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【note初投稿】コロナで創業以来3度目の危機を生き抜きながら

今日から9月。2020年は、あと三分の一だ。
私は、仕事柄かもしれないが、いつも死を意識して生きている。
スティーブ・ジョブズの生き方に影響を受けているのかもしれない。

「毎朝、鏡の中の自分に問いかけてきた。もしも今日が人生最後の日だとしたら、今日やろうとしていることをやりたいと思うだろうかと。NOと答える日が何日も続くようであれば、何かを変えなければならないということだ」
出展:https://forbesjapan.com/articles/detail/31176

「もし明日死んだら?」
会社を経営していると、そんなことよく考えません?
経営者の仲間や諸先輩方に聞くと、答えはさまざまだ。
でも実際には、総理大臣が病気で辞めても日本が終わらないのと同じように、社長がポックリ亡くなっても、会社は存続するものだ。

人生100年時代と言われる。
そう考えると、まだ人生の折り返し地点にも立ってないのかもしれない。
いずれにせよ、私がいつか、この世を去るときに、きっと、この2020年のことを思い出すだろう。
それくらい、今年はインパクトのある年だ。まだあと4ヵ月残っており、これから年末に向けてさらにドラマティックな展開が待っている気がするけれど、一足先に、1月からの8ヵ月を振り返ってみたい。

1月:GILP(Global Innovative Leadership Program)参加。シリコンバレーで自分の腹落ちするBeingを見つける。


1月17日~24日 サンフランシスコに1日滞在し、翌日からシリコンバレーに移動。目的は、Women's Startup Lab の堀江愛利さんが主催する、GILP(Global Innovative Leadership Program)を受講するため。

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私を含め、7人の女性リーダー(起業家やCOO、大企業の幹部候補など)と一緒に、シリコンバレーの高級住宅街にある一軒家で、4泊5日の合宿生活を送った。

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5日間、ほぼ家から出ず、はじめて出会った仲間と寝食を共にしながら、ひたすら自分を内観したり、ワークをおこなったり、ゲストの講義を受けたりした。最終日の夕方、一人ずつピッチをおこなった。(頑張って英語で!)

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プログラムでは、”Doing”(何をするか?)ではなく、”Being”(どうありたいか?)が大事、と何度も繰り返された。ピッチでは、プログラムに参加した理由や自分の中におこった変化、そして自分の”Being”と、ミッション&ビジョンなどを語った。

私のBeingは、Free&Creative(自由でクリエイティブ)
私のMissionは、Revolutionize the way of life.(生き方革命)
私のVisionは、Create the new choice of designing life.(生き方をデザインする新しい選択肢を創造する)

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ちょっとだけ、世界を変えられるんじゃないか、と思った。
でも、その後、シリコンバレー在住の日本人起業家に会ってお話を聞いたり、世界の富が集まるテック企業の本社めぐりなどをしているうちに、日本と日本人は、この10年くらいで、なんと衰退してしまったんだろう... これはヤバいな、と感じた。未来の子供たちのために日本の信頼を取り戻さなければ、などと考えながら帰国した。

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2月:『人生100年時代の生き方改革』ブルーオーシャンカフェ5周年Meetup Day開催。80人を超えるゲストがカフェに集う。

米国から帰る飛行機の中で、ミッションとビジョンを発表する場を作ろう、と考えて、会社創業記念日でカフェの開業記念日でもある2月15日に、イベントを企画することにした。

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ちょうど、カフェの開業から5年経ち、飲食店から業態変更をしていこうというタイミングでもあった。私たちのメインのビジネスは、海洋散骨だったが、これから、散骨以外の分野に事業を広げていこうとプロジェクトを始動させるところでもあった。

ご縁のある方々にお声かけをして、なんと、15坪あまりの小さい店に、延べ80人を超える人が集まって下さった。(今では考えられない、密な空間!!)

