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GIPAとハームリダクション==当事者以外の人が当事者排除で作ってきた「対策」への反省から始まった国際社会の果敢な挑戦==



<政策への当事者参画の視点は1994年「横浜会議」から>


1994年のパリサミットで「GIPA」を導いたのはIAS横浜会議(UNAIDSの国際エイズ会議・1994年)である。
この段階でUNAIDSではハームリダクションの萌芽と欧州での取り組みをキャッチしていた。横浜大会以前、ベルリンの会議ですでに注射器配布の取り組みや安全に注射を打てる場所として教会が権力の介入を防げる場所として提供していた、など、犯罪共謀などの訴追が及ばないフラットな立場を保障したうえで議論がされていた。すでにAIDS対策についていえば、この「病気はウイルス感染症である」事が解明され、「血液・精液・膣分泌液で媒介される」と究明されていた。そしてCD4細胞が機能障害をおこすことで日和見感染症などを引き起こすことが90年代にわかっていた。
感染源は人間である。病原体はウイルスである。感染経路は血液・精液・膣分泌液が粘膜に接触てCD4へ到達し感染が成立しないことがポイントになる。

UNAIDSの政策概要(GIPA)
https://data.unaids.org/pub/briefingnote/2007/jc1299_policy_brief_gipa.pdf

GIPAの概念図(UNAIDS)

「GAY=同性愛者」ではなく「MSM=男性と性的接触をする男性」、「薬物依存症者」「薬物事犯者」ではなく「Injection Drug User」「People who Use Drug」へ

「右足の次には左足が出なければならない」、という関係を作り上げていったのがUNAIDSでの議論であった。HIV/AIDSと共に生活をする人たちという意味で「PWA=People Living with HIV/AIDS」という用語が生まれたことも、薬物をインジェクションで使っている人たちという意味で「IDU=Injection Drug Users」という用語が用いられたのも、男性を性行為をする男性という意味で「MSM=Men who have sex with men」が用いられているのもただ一つの理由からだ。
「依存」や「事犯」「性対象」「性愛」と別の文脈で語らないと、正しく議論ができないセンシティブな内容、それがAIDS問題だからだ。
「概念=思考の形式」としないと曖昧な状態で議論に参画するから誤解やすれ違いが起きやすくなる。だからこそ「概念」は重要なのだ。
AIDSのような性行動が感染経路となる感染症で、性行動に貴賤上下や宗教的イデオロギー的な価値観がついて回ると、それらの価値観が邪魔をしてしまい感染症対策として必要な行動変容を話し合ってても、それ以前のところで「あってはならない行為」のような峻別・差別で議論が紛糾する、そのことが繰り返されるようでは感染経路の話題にいつまでも入ることは出来ない。「同性愛は死刑」という社会であったとしても、「男性同士の性行為」は存在しそれは「愛」ではないと正当化される。だとすれば「性愛」として語ることがいかにタブーで話が通らなくなるかがわかるだろう。このような文脈は「同性間の性行動」が別に「死刑」にまでならない社会でも、偏見・異性愛や結婚などへの同調圧力という形で「悪い事」のような文脈が与えられることだってある。
そうした「敗北者の烙印=スティグマ」を押すことで仲間の足を引っ張り合うような社会であったなら、「『差別』を実感できないまんま加害側に立ってしまう勤勉なる人たち」が後を絶たなくなる。
これらが80-90年代に「男性の変容」を掲げてみたところ何の効果が無かった揚げ句に「ピル解禁」を「女性の自立」へすり替えられた事に気づかない女性達が男性達の掌の上で踊った。「女性の性行動の自立」の美名を当事者があたかも語っているように見せかけた舞台で、次々とコンドーム使用さえ通用しない性行動をする女性が量産されていった。論理のすり替えに乗せられていったのだ。
このような一見ややこしい歴史も性行動の現場に目を向けてみれば、もっと赤裸々で極めてシンプルな薄っぺらな愛情論が「好き」「キライ」はおろか「信頼」なんてワードまで飛び出してまくし立ててくる。
「オレの事が信じられないのか?」「オレは検査したから大丈夫」
・・・全部翻訳すれば「ナマでセックスさせろ」と迫っている(脅している)に過ぎないではないか。
そして、これらの男性たちは性行動の対象を問わず、「感染症は自分以外の相手が持ち込む物だ」という激しい思い込みのもとで、差別の烙印をこちらへ向けているではないか。
「信頼」を「嫌われたくない」「この人そう言ってるから安全」と思い込むことにすり替えられたのは、最終的に自分だった。だから感染したし、暴力的な掻爬まで経験してきたのではなかったか。
そのような現場を舐めてきた当事者が政策立案の場面で参画してくれていたら、「自己決定」をした決定的瞬間を鋭く見分けていく事ができないか。これが失敗者によって勝利を導く学習の場に表われる奇跡ではないかとさえ思うのだが、どうか。
「ハイリスクグループ」というとまるでリスクを与えてくる集団のような被害的ニュアンスさえ漂ってくる。「ハイリスクグループ」から被る感染から身を守る、式の論理がどこかに隠されていないか?
「最も感染禍に晒されて傷つけられやすい人たち」が泣き寝入りしないような対策でなければ意味が無いのだ。

