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両親のこと、義両親のこと

両親って言ったって、父親はもう別の家のお父さんで子供もいて、私とはかれこれ15年くらい?会ってもいないし連絡も取っていないから、私の言う「両親」っていうのは母親のことに他ならないのだけれど。

義両親って言ったって、遠方在住だから直接顔を合わせたのはまだ2回ほどで、その2回ともが少しかしこまったような場だったから、良いも悪いもまだ何もわからない、距離のかなり遠い、好きな人の親御さんっていう感じなのだけれど。

最近気付いたのだけれど、私は「家族」だとか「親」だとかいう存在に対して、無意識にものすごく身構えてしまう癖があるかもしれない。
自分では、ただ、「苦手な人に対して身構えているだけ」だと思っていた。

私は、暴言を吐いてきたり、お金を要求してきたり、そういう実親のことを苦手だと思っていて、恐怖していたのだと思っていたのだけれど、実はそういうわけではないのかもしれないのだ。
つまり、実親その人のことも勿論苦手なのだろうけれど、おそらく根本的に、「親」という存在が少し怖いのだと思う。

私の、「親」というものについての先入観。

親は、子供をコントロールしたがるもの。自分の思い通りに動かしたがる存在。そして、それを、「あなたのためにしてあげてるのに!」と本気で心の底から思っている人のこと。
親は子供のことを「育ててあげた!」という自負があるが、それは同時に「だから敬え、だから恩返ししろ」という思考に繋がるということ。年老いた自分の面倒を見るのは子供だと、何の悪意もなく、自然と思い込んでいるのが親であるということ。
そして、無償の愛だとか絶対的味方みたいなふうに呼ばれるけど、実際は、「あなたが私といて不幸になるくらいなら、一生会えなくていい、ただ幸せでいて」という考えではなく、「私といて不幸になると思うあなたがおかしい、心配だから横についていってやってるのに、逃げたいなんて許さない」という考えの人が多いということ。

もちろん、世界中の「親」が実際にそうであるとは思っていない。
義両親のことも、そういう、ぐちゃっとした気持ちの悪い人間だと思っているわけではない。むしろ義両親は、たぶん、良いご両親なんだと思う。

でも、頭の中に、ずっとある。
親とはそういうものだ、っていう考えが。
そうじゃないなら嬉しいけれど、それはとてもラッキーなことで、そうそう巡り合えないことで、だから親がそういう人であることは普通のことだ、それが当然なんだって。
親は子供のこと、いつまで経っても支配したいし管理したいし依存したいし、それが当たり前なんだって。それが親の愛ってもんなんだって。

親は子供の意見なんて聞かないし、それが自分に都合のいい意見なら喜んで受け入れて褒めるけど、そうじゃなければ、都合のいい部分だけ耳に入れるかもしくは、聞こえないふりをしたり子供の意見を咎めたりするものでしょう。
要は、子供の人格なんて見ていないし見えていない。
自分の考えや感情が、子供の口から出ていれば満足なのよ。
それ以外は、認めないし受け入れない。そんな子供は「不良品」だもの。

「親」とはそういうものだと思っているから、私は実親に対しても、義両親に対しても、会話する前からある種の緊張と恐怖がある。
身体がこわばって、上手く言葉が出ないのだ。
まるで、10代前半の頃の自分に戻ったみたいに。もごもごと口の中だけで話したり、ものすごく小声で喋ったり、いっそ何も声に出さずに、聞き上手ですみたいな顔をして、頷いて同調するだけだったり。
普段の私からは考えられないくらい、本当に、「クラスに1人はいた、地味で陰気ないじめられっ子」みたいな人格・自己表現になってしまう。

だって、下手なこと言ったら、咎められるんじゃないかと思って。
もう子供じゃないのに。いい歳なのに。
「だめでしょう。なんでできないの?普通にしなさいよ、あんたおかしいよ」って、怒られるんじゃないかと思って。

いや、私は両親から、そういうふうに怒られたことはなかったのだけれど。
私が叱られるときは、もっとこう、あてこするような。羞恥心や罪悪感を植え付けるような言い方だったから、なんでそんなふうに怒られると思うのか、自分でもわからないのだけれど。
とにかく、意にそぐわないことを言ってしまったら、「それはおかしいね。改めないとね」って責められるんじゃないかなって、思ってしまう。

別に、注意されることが悪いことだとは思わない。
私には至らない点が多いだろうし、自分で気付けていないこともたくさんあると思う。だから、「こうしたほうがいいんじゃない?」って言ってもらえることはとてもありがたいし、人を不快にさせるようなことをもししているのであれば、すぐに直したいなと思う。

でも、なんでだろう。
「親」が「子」を叱る、というシチュエーションを想像すると、それだけで身が竦むのだ。
さすがに、義両親は、実親みたいに私のことを叩いたりとかはしないと思うけれど。ダムが決壊したように人格否定の言葉を浴びせてくることもないだろうけれど。

それでも、緊張してしまう。硬直してしまう。
「好きな人の親御さんだから嫌われたくないな」だとか、「実際に自分と血が繋がっているわけではないからやっぱり気を遣っちゃうな」だとか、そういう気持ちももちろんあるのだけれど、それ以上に。
なんか、怖い。なんか、嫌だ。
わからないけれど、責められているような気持ちになる。粗を探されてるんじゃないかって、そんなわけないのに、良い人たちなのに、思ってしまう。怖いのだ。とても。

でも、今、気付けてよかったなと思う。
言葉にしたら、少し気持ちの整理ができた。

気付かないままだったら、きっと、「私は実親のことが苦手なだけで、親子関係自体にコンプレックスがあるわけではない」と思い続けていただろうし、そして、「義両親のことを苦手だと思ってしまうのは、関係性の問題じゃなくて、人格面で私が義両親と合っていないからだ」って思い込んでいたんじゃないかと思う。
そうじゃない可能性に気付けたからよかった。
もし、今後私が義両親のことを「とても苦手」だと思ったり、ちょっと会いたくない・・・って思ってしまう日がきたとしても。
それは、私の人格のせいではなく、義両親の人格のせいでもなく、私の心に根を張った恐怖心、幼少期のトラウマのせいなんだなって、思える。

それに、私もいずれ親になる(かもしれない)身だから、自分にとっての「親子関係」を再認識したり、自覚したりしておくことは重要だと思う。
「親とはこういうもの」そして「私はそういう親にはなりたくない」という強い潜在意識が、自分にはあるということ。
その考えの良し悪しや、直せるかどうかなどは別として、知らなければ対処のしようがないからね。
そういう先入観や恐怖心が私にはある、って知っているだけで、十分。
何もわからないまま、不安に囚われるよりはずっとましかなって、思うよ。

最後に、義両親とはとても仲良くしたいと思っているよ。とても。
別に自分の「親」の埋め合わせをしたいとか、代わりに大切にされたいとか思っているわけではなく、純粋に、好きな人の親御さんだから、仲良くなりたい。好きになりたい。
・・・でも、もしなれなくても、自分責めなくていいこととする。

今回はそんな感じのお話でした。
では、今回はこのへんで。

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