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ブルーオーシャンカフェの人気ワークショップ、「入棺体験」のコーナーも作り、ゲストの方々に、一人称の死を体験していただいた。

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一部と二部で、2回、これから取り組みたいことなどを語った。

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メディアの取材もいくつか入った。

原点への回帰を。ブルーオーシャンカフェ5周年の新たな決意/株式会社ハウスボートクラブ - ライフ&エンディングBIZ|葬儀経営・霊園経営のビジネスメディア
https://www.life-ending.biz/_ct/17341818

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鎌倉新書 月刊「仏事」4月号より

3月:今年最後の海外出張。台湾のコロナ対策の徹底ぶりを体感する。イベント全滅。お花見クルーズがすべてキャンセルになる。

周年イベントをカフェで開催したころ、コロナはまだ対岸の火事だった。そこから日を追うごとに状況は変化していった。2月末から3月上旬にかけて、台湾出張の予定があり、ギリギリまで行くか迷ったが、マスクをして出かけることにした。2月末にはマスクやアルコールが手に入らなくなり、3月に予定していた様々なカフェイベントが次々と中止になっていった。

ガラガラの成田空港、搭乗客とCAの人数が同数くらいの飛行機。台北空港に着陸する際、問診票が配られ、虚偽の申告や健康チェックを拒否すると罰金とアナウンスされる。

空港から市内へ。電車の中で流れる広告に、「手をよく洗いましょう」「人込みを避けましょう」といった政府の広告が流れていて、日本より遥かにマスク着用率が高い印象。ホテルやレストランに入る際は必ず検温された。

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台湾がコロナ封じ込めに成功したのは、初動の対応が徹底していたこともあるし、官民が一体となっていることもあるが、リーダーが女性であることも無関係ではないと思う。マスクの在庫を見える化するシステムを3日で構築したトランスジェンダーのIT大臣の存在も素敵だ。

とにかく滞在中、コロナの危険を感じることなく安心して過ごすことができた。

日本に帰国したのは3月初旬で、ビジネスにもかなり影響が出始めていたが、ちょうど東日本大震災の時に経験したのと同じく、今を耐え忍べば、日はまた昇る、「ピンチはチャンス」と従業員を鼓舞していた。今振り返ると、あの時期はかなりアドレナリンが出ていて、ハイテンションだったと思う。

娘の小学校の卒業対策委員長という役目を務めていて、半年以上かけて準備してきた謝恩会の中止が決まり、突然の休校に親子で放心状態になった。
それでも、テンション高めだったので、子供たちとPTAのLINEグループを使って、リモートで「栄光の架橋」の担当パートを歌う動画を集めて編集するなど、家を一歩も出られない子供たちの卒業に何か記念を残そうと力を注いでいた。

コロナが東日本大震災よりもダメージが大きいことが実感されたのは、3月25日。小池都知事の会見からだった。

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その週に連日予定されていたお花見クルーズの予約が全滅になった。都内の屋形船でクラスターが発生したというニュースの影響も大きく、しばらく船は出せない状況になった。

4月:すべての営業がストップ。数カ月先の売上見通しも立たなくなる。社員のテレワークと雇用調整。資金調達に走りまわる。

4月1日。月初の水曜日は、全体ミーティングの日。その日、私たちにとって大切なお客様のお見送りがあった。皆で火葬場に向かう前に、明日からの営業停止と全員テレワークにすることを決めて皆に伝えた。
毎日、朝礼と夕礼をオンラインでおこなうこと。日報を書くこと。これも多様な働き方の実験と前向きにとらえよう、と伝えた。

火葬場からの帰りにみた満開の桜が切なかった。

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出展:https://toyokeizai.net/articles/-/164538

4月7日。この日から、5月6日までの一ヵ月間、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、大阪府、兵庫県、及び福岡県の7都府県に緊急事態宣言が発令される。

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戦争を、私は経験したことがないけれど、戦争中ってこんな感じなんだろうかと思った。
誰もいない、がらんどうのオフィスに通って、毎日、金融機関と話をしたり、助成金の申請をしたり、一日も休まず動いていた。コロナが収束するのはずいぶんと先になる。それまで営業再開の目途が立たなくても会社と今いる従業員の雇用を守らなければ... ハイテンションは変わらなかった。

4月後半。テレワークが長期化し、さすがに自宅でやってもらう業務も限りがあり、従業員には順番に休んでもらったり、一部のスタッフには、グループ会社に出向してもらうようになった。オンラインで日々コミュニケーションは取っているものの、通常業務に戻る目途が立たず、全体の士気が下がっていくのを感じた。

5月:緊急事態宣言の延長。事務所の撤退と、カフェの閉鎖を決断する。中学に入学した娘は未だ中学生になれず。I can't breathe...

