカモがグワーッとなく。

娘と顔を見合わせて、にんまりと笑った。

散歩道を進む。途中で、犬を連れたおじさんとすれ違う。

「おはようございます」

寄ってくる小型犬を、遠巻きに眺める娘。こういう、ちょっと臆病なところは変わらないな。

芝生にマーキングして、おしっこをかける小型犬を見て、娘がまたもやにんまりと笑う。

「おしっこしてるー!」

5歳児にとって、排せつ行為というのは、非常に笑いを誘うものであるらしい。やれやれ、とか言いたくなる。

歩くだけに飽きたのか、娘が「競争ね」といって走り始める。一緒に走る。意外と早い。いつの間に、こんなにしっかりした足取りで走れるようになったのかな。

この道を、はじめてふたりで歩いたとき、きみはベビーカーに乗っていた。
抱っこ紐で、お母さんとぴったりくっついていたときもあった。
ヨチヨチ歩きのきみを、転ばないか心配で後を追った。
抱っこ―!のコールに負けることも少なくなかった。

いまは、「抱っこする?」と聞いても、断られちゃうときもある。

めぐる季節のスピード以上に、娘は日に日に大きくなっていく。


ゆっくり歩いて、我が家に戻る。たった15分そこらの散歩なのに、冬の朝の空気はすっかりとあたたかくなっていた。

ただの日常にある、朝のひとコマを、きっと娘はすぐに忘れてしまうだろう。けれど、お母さんはずっと覚えている気がする。

葉っぱを小川に投げ入れるきみ、しっかりとした足取りで走るきみ。どれも、記憶の中のちいさなきみと比べて、大きくなったななんて思う。

それから、いつか家を離れて、こんなふうに散歩するなんて夢のような時間だったなあと思い返すときを思う。

だからまた、一緒に歩こう。

喜びに彩られる春も、天国のような光が降り注ぐ夏も、静かに深く染まっていく秋も。

まだ、時間はたくさんあるから。手をつないで。やがてきみが巣立つ、その日まで。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?