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ハリー・ポッターはところでなぜ面白い?

どうもこんにちは。南﨑理沙(なんざき りさ)です。
最近、ハリー・ポッターがまたしてもブームとなっていますが、皆さんハリー・ポッターはお好きでしょうか。私にとっては、これ以上ないほどの推し作品です。

ハリー・ポッターが面白いのなんて、当り前じゃないか!と貴方は思われたかもしれません。
世界中で、知らない人はいないくらいの名作ですからね。発売当初は、ハリー・ポッターを読むために早起きする人が続出したり、ハリー・ポッターを読んでいたビジネスマンが電車を乗り越したり…そんなお話もあったような覚えがあります。

さてさて、今回のnoteでは、それほど面白いとされるハリー・ポッターをどんどん掘り下げて、その物語に隠された面白さの魔法を紐解いていこうと思います。

・ハリー・ポッターには物語が二つある!

 ハリー・ポッターの面白さは、何と言っても物語を区分けすると二つになっているところにあります。まず一つは、ハリー・ポッターの日常生活。彼ら、魔法会とはいえど我々マグル(魔法族ではない人々)と同じように必死に勉強していますし、試験だって受けます。スポーツがあり、勝敗があります。ジニーとハリー、ロンとハーマイオニーなどといった恋愛模様も描かれますね。このように、普段の生活では、彼らは魔法を使えるとはいえ先生がいる学校の中でごく普通に暮らしているのです。これが、私達がハリー・ポッターの物語を、学園生活として、楽しめる理由ですね。

 もう一つは、ハリー対ヴォルデモートに象徴されるような物語です。

平穏な学校生活の中に、少しずつ象徴的な物語が入り込んできており、この壮大な戦いは物語が進むごとに激しくなります。具体的にはこの戦いは、愛と孤独の戦いですね。物語の中でも何回か出てくる通り、ハリー・ポッターとヴォルデモートは非常によく似た面をもっています。二人とも孤児で、蛇語を話せる(これはハリーが分霊箱だからですが…)などなど。その中で、唯一の大きな違いは、愛を知っていたかということと、どのような選択をするのかということでしたね。

また、この物語は象徴的な側面で読んでみると、受容とコントロールの対比ともなっております。ハリーは起きていったことを受け入れ、自分の運命を受け入れ、その上で選択を重ねていきます。そしてついには、魔法界のために必要ならと、最終巻『死の秘宝』では自分の死までも受け入れるのです。死を受け入れることで、ハリーは自分の人生の課題を全てクリアし、アイデンティティを確立するのです。
エリクソンの発達段階についても考慮すると、ハリーが死を受け入れて完全に自己統合されることがよく分かります。

例えば、『謎のプリンス』ではハリーは自分は選ばれし者なのか、何者なのかと葛藤し、周りへの当たりもきつくなってしまうことがありますが、これはエリクソンの発達段階から考えると「青年期」にあたりますね。

エリクソンが人間の人生において最後の発達段階として位置づけているのは、『老年期』であり、人生に満足し死を受け入れられるかということもとても重要な意味をもってきます。自己を統合する気持ちが絶望を上回ると、全体の社会や次の世代のことを考えられるようになるのです。

ですがヴォルデモートはどうでしょうか。彼は、死を絶対に受け入れません。自分のコントロール下におけないこと全てを排除しようとするのです。それほどまで、世界に対してのコントロールを失うということは、彼にとって恐怖だったのでしょう。これは、もはや症状であるともいうことができるほどですね。

自我というものの強さを、自分をどれほど受容できるかで強度が決まるとするならば、死を受け入れず、出自を跳ね除け(ヴォルデモートはトム・リドルという本当の自分を捨てていますね)、自らの魂を分割した(分霊箱を意図的に七つも作りましたからね)ことは、かなり不健全であるといえます。

彼のように、分割する、切り捨てる、ということは功利主義の社会では受け入れられたとしても、人間的ではない、ということを作者ローリングは伝えたかったのかもしれません。

今お伝えしましたように、ハリー・ポッターの物語には、日常レベルの物語と、象徴的な物語が混在しています。これを文学用語では「小さな物語、大きな物語」と言うこともあります。この二面性が、ハリー・ポッターの魅力の一つであるといえるのです。

ハリー・ポッターの魅力はまだまだあります。ハリー・ポッターの世界に隠された構造的な差別や現実性、資本主義を象徴した時代設定などなど…考えれば考えるほど魅力溢れるこの作品を、皆さんぜひもう一度読み返してみてはいかがでしょうか。

~プロフィール~

南﨑理沙(なんざき りさ)

・大学で文学を学び、『文学は狂気をも美学へと昇華する』と考え、日々より良い作品を作るため邁進している。文学は、何も起こらなかったけれど確かに在ったあなたの切なさ、哀しみ、仄かな揺れ、そういった存在に必ず光を当てる。言葉の世界においては私たちは何の制約も受けない。言葉を通して私は自由になりたいと思っている。そしてできれば、せっかく言葉に出会ってくれたあなたにも、少しでも自由になってくれたら嬉しい。

・ホグワーツに入れるならレイブンクローに入りたい。

文学フリマで出品させていただく作品には、二つショートショートを掲載させていただいております。ぜひよろしくお願いいたします。


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