「COVID21対策」でGIPAの教訓が生かされなかった日本の反省


新型感染症が持ち込まれるたびに「同じ予防啓発の不備を抱えたまま対策づくりを繰り返すような愚」議論は少なくとも排除できたはずなのである。
男女のセックスは(正常な夫婦関係に発展させるべきだから)「リプロダクティブヘルス」だけを考えれば良いという言説一つとってもどうだろう?「女性は生むものだ」という決めつけで作りあげられた「がんじがらめの自立」に気づけない状況が当時(というより今日にも「モラル」「性暴力」にすり替え強く根付いているところの)につながっていかないだろうか。「程度の問題」という言説はどうだろう?「誰かに許可を得なければならないようなものなのか」である。そのために「親と家庭がいるではないか」という議論はどうだろうか?息子・むすめの初夜の寝床まで母親がついて来ようとでも言うのだろうか?
ここで冷静に自分たちで自分たちの歴史を直視しなければならないのは、自分達の過去行った失態を一度棚上げして分けた考えでしっかりとあるべき対策を考察した上で、自分の過去のバツの悪い失敗を新しく奪還しなおす、というプロセスをほぼ全員といっていいぐらいの大多数が経験しなければならない、という事を覚悟をもって臨まなねばならない。どれだけ小手先の罰則規定ばかり作ったところで意味が無いことを自覚すること。人間観と社会観を再構築するぐらいの話だからこそ手っ取り早い解決はできない、ということをエイズ対策の中で国連で嫌と言うほど味わってきている、ということだ。

Harm(害)ーReduction(軽減)する=当事者利益を最大限尊重する=究極の伴走型支援をつなぐコンセプト


経路を断つ行為、経路を断つ道具、経路を断つ環境、経路を断ちやすい関係性・・・

国際エイズ会議、日本エイズ学会ともに、だからこそシンプルに「男性同士の性行為」というドライな思考の形式で議論ができねばならないとした。IDUも同様で、針でのHIV感染に関わる行動を話題にする際に、ヤクチュウである無しは問題にしないし、モラルも生き方も文化も問わない、ということ以外ではない。クリーンニードル政策は感染予防の観点で重要であり、ハームリダクション実施の社会では重要な施策として位置づいている。
それは、クリーンニードルと注射器センターを置くことでアングラの果てにいた人たち(有能で資質が高く、繊細で優しい人たちで、使い続けることも必要だと思っている人たち)と社会リソースとの接点をつなぎ続けることで、貧困や就労環境や衛生などドラッグ以外で抱えている問題と寄り添いながら徐々に新しい生活を身に着けた人たちと接する中から今直面している問題に向き合い安全な環境の中で話し合えるという場があるだけでHIV感染確認数が統計的有為性を持って確実に伸びなくなっているから「有効」としているわけだ。それゆえにハームリダクションはGIPAの結果生まれてきたAIDSや薬物対策で多くの国が成功しているスタンダードな政策だということになっている。それゆえ安保理のタテ割りや南北格差を超えたアンブレラ組織である「エイズ合同計画(UNAIDS)」のコミットメント宣言はG7たりとも蚊帳の外には置いておけない議論であるはずなのである。それをまともに感じられないのはABC政策をごり押ししてきた国家の核の傘の下へ忖度して情報遮断を積極的に演じてきたことにほかならない。だからJICAやアフリカ支援の場面などで起こりがちなのは、湯水のごとく国際支援の押しつけを行う反面国民のAIDS対策や健康権の問題に関心をはらわないという乖離症状なのだろう。

