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本のある場所


1970年代の終わりに、岐阜県の飛騨高山という、山に囲まれた小さなまちの農家に生まれ、育った。

小さな頃の遊ぶ場所といえば家のまわりの川や田んぼや畑か友達の家。出かけるといえば、本当にごくごくたまにお昼や夜に食事に行くくらい。それも本当ーに時々。(ありがたいことに、お金がなくてXXできない、と思ったことはなかったが、祖父母を含めた6人家族で、結構ギリギリだった、と今になって母はいう)

そんな環境で、母に連れられてよく通った場所で、今でもそのことを時折思い出す場所がある。図書館とおさなご文庫。

図書館は今の高山図書館の前の図書館で、とっても小さくて、駐車場のスペースが少なくて駐車しづらくて、今思い出してもなんともかわいい図書館だった。土曜の午後には確か紙しばいの読み聞かせがあって、それが楽しみだった記憶がある。

(と書いてはて?と思ってググってみたら「民間企業の社屋を改修したもので」(wilkipedia)とあり。はっ!そうだった、あの図書館はたしかNTTの建物を回収したんだった、と思い出した。”2階に郷土資料室があり、職員が休憩室代わりにコーヒーを飲むのに使っていた”っていうのもグッとくる)

もうひとつのおさなご文庫は、当時はなんだか本がたくさんあっておじちゃんとおばちゃんがいるところ、くらいにしか思っていなかったけど、今思えばあれは私設図書館だったんだと思う。住まいと子供向けの図書館が合体した私設図書館。

簡素な二階建てのちいさな家に、おじさんとおばさんが住んでいて、1階と2階の本棚にいっぱい本が並んていて、そこから好きな本を読んだり借りれたりする。本の匂いがして好きだった。とにかく母につらられてよく通った。

母に聞いてみたら、月額の会員制だったようで、置いてあったのは子どもの本だけだったらしい。よく連れていってもらったな、と話したら「だって、遊びに連れて行くとこがどっこもなかったで」と。

いつまで通ったのか思い出せないのだけれど、私も学校に上がると習い事やら学校やらで母がどこかに連れて行く必要もなくなりそれでいつか、行かなくなったのだと思う。

お店はもう畳まれている。いつまでやられていたのだろう。


母がどこまで深く考えていたかどうかわからないけれど、小さな時にそうして、本のある場所によく連れていってくれたことを今すごく感謝している。

世の中の本を読む人に比べたら恥ずかしくなるようなレベルではあるものの、色々な余計なことに意識と時間を巻き取られていた東京時代を経て、地元に戻り、自分のしっくりくる生活を取り戻した今、再び本を読む時間と楽しみを取り戻している。世界を再発見している気分がする。


何十年を経て、新しくなった立派な図書館に通っていると、ちいさなこどもたちが親に連れられて来ているのをよく見かける。(子供向けのフロアもとても充実している)

そんな時、おさなご文庫を、あの本の匂いとともにふっと思い出し、あんな場所をやれたらいいなぁ、素晴らしいなぁと思う。読んだ本や持ってる本なんてたかが知れてるし、自分には全然遠い世界の話だけど、でも、あぁ、いいなぁと思う。


本つながりで。

最近読んだホホホ座山下さんと松本さんの共著の『ホホホ座の反省文』

この中の、このことばがびびっと響いたのでおいておく。
(ちなみにこのnoteは未来の自分に向かって書いているところがあるので、この引用は自分のためのメモ的なところがある。というかそれが大きい。今のころの自分を懐かしく思い出して読むって、ちょっといいな、と思うので。懐かしがれる、って歳を重ねたからこそのご褒美だと思う。)

例えば本屋のような、現代ではあってもなくてもよいと言われてしまいそうな場所というのは、そういう存在だからこそ町のオアシスになりうるのではないかと思います。老若男女問わず、子どもからお年寄りまで、お金を持ていなくても入れる<公園>のような気安い場所。そういう場所がなくなっていくと、窮屈で退屈な、どこに入るのもお金が必要な町になっていきます。

本屋は文化の公園です。誰でも入れます。その文化の公園を管理しているのはその店の店主です。店主は公園の管理費を利用者から商品をかってもらうことでまかなっているのです。自分の町の本屋で本を買うことは、一つの意思表示です。 - 山下賢二『ホホホ座の反省文』(山下賢二、松本伸哉)

本を買うならまちの本屋さんで。普段からそう努めているけれどあらためて。

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