1ヵ月休まず走り疲れてしまい、ゴールデンウィークはお休みをもらった。メンタルの不調もあり、ほぼ一週間ベッドの上で過ごしていた。
本当は、ゴールデンウィークは東京レインボープライド、そして6月にはフューネラルビジネスフェアというイベントに出展する予定だった。

5月から会社は2Qになり、四半期の個人目標は「コロナ禍を生き抜き、筋肉質の会社にする」とした。

連休明け、政府は緊急事態宣言の延期を発表した。

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カフェの臨時休業を2週間、1ヵ月と伸ばしてきたが、無期延期とした。

会社を筋肉質にするため、あらゆるコストを見直そうということになり、誰も出社しないオフィスを撤退して、カフェの店内をオフィスにしようという話になった。苦渋の決断。コロナによっていろいろなものを諦めなければならなかったが、この決断は苦しかった。

5月後半は、引越し作業。たくさんのモノを手放し、身軽になっていった。
一方で、心の重さは、なかなか回復しなかった。子どもの学校は始まらないし、SNSやマスコミは、誰かを批判することばかり。
アメリカでは、感染者や死亡者が増えていたが、ジョージ・フロイドさんの死をきっかけに、#BLACK LIVES MATTER 運動が沸き起こっていた。
ジョージ・フロイドさんが白人警察官に膝で圧迫される動画を見てから、彼の最期の言葉が何度も何度もこだました。
Ican't breathe... 私も息ができない。 ZoomやGoogle Meetでいろいろな人と話をしていたが、孤独を感じていた。
ソーシャルディスタンス。心にも距離や断絶が生まれていた。

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出展:https://ellegirl.jp/article/l_ellegirluni_racism_in_japan_20_0710/

6月:自粛明け。お客様が戻ってくる。ブルーオーシャンカフェのオンライン化本格始動。学校少しずつスタート。

カフェでイベントができなくなってから、カフェイベントのオンライン化に取り組んでいた。4月26日に、一回目の散骨セミナーをZoomで開催したところ、北は青森、南は福岡、そして、1月にシリコンバレーで知り合った方がアメリカから参加して下さった。
これには可能性を感じた。

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ご縁のある方に協力していただき、次から次へと、オンラインで終活セミナーや対話カフェを開催していった。

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オンラインの可能性。「生きるを支え、人をつなぐ」というカフェのビジョンは、物理的なカフェがなくなっても継続できるという手ごたえを得た。

本業の海洋散骨は、緊急事態宣言終了の自粛明けで、過去最高のお問合せ数を記録し、船もそろりそろりと動きはじめた。お客様が待っていて下さったのが嬉しかった。

7月:長引く梅雨。雨降って地固まらず。膿だしから生み出しへ。大学4年生の長男の就活難。

今年の梅雨は長く続いた。来る日も来る日も雨が降り続いていた。九州など西日本では集中豪雨の被害が甚大だった。

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出展:https://www.kantei.go.jp/jp/headline/ooame202007/index.html

毎年7月1日は、一年の折り返し地点で、社内研修をおこなうのが恒例となっている。昨年は鹿児島に2泊3日の研修旅行に出かけたが、やはり集中豪雨で大変な思いをした。今年は、旅行は無理だけど、密を避けて屋外でBBQをしながら、組織を再び一つにまとめようと一日研修を企画した。
しかし当日は暴風雨で、BBQどころではなく、トラブルも重なり、企画は途中で変更を余儀なくされた。

大学4年生の長男は、コロナで就職活動をこじらせていた。エンタメ業界を目指していたが、志望する企業が次々と新卒採用を取りやめていた。
大学のある京都から東京に呼び寄せて、私が生き方が素敵だと思う大人に合わせて進路相談の機会を作ったりしたが、それぞれの人が全く違うアドバイスを息子に与えて下さり、本人は余計にモヤモヤして京都の山に戻っていった。生き方に正解など無いというのが分かってよかったのかもしれない。

お天気の影響はあったものの、海への散骨を希望する方は、引き続きお問合せを下さっていた。乗船人数の上限を減らすなど、感染症対策に注意を払いながら、船の運航を続けていた。オリンピック開幕でお祭り騒ぎだったはずの晴海~お台場は、死んだように静まり返っていた。

