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それでもわたしは

『ちょっと日本に帰ろう』
30歳の私はそんな位の気持ちだった。

居場所は無いし
とりあえず日本に帰って
またバイトを掛け持ちして
お金を貯めて
次はアフリカ大陸に行こう。

それが
どう二転三転したのか
好転暗転し
もう15年、日本に住んでいる。

なんなら
2回、戸籍にはバツが付いて
子どもまでいる。

30歳の私は
そんな事を微塵も思っていなかった。
自分の残りの人生を
日本で生きる気はサラサラなかったから
身体中には
小さいけれどtattooが幾つもある。
まぁ、日本で生活し難い事、この上無い。
今の職場にはカミングアウトしているが
寒がりな体質もあって
肌は出さない生活をしている。
ぶっちゃけ面倒だけど。

帰国して
幾多となく日本を嫌に感じる時がある。
ゴシップも
妬みや嫉みも
世界中にあるけれど
時間定刻ピッタリにくるバスや電車に
何故か息苦しさを感じる時があった。

誰も言わないのだけれど
『あなたも定刻ピッタリにしなさい』と
言われている気持ちがしていた。

四角のものは四角に
丸いものは丸に

それが出来て当然なのですと
言われている気持ちがしていた。

あれだけ適当で
来るのか来ないのか分からない電車に
イライラもしたと言うのに。

私はつくづく勝手だし我儘だと思う。

タフで生きようと頑張って
強い幹で立ち上がったのに
荒れ狂う暴風雨の様な時の中で
無惨にポッキリと折れてしまって
結局、私は
タフで生きるより
レアで生きると決めた。

世界のどこかで
レアで生きる
私を想い祈ってくれる人がいる。
私の笑顔を
私と
私の愛する家族の幸せを
静かに祈る。

それは私の胃袋を満たしてはくれないし
銀行口座の残高を増やしもしない。

けれど
それでもわたしは
祈る人を愛おしいと思う。
とても大切な人だと尊敬する。

目に見える事だけでは
人は満ちない。

愛する人が
処置台の上に横たわっていて
心臓に繋がっているはずのモニターは
一直線に伸びている。

『私の胸を掻っ捌いて、
私の心臓を彼にあげて』

そう叫ぶ私は何人もの人に抑えられ
もみくちゃにされながら
処置室から締め出された。

暗く静かな廊下だった事しか記憶にない。
義理の父に電話をかけたし
日本にいる父にも電話をかけた。

そこからの記憶は途切れ途切れなのだけれど
数時間、その廊下の椅子に座って
私は神の存在がいかに無意味か
祈りがいかに陳腐かを思った。

けれど
それでもわたしは
神は自分の中にいると今は思っている。
居ないと思えばいないし
居ると思えばいる。
自らの存在の様に
『ただ在る』と思うか、違うかだと思っている。

祈りも同じだ。
無意味だと思えばそうだ。

誰もわたしの胸を掻っ捌いて
心臓を出さなかったおかげで
今こうやって
私は私で生きている。

兎角人の世は生きにくい。

漱石ですら
そう言っているのだから
今に始まった事でも無いんだろう。




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