当事者以外人たちが当事者に聞けば済む問題をあれこれ弄り壊している現状が当時の当事者対策で実際にあった反省をどうして日本の行政機関や教育機関は取り込めないのか、といえば水際対策という美名で情報遮断をして自分達の政策誘導だけを優先させてきた結果以外ではないのである。そして、世界の民主主義諸国の揺れ動く議論の一端をまるで鬼の首でも取ったかのように「反省が述べられた」と針小棒大に語る層が出てくるわけである。
数十年の議論がたった一本の論文や新聞記事でひっくり返るのは日本社会がそれだけ情弱なだけであって、世界は揺らがない。新しく冷静な議論が始まるという契機にはなっても、である。それを抜きに世界は語れないし小手先の処罰を法整備したところで(それはコストゼロの法改正であったとしても)犯罪者を税金で処罰するまでの膨大なエネルギーが増えるというものなのだ。なぜ当事者に学ばないのか、なぜ当事者が犯した失敗から学ばないのか、どうして失敗者を唾棄し傷の上に塩を塗ることしかできないのか、そちらの方がどれだけ社会損失が大きいのかをいい加減考える時期にきているのだ。

HIVに感染した人の治療や支援、ターミナルまでを見通したケア、性教育と公衆衛生、コミュニティ内部の啓発、差別解消策、迷信由来の強姦・名誉殺人・・

国連や国際学会で定着していったのもこの時期すでにAIDSセブンシスターズと言われたNGOがUNAIDSへ関与していたからでもある。NGO/NPO活動の中でセブンシスターズが定着していったのは偶然でもない。この時期すでにGNP+(PWA=HIV陽性の当事者グローバルネットワーク)やGNPUD(PUD=薬物使用の当事者グローバルネットワーク)が含まれていた。
AIDSは感染経路遮断・予防がもっともシンプルなのに、なぜ広がり続けたのか?を問うていた時は「いかがわしい行為」をやめられないからだ、とか「不特定多数との行為」を見境なくするからだ、とか感染した人を取り締まる議論ばかりが先行していたが、感染した当事者が自らの失敗を元にピア(対等)な立場で仲間へ語り続ける事とそこでの教訓の多様な受け止め方の多様さと向き合いながら「考える」手間を惜しまない方が「手っ取り早く」解決を求めようと「選ばれた人」にばかり目を向けるよりも予防効果が高かったことが徐々にわかっていく。つまり「感染事実の受容=変えられないものと変えられるもの」「感染確認者にとっては治療こそが予防」「治療のメリットとデメリット」「感染事実と感染経路・感染に繋がりやすい行動の正しい理解」「性行動という貴賤上下のないコミュニケーション行動にあるHIVや性感染症の感染リスクの軽減を正しく学ぶ=実践の視点」「感染しにくい行動選択を選ぶメリット」・・・これらのワークショップやスピーカーが発するマニュアルを日本の社会で「陽性者スピーカー養成事業」として日本HIV陽性者ネットワークジャンププラスが取り組んだのが2004年-2006年だ。この後、2006年からHIVに関わるあらゆる活動体が力を集めて「CommunityAction」に取り組む。その「個別施策層」の拠点として考案されたドロップインセンター(情報拠点)が新宿2丁目の「akta」と堂山の「DISTA」だった。aktaでユニックな取り組みは「性の健康権」にとことん寄り添うコミュニティアクションであったということだ。オシャレでキャッチな事が大好きなGAYタウンの若者達が楽しんで参加でき遊び心と共に知識と行動の中にコンドームを使用したセックスを浸透させる取り組みでもあった。(詳しくはコミュニティセンターaktaやDISTAの活動報告や、市川誠一(名古屋市立大学看護学部・当時)の論考を参考にされたい)

