サンピエトロ_

【読書メモ】広場の造形②

第一章 建物とモニュメントと広場の関係

「中世やルネサンスにおいて、見事な建物や歴史的記憶を呼び覚ますような噴水、モニュメント、彫像によって社会的生活を彩ろうとする傾向が見られる。」
前回、「なぜ大量の芸術品を広場に集めたがったのか」という疑問を抱いたが、これがその解答になりそうである。
人の往来が最も激しかった広場に都市の誇りと喜びを感じたかった、と筆者は述べている。

さて、当時イタリアには大聖堂前の広場と市場などの市民広場(シニョーリア)には明確な区別があり、物理的に切り離されていた。
大聖堂前の広場では、アテネのアクロポリス(神殿などが建設された小高い丘)のような宗教的芸術として作り上げられ、世俗的な喧騒から完全に切り離された空間であった。
一方、市民広場の回りには土地の名士の家に囲まれ、歴史的な記念モニュメントや噴水で飾られ、集会が開かれるたびに人々が集まるような雰囲気であった。
しかし、今ではそれらの広場が混合しており、当時は機能していた実際上の用途が忘れられ、駐車場ぐらいにしか使われていない。
このことから筆者は、広場と芸術との関連性の欠如を指摘している。

さらに筆者は芸術性の欠如の事例として、ミケランジェロのダヴィデ像の例を挙げ、当時は彫像などの芸術品はそれが置かれる場所のスケールまで考慮さたのに対し、現在はそれが無視されていることを嘆いている。とりあえずできるだけ広い広場の真ん中に彫像を置こうとする現在の傾向を批判している。
次章で書かれるが、ここから「広場の端にモニュメントを置く」という原則が導き出されている。
比較的狭い広場の端に巨大彫刻を置くことで、人間のスケールと比べやすくなり、より彫刻の巨大さが際立つ。

第二章 広場の中央を自由にしておくこと

古代ローマの広場は闘技場としても利用されたため、広場の中央には何もない空間があったが、それ以降の時代の優れた広場でも中央の空間が空いている事例が良く見られる。

さて、前章であったように昔の彫像家などには作品を適切に効果的に配置するセンスがあった。それは自然に培われたものであったが、現代人は幾何学的な法則によって芸術を解き明かせると思い込んでいるため、かつて持ち合わせていたセンスを失ってしまっている。
著者はこの思い込みを「病気」とまでこき下ろしている。そして、先人たちの高度な芸術感覚を現代の幾何学的な思考で一般化することは不可能だとしている。一方、先人たちが用いていた方法を模倣することでその優れたセンスに近づくことは可能だとしている。

では、具体的にどのように彫像やモニュメントや噴水を空間に配置するべきだろうか。
当時の広場は舗装されておらず、交通の激しいところにはわだちが生成され窪むため、新しく物を置く際には自然と交通を避けた場所が選ばれた。
後に広場は舗装されて均されるが、設置物の位置は受け継がれその意味と歴史が分かるようになっていた。
それゆえ、各広場の設置物の位置にはその広場の持つ歴史的背景が大きく影響しているため、安易な幾何学的な一般化は不可能なのである。

ここから見えてくるのは、「モニュメントや噴水は交通の死角に配置する」という原則である。続けて著者は、交通の阻害はしばしば眺望の阻害でもあることを指摘している。

次に、この原則は教会の場所にも拡張できる。
ローマの教会のうちのほとんどがどこかの面が他の建物と接しており、完全に切り離されている教会はほとんどなかったことが筆者の調査により明らかになった。
そして、この結果はより狭い広場にある教会で有効になり、建築が適切に眺められるよう設計された結果であると著者は考察する。
新たに建設する教会を広場の中心に切り離そうとする現在の風潮には長所が一つもなく、人々の注意が周囲全体に散らばってしまう。
さらには、建築する際のコストパフォーマンスにも効果的である。

この章の締めに、著者は建物をとにかく切り離したがる現代(執筆当時)の風潮に怒りを通り越して呆れているのが伝わってきて思わず笑ってしまった。
1,2章と、モニュメントの配置について議論されてきたが、常に頭の中に思い描いていたのはヴァチカンのサンピエトロ広場だった。ビスタ景の先に楕円状に広がる広場とその中心に建てられたオベリスク、その先に見える大聖堂が印象的であるが、著者の考えでいくとこの広場はどのように解釈されるのだろうか。

寺院のファサードについては左右の建物や楕円状の両脇の通路との接続性を考えて切り離されるべきではないと主張している。
また、正面からのみ眺められることを想定された一貫した全体構想は評価しているようにも見える。
しかし、広場中央のオベリスクは前述したようにその奥にある大聖堂への通行や眺望の阻害として捉えることもできるであろう(実際写真を撮るときに苦労した)し、果たしてこれも全体構想の一部として見ていいのか疑問が残る。


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