忍者と盗賊、賤民

・さて、少しこの前から、の「投稿」の「間」が「空きました」が、「忙しさ」に感けて
「忘れて」降りました。「お詫び」します。
さて、「前回」は「忍者と心理学」の「話」を
しましたが、「今回」は「忍者」の
「謂れ」の「話」です。
「忍者」は、「忍び込む」のに、「膨大」な
「知恵」や「技術」を持ち、「犯罪心理学」の
如く、「相手」の「心理」を「突く技」を
「持っている」のだが、其れは
ズバリ「盗賊」で、「賤民」であるからだ。
元々、「忍者」が、「敗者」に拠って、
「作られた」、「賤民」や「被差別者」の
「村」で、「自衛」の為に「サバイバル術」や
「心理学」を「学んだ」のだ。
然し、「それだけ」では無い。
実は、「其処」に「日本の暗部」がある。
それは、「半ばとばっちり」、「もう半分」は
「已む無く」である。
日本には、「差別部落問題」があるが、
「其れが問題」だ。
「平安期」に「桓武天皇」が「蝦夷討伐」
が「終わる」と、「穢れ」に「関わる」
「軍事」、「刑罰」、「清掃」、「事務」など
「日常」の「関わる総て」を「廃止」し、
「武士(侍)」に、「押し付けた」。
然し、其の「武士」も上へ上がれば、
「公卿」である。
戦で正々堂々と、「闘う」ならまだしも、
「姑息」な「謀略」や「計略」は
「やりたくない」。
そこで「武士」も、「身分」の「低い」
「足軽」や「雑兵」、「下人」に
「諜報」や「雑務」、「経理」、「清掃」
更には「暗殺」もやらせた。
「舎人」や、「禿(かむろ)」、「雑色」、
「寄人」「行人」、「衆徒」、「力者」、
「候人」、「殿原」、「公人」、
「中間」、「召人」、「下人」、「荒子」、
「堂衆」、「聖」・・・、
彼らは、「武士」、「公家」、「寺社」などに
「下働き」で「仕え」、時に「差別」された
「人々」で、「色々」な仕事をした。
「舎人」は、「天皇」の「警護役」。
「雑色」は、「身分」の「低い武士」の「兵」。
「禿」は、「平清盛」の「孤児」や
「武士」の「子弟」で作られた、
「密偵」で、「童部」ゃ「牛飼童」と言われ
 「武士」や「公家」に仕えた「子供」。
「中間」は、「武士」と「下人」の
「境」の「家人」。
「召人」は、「貴人」に仕える「使用人」。
「寄人」は、「召人」と同じく
「貴人」や「荘園」に仕える「小役人」。
「荒子」は、「農村」などで「農業」の
「力仕事」をし、「兵役」をする
「下級兵」。
「殿原」は、「村の武士」。
「公人」は、「小吏」。
「力者」、「候人」、「聖」、「行人」、
「衆徒」は、「大寺社」に支える
「法体」の「事務員」や「修行者」。
彼らは、「貧しく」、または「罪」を
負い、「寺社」や「貴人」に仕え、
「財貨」となる事で「生き延びた」。
しかも「朝廷」は、「行政」を
「放棄」し、「国家」は守ってくれない。
そのため「武士」は、「私兵」を蓄え、
「領地」や「赴任地」の「治安」や、
「警羅」を「下人」や「先程」の
「者達」にやらせ、「汚れ仕事」も
「やらせた」のだ。
また、その「下人」、「兵卒」は、
「山地」の「村」や「寒村」など「食べていけない所」が「請負い」、其れが「部落」の「原点」の
「一つ」でもあります。
「平清盛」は、「先程」も「言った通り」
「禿」と言う、「孤児ら」を「武術」や
「兵法」を「訓練」し、「密偵」をさせ、
「不満分子」を「摘発」させました。
じつは、「平家」は、「本拠」に
「紀伊」や「伊賀」を「持っており」
「伊賀平氏」の中に「服部氏」がいました。
そのため「禿」は、「伊賀平氏」など
「ゲリラ」や「謀略」を得意とした
「伊賀」や「紀伊」の「平家」に
「率いさせていた」のでしょう。
然し、「元暦ニ・寿永四(1185)年」に
「平家」が「滅び」、「平家の郎党」は
「逃げ延び」、「平家の元領国」に
「落ち延び」、「その山地」や「海の崖」に
「村」を作り、「昼」は「田畑」を「耕し」、
「浜」であれば、「漁」をし、
「夜」には、「盗賊」となり、「隣村」や
「商人」、「領主」を「襲った」。
然し、それでも「村」は、「山間」や
「海の崖」で「狭く」、そこに「何百人」も
「人」がいる、そのため「短期決着」の
「夜討」、「謀略」、「暗殺」を主にした
「忍術」が「伊賀・甲賀」などに「出来た」のです。
そして、「戦」の多い「中世」に「傭兵」や
「間謀」として「雇われ」、「生きるため」に
「非常」の道をいったのです。
その「起源」は「武士」と同じく、
「日本」の「闇」と「エゴ」により
作られた「忌子」であるのです。
長くなりましたので、今宵は之にて。

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