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プロテスタンティズムから離脱したい?アメリカ

こちらの記事は、

・"意義"の追求が自滅を招く話

・真面目に楽しむドイツ人

・※真面目に楽しむドイツ人の補足

の続きとなります。


前回は真面目に楽しむドイツ人ということで、ドイツと日本における家父長制が意義の存在を際立たせていることや、それにより現代は『意味』よりも圧倒的に『意義』を重要視している点について書きました。


また、その一方でアメリカについて思ったことがありました。


世界経済をこれだけ先導しているアメリカは、言ってみれば日本やドイツよりも意義を追求することが得意なのではないか?という点です。


しかし、国民性としてアングロサクソン系の家庭というのは、自分の親の家よりも家族を持ったら自分たちの家族を優先するのだそうです。


いわゆる核家族化するということですね。


とすると、日本・ドイツのような合理的・効率的さを求めるというよりも、別の視点で意義を深めていると思われます。

(一つ見えてくるのは個別主義的な側面でしょうか)


アメリカの例えばウォールストリートなどの証券会社に務める人は自分が働いた分だけ、大きく稼ぐことができます。


これは、意義追求しているというよりも、人生を生きる”意味”を重要に思えている=楽しんでいるからこそ出来ることだと言えます。


労働をする側も、仕組みを作る側も意味を重要視する人がいるからだと思いますが、一方でサブプライムローン問題などで大きく儲けた人たちのように、他人のことは気にせず、稼ごうとする人もいます。


その背景にはプロテスタンティズムの浸透があると思います。


プロテスタンティズムと近代社会についてざっと知るならこちらのwikiで。


また、大きな格差を生んでいる理由はどこにあるのかを考えると、このプロテスタンティズムからの脱却があるのではないでしょうか?


ヴェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』では、現代資本主義の精神がどのようにして打ち立てられたのかが書かれています。


上記のwikiにもありますが、個人の救済が効率よく働くことを推し進めたとしたら、現代の格差は個人の救済を求めていないことになります。


このことは、救済という個人的な”意義”ではなく、生死という問題に”意味”を見出さずにはいられない環境になっているのではないかと思ったのです。


なぜかと言えば、テレビに出たり、やり手証券マンとして働いたりする人が、どんな末路を辿るかを見た時に、格差で悩む人が「たくさん働いても果たして幸せなのか?」と疑問思ったことが想像できるからです。


大金をせっせと稼いで、大きな家や高級車に乗ったりクルーザーを持って毎晩パーティーをすることに意味を見出せなくなったんじゃないでしょうか。


もちろん、アメリカンドリームを夢見て成り上がりを目指す人もいると思いますし、そういう人を作り出そうと資本を持つ人が働きかけているとも思います。


一方で、新しい技術やサービスを作って、広く活用してもらいたいと思っている人が増えてきています。


新しい便利なサービスを提供する目的が大金を稼ぐことではなく、ユーザーに便利さを提供したいという思いからです。


もしかしたら、会社の広報上そういう発信をしているだけかもしれません。

(投資家の人に注目してもらうためなど)


とは言え、誰かのためにすることが自分にとっても最良の結果をもたらすことが広く浸透しているとすれば、それはヴェーバー的な資本主義の精神からは大きく脱却していると言えるのではないでしょうか?


つまり、プロテスタンティズム的な働き方=自分の救済ですが、自分の救済のためではなく、同じ社会を生きている人のためという視点は、従来の資本主義の精神からは離れます。


もし、自己救済のために資本主義の精神を発揮するならば、あれだけ訴訟が活発で保険加入が自己責任である国ですから、オープンソース化したり、社会のためという発想で製品を開発したり、GoogleやFacebookのように働いている人の環境改善や裁量を持たせることを考えるということはしないでしょう。


しかし、そうした合理性のために働くのではなく、冒頭申し上げたように、”意義”よりも”意味”を重視する働き方が増えてきている点や格差が広がっている背景に、プロテスタンティズムからの脱却があると思いました。


格差については、資本主義の精神ゆえの犠牲と言えますが、一方で低所得者の人にもプロテスタンティズムの精神があるとすれば、大きくは稼げませんが、コツコツと働き消費することも抑えているでしょうから、現代の格差とは別の姿が浮かび上がったはずです。


総合的に見た時にアメリカ(の国民)はプロテスタンティズムから脱却を願っている部分があるんじゃないかと思いました。


その流れは、イギリスのブレグジットとも通じていて、共通するのは資本主義の終わりだと言えます。


資本主義に代わる概念が何かと言えば、自分自身も曖昧模糊としていますが、少なくとも”意義”よりも”意味”に大きく比重を置いたものだと想像します。


これまでは、資本が物事の決定において大きな力を持っている時代でしたが、仮想通貨がこれだけ浸透していることからも、一つの大きな資本ではなく、より小さい共同体と個人の関係性がより増えていくのではないでしょうか?


ちなみに、前回の記事でも登場した『真面目に楽しむドイツ人』の話をしてくれた女性が教えてくれた、DJ Marboさんの『Episode The End of Capitalism』という作品が、資本主義に代わる世界を見せてくれていると思いました。


最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。

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