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そこには、二重あごでドレスが入らない、美しい私が写っていた。

「ゼクシィは、もう買ったのか。」
もう28年も娘をしているが、父の言葉はいつもどことなく新鮮味を帯びている。父娘とは、そういうものなのかもしれない。

結婚したら、ゼクシィ。

耳馴れたコピーを思い出して「確かにまだ買っていなかったな」と、新学期に新しいノートを買うように、なにかのついでに蔦屋書店に寄った。

雑誌のコーナーにつくと、ゼクシィが堂々と平置きされている。
手にとって見てみると、「結婚式丸分かりbook」「2022年のトレンドドレス」という大きな文字が目に飛び込んでくる。そして、それらの見出しと美しい花嫁を白いバラの装飾が囲っている。まざまざと幸せなその雑誌は、今の私にはあまりにも似合わず、私はゼクシィを平置きに戻して蔦屋書店をあとにした。

いわゆる授かり婚をして数ヶ月経ったばかりの当時の私は、つわりで肌も心もぼろぼろ。お金についても、出産と新生活の出費をやっと把握できたところだった。
花嫁を包む祝福の白いバラに、思わず棘の鋭さを感じてしまう私は、惨めだった。

「私」が消えていく10ヶ月

それからは、目まぐるしく時が過ぎていった。
妊娠が分かったのは10月頃であるものの、改めて夫がしてくれたプロポーズやお互いの両親への挨拶、2人で住む家への引越しと駒を進めていると、婚姻届を提出したのは12月末、1月には安定期を迎えていた。

ただ、駒を進めれば夫婦になれるわけではなかった。
形式的な儀式の裏側で、毎日毎日、私たちは夫婦になるためにぶつかったり、認め合ったりを繰り返した。

この運命を放棄したくなる日もあった。
けれど、彼は1秒足りとも、諦めなかったし、後ろを向かなかった。
その「確かさ」こそが、短期間でも夫婦になれたと所以だと思う。

ただ、それでも時間は足りなかった。
好きになればなるほど、もっともっと私のことを知ってほしいと思った。
それなのに、私はどんどんお腹が膨らんで、考えることや大切に思うことも変わっていって、一人の女性だった私は、自分でもその形を忘れるほどに消えていく。

まるで入浴剤がゆらゆらと溶けるように、せっかくできあがってきた「私」がぼやけて行って。
せめて母になる前に、今の私と彼で写真に残したい。
しがみつくような思いで、フォトグラファーの彩聖に連絡をした。

愛され花嫁の夢は増え続ける体重に押し潰される

彩聖は「もちろん撮ろう!」と。そして「Roots&Routesで撮らない?」と提案をくれた。
Roots&Routesとは、写真を撮りながら人生のルーツを辿る、彩聖が昨年ごろに始めたばかりのサービスのこと。
「結婚式もしばらくできないし…」と挨拶回りの意味も兼ねて、Roots&Routesでお願いすることにした。

「ドレスって借りると高いかなぁ。」
最初の打ち合わせで、そんなことを相談していた私は、ウェディングドレスへの憧れを捨てきれていなかった。暇さえあればマタニティドレスを見て。だけど、マタニティドレスの中に、自分が納得できるドレスはなかった。

仕方なく、白いワンピースをネットで購入するも、ウエストがキュッとしたドレスらしい形はファスナーが閉まらない。結局、3着目に買った体のラインが分からない、ふんわりとした白いワンピースを着ることにした。せめても、ヘアメイクはこだわろうかと思ったが、なにをやったって愛され花嫁にはなれないと拗ねるように諦めた。

Roots&Routes当日の朝、鏡に映る私は花嫁とは程遠かった

当日の朝、鏡に映る自分は、写真を撮るにふさわしくない身なりだった。メイクをしても肌も髪もボロボロで、白いワンピースを着るとマシュマロみたいに四角く膨らんだ体が目立って。「楽しみだね。」と素敵な言葉をかけてくれた夫に、返す言葉は見つからなかった。

電車に乗って、通った中学校のある駅へと向かう。到着すると、フォトグラファーの彩聖ともなちゃん、プランナーのぶちがいて、いつも遅刻がお約束の親友たちがばっちりとおしゃれをして待っていてくれた。

ぶちから今日の旅のしおりを受け取り、待ってくれていた親友たちの方へ体を向ける。しゃがんでメイク直しをしている恵利奈の姿はいつも通り。振り向いて自転車を押して歩き出す臼井と目が合うと、もうそこはいつもの通学路だった。

一緒に校庭を一週したら、交差点で分かれて、今度は私の実家に向かう。
「この道を歩くと、結婚の挨拶の日を思い出して緊張する。」
そう話す夫の顔には、言葉とは裏腹の余裕さが見える。
私の家族と家族にになったことを思わせてくれる笑顔だった。

家につくと、おじいちゃんが庭の手入れをして待っていた。
そして、母が玄関から「うふふ」と出てくる。母はいつも主役のような照れ笑いをする。

家の前で写真を撮って、そのあと、近くの公園で写真を撮る。
「いつか新しい家族と一緒に行く公園で、写真を撮りましょう。」
プランナーぶちの提案に、ぞろぞろとついていく。家族揃って近所の公園に行ったことがなかったので、「エモい」が過ぎて少しくすぐったい。

だけど、赤ちゃんのスペースを開けて並んで撮った写真は、未来以上に「今」を写していた。

その後は、私の職場、そして夫の実家と巡っていく。
気がつけばメイクを確認するのを忘れていた。
行く先、行く先で待ってくれている大切な人たちと目を併せて向き合うこと。その幸せをただただ感じていた。
自分の身なりよりも、歩けば歩くほどに積み重なる幸せのシーンに目を奪われていた。

日が暮れてくるころ、2人で初めてデートをした浜町公園で、再び待ち合わせをすることに。
「あの日のように待ち合わせをして、デートをしてね。」
プランナーぶちの提案は、またもやくすぐったい。
恥ずかしさを堪えながら、私を待つ夫のもとに向かう。

淡々とやり過ごしたいのに、幸せな顔をして待っている夫を見つけると涙が込み上げてきた。

授かって、駒を進めたから、一緒にいるんじゃない。
世界で唯一、この人が好きで、この人を選んでる。

そう思った。

初めてのデートをなぞるように、コンビニでアイスを買って、くだらない話をしながら隅田川沿いを歩いて。

撮られるというより、自分の目で大切な人、大切な場所を焼き付けていく感覚があった。写真はそれを確かなものとして、色鮮やかに記録して、記憶を支えてくれるものなんだと思った。

もう一度出会いに行く旅 Roots&Routes

2週間ほど経って、彩聖から写真が届いた。
写真は「思い出」に撮るものだと思っていたが、そこから感じるのは「出会い」だった。これまでも共に生きてきた大切な人たちに、夫婦になった私たちでもう一度出会いに行く旅、それが私たちのRoots&Routesだった。

妊娠して、結婚して、消えていってしまう気がしていた今までの私は、Roots&Routesであっけなく呼び戻された。一方で長年連れ添ってきた家族や友達はとの写真は、懐かしさのような過去よりも、「これからも」という言葉の似合う未来を思わせた。

写真を撮るというのを言い訳に、大切な人たちを呼び、今の私で出会いなおす。目と目を合わせて、変わらないことも変わることも愛おしいと悟る。

写真のなかの私は、ドレスも着れず、腫れた顔で、今が旬だと言わんばかりの美しい表情をしていた。


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結婚式の思い出

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