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アンダーグラウンド0

オタク VS ヤンキー

 高校生の時、夢中になった漫画は「セーラームーン」だ。
 これを他人に告白するのはけっこう勇気が必要だったりする。
 書店でセーラームーンの単行本を購入する際には、所謂みんなが読んでるようなジャンプコミックスだったりKC(マガジン)コミックスを両方で挟んで隠してレジへ持っていくんですw。そんなことをしても結局悪あがきでしかなく、可愛い女子店員に見られてしまうことになる。
 なぜ、そんな悪あがき、鼻クソみたいなプライドを姑息な手段で守ろうとしたのか今となってはよくわからないんだけど、きっと時代的な自己のポジションの影響というのがあったのではないかと思う。

 というわけで、オタク(少なくとも内面は)だった私が過ごした時代とその前後のサブカルチャーを取り巻く環境を考察していこうと思う。

 日本の若者の系譜はベースとして【オタクvsヤンキー】という対立構造が作ってきたと言ってもいいだろう。少なくともサブカルチャーにおいては。
 90年代前半まではヤンキーが圧倒的優位に支配していて、「湘南爆走族」やら「ろくでなしBLUES」などのヤンキー漫画が全盛な一方、「うる星やつら」や「機動戦士ガンダムシリーズ」等のオタク文化はヒッソリと暗躍してきた。

オタク文化の勝利

 ところが00年代になってそれが少しずつ逆転していく。
 もはや今はヤンキー(的な属性の人)がエヴァを語ったりしちゃうわけで、オタク文化の完全なる勝利を迎えている。
 もう「アニメ見てるなんて気持ち悪い」などと言われないし、そんな人は批判の対象になるまであるだろう。

 すでにヤンキーは死滅している。今ならウェーイ系、マイルドヤンキーなどと呼ばれる群《クラスター》の人達はかつてヤンキーが持ち合わせていた「暴力性」を削ぎ落し「薄っぺらい仲間意識」の下で、ヒッソリと生息している程度になってしまった。虚勢を張ることすら棄権した状態なので、もう勝負にすらなっていない。

「綺麗なオタク」に殺される「汚いオタク」

 ただ、現象としてオタク文化が半強制的に今まで育ってきた日陰の土壌から陽の当たる場所に流出している状態なので、アンダーグラウンドだった故のサブカルの醸造のされ方みたいなものは無くなりつつある。
 日向には消費されるコンテンツとしての側面という強い日差しにさらされる危機というものがある。
 ここで強調されるのは「綺麗なオタク」に殺される「汚いオタク」という構図。

 アニメTにバンダナとドライバーズグローブみたいな、所謂ステレオタイプのようなオタクはほぼ存在しなくなって、一見オタクと分からないような「日向の」オタクの価値観に駆逐されていく。
 するとどういうことになるか、作品愛好家同士の考察大会だったり、社会に向けたオタクとしての自負の顕示としてのアニメグッズファッションをしたり、類似作品へ移行する裏切り行為に対する制裁などという、本来のオタク文化的なメンドクサイ価値観ってものは邪魔なだけで、もっとライトにカジュアルに漫画やアニメを楽しみたいという層に支配されていくわけだ。

絶滅危惧種な秋葉原ファッションは、自分たちが認められない社会に対する反骨心と
オタクとしての自負哲学の顕示の意味もあったはずだ

日陰 VS 日向の時代へ

 究極的に言えば、見る側としては別にこれでも構わないわけだが、作り手側として見た場合どうだろうか?

 作り手も誰でもかつては見る側だったわけです、そこで培った体験やデータベース、あるいはトラウマを元に作品に魂を移して作り上げてきたわけだけれども、今度は今のライトな見る側から作り手が生まれることとなる。
 その時に、かつてのオタクメンタリティの様なものでできた創作物が果たしてつくれるのか?

 「ガンダム」や「エヴァンゲリオン」にしても、スタジオジブリの宮崎アニメにしても、自分の憧れや鬱屈した自責マインドや、(その人にとっては)悲惨なトラウマなんかが作品に投影されている作品はやはり傑作として世に出ているわけだけども、そういう人達は見る側だったときにアニメや漫画や特撮やゲームがある種逃避先であり、憧れであり、嫌悪の対象でもあったりするわけだ。
 そういった自分と向き合う作業を経由していない創造物って、果たして面白くなるのか?という疑問を持つ。

 これから生まれる作品は、どのような価値観において作られていくのか?

 ひとつ、結果として見えてくるものがある。
 日向側、かつてヤンキー達が居座っていたポジションの勝利する時代が再びやって来るのではなかろうか。
 日陰vs日向、新しい形での戦いが再び始まるというわけで、それはそれで面白くなりそうだ。

 また、いつか日陰が日向にどうやって勝利していくのか、その対立の過程から生みだされる作品群が楽しみでしかたがない。
 その時、私がいったいどのポジションから作品を観るのかは分からないけれど、おそらく日陰側にどっぷりいないとしても、日陰に肩入れした見方をして世間から煙たがられるという絵は想像しやすい。

【アンダーグラウンド0】

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