Valnable Peopleに必要な対策・政策を

Valnable Peopleではない人々が決めた事への反省


もっともValnerble Peopleとはだれなのか?UNAIDSでは女性を筆頭に掲げ、MSM、若者、子ども、少数民族、貧困層、IDUなど感染に晒されやすい人たちを挙げている。
先進国ではMSMの感染禍が深刻であったが、南半球、とりわけアフリカのような部族社会を基調にした一夫多妻制を敷いている市民社会、とりわけ経済格差によって治療そのものが当時のアフリカでは1ドルを稼ぐために1年間の労働が必要であった位の北半球との経済格差があったため、治療を普及させるだけの経済力が十分ではなく、さらに女性の地位は男性に付き従う貞淑な存在となっていることから、貞淑で真面目な女性たちがほとんどもれなく売春宿などから家長である夫が持ち込んだHIVに感染し、家長は治療を受けられるのに妻や娘達はAIDSで死んでしまい、母子感染を免れた子どもはAIDS孤児院で生活をする、という有様であった。それがたった15年、20年まえまで「当り前」のように存在していたのである。年間の新規感染者数300万人、600万人が今すぐ抗HIV薬による治療が必要で毎年300万人が死んでいく、という南半球の現実は治療アクセスそのものが急務でもあった。
その焦りが象徴的に結集されたのが2004年バンコック会議であった。

女性の問題・女性へ対する公平な社会参画の機会を考えていく場面でもなぜ男性が関与し対策を講じる必要があるのか?男性の赦しや忖度が必要になるのはなぜなのか?男性が認識と行動の変容を問われなければならないのに、その当事者が反論や正当化をできる場所ばかり与えてきたのは、なぜなのか?それこそ主体性の放棄ではないのか?こうした議論がUNAIDSで徹底的にされていたし、ジュネーブの人権理事会で徹底討論されていた。これに背を向けていたのはアメリカや日本、中国、ロシアといったニューヨークの安全保障理事会を偏重してきた大国の覇権主義そのものであり、男性中心社会の牙城を壊されては困る政財界の層があったことを物語る。殆どは死の商人であることは言うまでも無いが、封建時代の性の支配構造を壊されたくない人たちとの人間の尊厳をめぐる闘いがあったことを記して置く必要がある。
いい加減目覚めねばならないのはトラウマ治療もおろそかに、傷に塩をぬりつける連中にグルーミングされながら問題を拡げている自称当事者の問題が放置されつづけているからだ。
強い立場の者たちによって守られる弱者のスペースは世界のどこにも存続できなかった歴史にもっと謙虚に学ぶべきだ。

