さんたくろーちぇ

【読書メモ】広場の造形③

ワークショップなどで忙しくまた間が空いてしまったが続ける。(言い訳)
続けることが大事。

第三章 閉ざされた空間としての広場

 筆者は、広場の本質的な条件として「空間がハッキリと限定され閉ざされている」ことを挙げている。現代の道に囲まれただけの広場(とされているもの)はただの「未建設用地」でしかないとまで言い切っている。
 その根拠はやはり「芸術的観点」の一点であり、確かに「主要建物の前にある広場」に関しては納得できる。このことに関しては4章でも言及されていた。(現代人、少なくとも私の感覚として、どうしても主要建物のない「開けた公園」のような公共空間を想像してしまうのだが、どうもこの本全体としては前者が想定されている模様。そういった空間にはまた別の考察が必要になりそうだ。)

 さて、では昔の人はどのような意図で閉ざされた空間を作るに至ったのだろうか。その答えの一つは昔の「環境」によるものだろう。「伝統」や「道幅の狭さ」、「交通量の少なさ」である。しかし、それ以上に、これらが欠けている環境においてこそ、顕著に芸術性が発揮されていると筆者は主張する。あらゆる広場において昔の人は、主要建物を広場から見た際の眺望上のおさまりを損なわないように、幅の広い道の出口を建物の面に作らないように配慮しているのだ。
 これに対し、現代人は躊躇いなく壁面に大きな道をつなげ、各隅に2本の道を垂直に交差させて広場の回りの家屋のブロックをバラバラに分断してしまう。(おそらく、「井」の字のような道の配置のこと。)これにより広場からの主要建物の印象が変化してしまう。

 では昔の人が現代のこのような広場を改修するとなればどうするだろうか。まず隅の道を1本に抑え、垂直な道の出口は広場からは見通せないような位置に導入するだろう。これを筆者は「タービン状の配置」と書いている。これにより、外部からの眺望を「分断されていない全体の眺望」の一つに限定できる。また、3,4本の道が広場に接続する際、道の流入部を目立たせない工夫として、道の方角が全て異なるように配慮されている。

 さらに、道の流入部を見通す際の果てしないパースを和らげる工夫として、アーケードを持った記念門や柱廊や開廊や、建築的意匠を凝らした壁面で閉ざすようなものも散見される。

第四章 広場の大きさと形

 三章では広場の領域性を出し、適切な眺望効果を得るための手法が述べられていた。この章では適切な形と大きさについて述べられている。

 まず、広場の形について。
 都市広場は間口の広い「間口型」の広場と、奥行の深い「奥行型」の広場に二分される。「間口型」は市庁舎のような平面的な建築の前の広場に向いており、「奥行型」は教会のような短い辺に背景のようにして置かれる建築に向いている。もちろんこの場合、三章で述べたように、教会を見る視界に広場の閉鎖性を妨げないような位置に道が流入している。

 次に、広場の大きさについて。
 大きすぎても小さすぎても建物が引き立たない。逆に、広場の大きさと建物の大きさは調和がとれていなければならない。その例として、古くからの調和のとれた広場を最近の都市計画でむやみに道を広げたことで、本来実際の大きさ以上の知覚効果をもたらしていた広場はちっぽけなものとして映り、壮大に見えていた教会のファサードもいすぼらしく映ってしまったことを挙げている。

 この広場と建物を優れたプロポーションで設計するセンスは一朝一夕に身に付くものではなく、その場所によって異なるため正確に一般化した法則を作ることはできない。しかし、現代のまたたくまに機械的に行われる都市計画においては、たとえ近似的であろうとその関係を定めていかないといけないと筆者は主張する。その法則は以下の通りだ。

 1. 大都市の主要広場は小都市の主要広場より大きい
 2. 各都市の主要広場は非常に大きく、それ以外は最小限の大きさである
 3. 奥行型ではファサードの高さと奥行が釣り合わなければならない
   また、間口型では建物の高さと幅が釣り合わなければならない

 このように、まず概念的、要約的な、言ってしまえば当たり前のことを並べた上で、あくまで「自分の経験則」として以下のような具体的指標を述べている。

 ・(広場の最小の大きさ(辺のこと?))=(支配している建物の高さ)
 ・上の関係が不可能ならば、
  (広場の最大の大きさ(辺のこと?))≦ 2×(建物の高さ)
 ・正方形の広場はあまり望ましくない
 ・(広場の長さ)≧ 3×(広場の幅)のような細長い広場も良くない

 また、広場に流入する道の幅に関して、長さ15~28mの道であれば、幅2~8mで閉ざされた優美な景観が実現するが、現代の幅50~60mの道幅は不釣り合いとなる。
 筆者は現代の何もない広すぎる広場を歩く際に不快感を覚えることを「広場恐怖症」と名付け、現在こういった広場が増えている背景には、広すぎる道と釣り合いを取ろうとした表れではないかと考察している。

 さて、ここで改めて述べるがこの著書が書かれたのは1889年であり、かの有名な「フォード・モデルT」が発売され、社会がモータリゼーションへ動く十年以上前である。この時期からすでに無秩序な道路計画が問題視されているのは衝撃であるし、それをいち早く問題視したカミロ・ジッテは先見の明があると言わざるを得ない。特に、四章の最後の考察は、ヤン・ゲールが「建物のあいだのアクティビティ」や「人間の街」にて再三主張していた、「車のスケール」に「人間のスケール」が不釣り合いであることそのものであると感じた。
 不必要に区画整理をされ、広場の良さが消えた例を挙げていたが、この後の時代に交通量が増え、必要に駆られた区画整理に対して、本書の主張がどれほどの説得力を持ったかといえば現在の道路状況を見れば明らかであることが非常に悲しい。

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