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もう泣かないんだろうか

節目でもない、ふつうの日常のなかに、子どもの成長をみつけたりする。今日はそんな記録。

娘が通う小学校は、親の送り迎えが一般的だ。我が家からは車で移動する距離のため、朝と夕方、小学校へとむかう。

在宅仕事をお迎え時間ギリギリの14時53分までしがみついて、車のキーをつかんでエンジンをかける。自宅から学校までは、5分ちょっと。ただ向かうだけなら、余裕で間に合う時間だ。

けれども、車で学校に乗り付ける親は、私一人ではない(普通のこと)。学校周りの駐車場はすべて埋まってる。空きを探してぐるぐるする間に、あっという間に時計の針が進む。ようやく見つけた隙間に車をすべりこませ、真夏の太陽が照り付ける野外にでる。

スマホの時計は15時3分。お迎えの時間に遅刻だ。学校の校庭からは、授業が終わった子どもたちと、迎えにきた保護者が、はやくも家路につくのが見える。さて、わが子はどこにいるだろう。

たぶん、あそこだと、気持ち速足で駆け出す。思った通り、娘は友達と一緒に遊ぶ気満々で学童の列に並んでいた。

娘の小学校の敷地内には、学童の建物がある。週に3日~4日は、放課後そこで遊ぶのが彼女の日課。お母さんの姿が見えなければ、今日は学童の日。彼女はそんな風に覚えているのだろう。

お友達のとなりではしゃぐように跳ねる娘のうしろ姿に声をかける。

振り向いた彼女は、私の顔をみるなり不服気で、一瞬考えると口を開いた。

「ねえ、おかあさん、ちょっとあそんでいい?」

いつもなら、放課後はなるべくすぐに校庭を立ち去るのだけれど。今日は私が遅刻したし、罪滅ぼしの意味もこめて「いいよ」って言う。すぐさま、芝生のグラウンドの反対側にかけてゆくこどもたち。


お迎えに1分遅れただけで、小さい背中には大きすぎるリュックを背負って、いまにも泣き出しそうな顔で、とぼとぼ校門まであるいてきた娘がいたのは、たった1年半前なのにな。

あんなふうに、心細げに泣くってもうないんだろうか。ないといいな。ちがう涙を流しても、そのときは親じゃない誰かが娘のとなりにいるといいな。

南半球の夏はまだまだ終わらないけれど。一瞬だけ、ずいぶんと遠くにいった気がするよ。もう泣かないなんて、きっとそんなことはないのにね。


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