「ラベリング」から「スティグマ化」へ=「ソーシャルワーク百科事典」(Oxford University Press)=


当事者を断罪すればアンダーグランドへ隠れてしまう。ではどうしたら当事者が予防行動の主体に参画しやすくなるだろう?答えは簡単で政策化プロセスから参画させ感染につながる行動のリスクと害だけが取り除けないかを一緒に考えてみる、という
治療か罰かのような議論に傾くと、自己治療や自己調整を目指す行動選択はそもそも当人が「自立的・自律的に行動をしなければならない」という強い意思が選んだ行動が先にあったからで「意思や思考を喪失」だけでバッサリはできない、と反証を提起しながら「考えること」「断定せずに向き合うこと」が提起され議論をさらに深めようとする。
ここに掲げたのは、大阪ダルク「フリーダム」が2015年に掲げている学習会情報。
オピオイドを末期がんや慢性疼痛に与えることができればどんなに緩和ケアに役立つだろうと夢想する日本の臨床の意見
依存症治療での現場では治療にどう向き合ってきているのかについて依存症治療の立場
そしてハームリダクション最先端の病院現場でオピオイド(鎮痛剤)や医療大麻に関する向き合い方まで材料に語られていく。
2015年といえば日本の幾つも立ち上がっていた精神医学会が組織を集め「ハームリダクション」を統一テーマに掲げた3年も前の話である。これだけ意欲的で画期的な切り口の提起はその後、近年の「アディクションカフェ」事業では「『回復』に殺されないために」と日本の当事者自助の岐路について示唆に富んだ話題提供をしている。
僕は反映論の立場でこのメッセージを受け取りながら、ちょっとだけアルバイトよりは稼いでいる今の自分の就労状況に向き合いながらほぼ毎月この意欲的なプログラムに参画してアンテナを張る努力をしている。そのぐらい繊細な情報発信だし持ち帰るのは「人」でしかない。アクションがあればリアクションが必ず起きるがそのすべてが当事者に有益なリアクションにはならない。だからこそその後、当事者がどう持ち帰って自分たちの行動選択の肥やしにできるのかを考えることも僕らの役目だとも思っている。だけど、できない事と出来ることが必ずあるわけだから、できる人ができる限りのことをできるようにする。そのためにこそありとあらゆる現場の仲間が手を取り合う必要もある、というところだろう。だが、当事者は一方的なダシでも材料でも素材でも対象でもない。自分たちに都合よく作られてこそサービスだ。私自身が収めた税金を私が納得する使われ方をしてもらう権利がある。ヤクチュウ全員ナマポだなんて誰が決めたんだ?と思う。

ここまで先駆的、かつ、実践を先取りできた情報リテラシー教育機会を作れているのは、教養的基盤とバランス感覚を獲得できた当事者が関与するだけで、どれだけ政策提言にも匹敵する切り口の示唆を科学者たちに与え得るか、という示唆を与えてくれていると僕は思っている。


Does 'CNN' (Condoms, Needles, Negotiation) Work Better than 'ABC' (Abstinence, Being Faithful and Condom Use) in Attacking the AIDS Epidemic?:エイズ流行に立ち向かうには、「CNN」(コンドーム、針、交渉)が「ABC」(禁欲、忠実であること、コンドームの使用)より効果的か?
https://www.guttmacher.org/journals/ipsrh/2005/03/does-cnn-condoms-needles-negotiation-work-better-abc-abstinence-being

UNAIDS Policy Brief(UNAIDSの政策概要)
「The Greater Involvement of People Living with HIV (GIPA) 」

The Greater Involvement of People Living with HIV (GIPA): UNAIDS Policy Brief (2007)
http://www.healthpolicyplus.com/ns/pubs/2014/Mod13_Policy%20Brief%20GIPA.pdf

GNP+(HIV陽性者世界ネットワーク) Good practice Guide
「The Greater Involvement of People Living with HIV (GIPA) 」
 
https://www.fast-trackcities.org/sites/default/files/Greater%20Involvement%20of%20People%20Living%20with%20HIV%20%28GIPA%29%20-%20Good%20Practice%20Guide.pdf


Stigma Reduction Interventions in People Living with HIV to Improve Health-Related Quality of Life
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC7343253/
Lancet HIV. 2020 Feb; 7(2): e129–e140.   /  Published online 2019 Nov 24.
 doi:  10.1016/S2352-3018(19)30343-1  /  PMCID: PMC7343253 / 

TOP HAT FORUM
http://www.tophat.jp/material/d16.html


保健関連ミレニアム開発目標(MDGs) 達成に向けた日本の取組の評価
https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/files/000076535.pdf


各国の開発途上国に対する 人材育成支援活動に関する調査研究
https://dl.ndl.go.jp/view/prepareDownload?itemId=info%3Andljp%2Fpid%2F11515597&contentNo=1

垣根を越えよう

https://www.secretariat.ne.jp/aids24/img/04.pdf



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