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不幸論

いつかいなくなるくらいなら最初からいない方がよかった。壊れるものなんて最初から作らない方がいい。一瞬の幸せのために、その何倍もの時間切なさを抱えて眠る夜を越えなければならないのなら、ずっと薄っすら満たされない想いのまま退屈な日々を過ごせばよかった。嫌いになられるくらいなら好きになられたくなかった。

幸福を論じるのは難しいけれど、不幸を論じるのは比較的容易だ。みんなが好きなものを挙げるより、みんなが嫌いなものを挙げる方が簡単そうな気がする、それと同じでネガティヴなものへの感覚は比較的共通するものがある。

不幸とは要するに、過去と現在における満足度の差分から生じるものだと考えている。休日が楽しすぎたせいで、平日が辛くなる。ギャンブルで昨日は5万円勝ったのに今日は1万円しか勝てなかった。去年のクラスの方が仲良い子が多かった。何でもいいが、結局マイナスのギャップによって不幸は引き起こされる。大きなプラスによって、たとえ次に小さなプラスがあったとしても満足度自体は落ち、相対的に不幸になる。金銭感覚が一度バグると不幸になるのはこれが原因である。

それならばどうすると不幸を避けられるかと言うと、身の丈に合わない過剰なプラスが得られる選択を避ける、つまり現状を維持しつつもしプラスを得るにしても少しずつプラスにしていくのが良いだろう。

何かを失うたびに、次また何かを失うことが怖くなって、何も手に入れたくなる。何も手に入れなければ幸せになれない、でも不幸にはならない、本当は薄っすら不幸な状態が続くのだけれど決して致命的な大きな不幸にならない。不幸のチケットとしての幸福なんてほしくない。何もいらないから何も奪わないで、そんな消極的で強欲な姿勢をゆるされたい。

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