この時期は、とにかくインプットに力を注いでいた。先の見通しが立たず、自然に任せようと腹を括り、4月から開始した社会福祉士の資格取得のための勉強や、さまざまなオンラインセミナーやコンテンツを片っ端から視聴することに時間を費やした。オンラインセミナーは、玉石混合だが、無料や安価で良質のコンテンツに出会うことができた。

8月:梅雨明け一転猛暑。オリンピック中止のおかげで仕事増える。秋に向けた準備。GILPのメンバーと長野で再会。夏の終わりの一人旅。

8月の声を聴いて、やっと梅雨が明けた。いきなりの猛暑だった。オリンピックが開催されていたら、かき氷が飛ぶように売れただろう。
私たちは、オリンピックが中止になったおかげで、夏の間も選手村の横に位置する桟橋から船を出すことが出来た。

コロナは、弔いの在り方に影響を与えていた。密を避ける、感染を防ぐという観点から、死者とのお別れに充分な時間をかけたり人を集めることが困難になっていた。8月に、散骨を希望する方の火葬に2件立ち会った。1件目は、参列者がいなかった。2件目は、参列者が2人だった。

コロナ前に戻ることは、もう出来ないだろう。Withコロナの世界で、弔いの在り方は?逝く人と遺された人の絆、繋がり。グリーフサポート。
私たちに何ができるだろう? この問いをずっと考え続けている。

6月から中学に通い始めた娘が2週間の夏休み期間に入った。Gotoキャンペーンも除外された東京では出掛けることもなく、再び自宅で一日中YoutubeやTikTokを見て過ごす日々。

1月に出会ったGILPのメンバーの一人が、長野に行こう!と誘ってくれた。長野県上田市で、Social Goodな会社を運営しているメンバーのオフィスを訪ねることに。子連れで出掛けることにした。映画「サマーウォーズ」の舞台、上田市。

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会社の名前は、株式会社はたらクリエイト。100名の女性スタッフがここで自分らしく働いている。立ち上げメンバーでCOOのなっちゃんは、久しぶりに会ったら、別人のように活き活きと輝いていた。
リモートワーク、移住ブーム。コロナで時代がなっちゃんに追いついてきたねぇ。

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オフィスを見るだけでも、組織が一つにまとまっていて、みんなが同じ方向を見ていることが分かる。暮らしと働きが近いところにある。でもこれをつくり上げKeepするには努力を積み重ねているのだと思う。

GILPメンバー7人のうち4人が長野に集まり、3人はZoom参加で、現状や未来への展望など一人ずつピッチ&フィードバックを2時間くらいおこなった。それぞれの中に変革が起こっていて、みんな前を向いていた。

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午後は車で軽井沢に移動し、カフェで語り合って食事をして、駅に着いたら上越新幹線が運行ストップして、帰れなくなるというハプニング付きの夏休みの思い出となった。

8月の最終週。ここまで起こった変化とこれからの動きに備え、自分を内観し整えるために、一人で弾丸の旅に出た。行き先は、瀬戸内海の無人島、仙酔島。パワースポットで、今すぐ行くべきと言われ、その声に従った。

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5色の岩、浦島太郎の砂浜、江戸風呂。自然の中で瞑想し、自分に向き合い、たくさん汗をかいてデトックスした。閉ざされていた扉がギギギと少しずつひらくのを感じた。脳だけでの考えを腹の中に落とし込んでいった。

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島から戻って、月末の恒例、ブルーオーシャン法話カフェに繋いだ。

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仲間の僧侶も含め、20名を超える参加。夏の終わりに、ステキな法話が聴けた。運営側にも関わらず、聴き入ってしまった。
蓮は、泥沼から真っ直ぐに突き出て、花を咲かせる。
私はまだ、泥沼の中にいる。でも泥は滋養たっぷりで、蓮根の繋がりで、たくさんの人たちと繋がっている。

一度、沼の底に沈んで見えなくなった情熱を再び、取り戻しつつある。
法話カフェで「お坊さんの日課は?」という問いに、日々のお勤めのほかには毎日ブログを更新しているという僧侶がいた。
ルーティーンが苦手で、数々の三日坊主の実績がある私だが、ひとまずnoteを続けてみたいと思う。

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