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16歳の私へ

なんだかタイトルが進撃の巨人の始まり方みたい。
そう思うのは最近アニメを見返して影響を受けているからだろうか。

人生計画を立ててしまう性格なんです

いつからだろう。人生計画を立てる癖がついたのは。
でも記憶している中で小学5年生から計画が始まっているから、少なくとも小学4年生の時には計画が既にあったことになる。

小学5年生 企画委員会or放送委員会に入る
小学6年生 企画委員会or放送委員会で活動しながら、中学受験をする
中学1年生 学級委員になる
中学2年生 生徒会に入る
中学3年生 生徒会に入る。役職を務める。海外経験をする

まぁこんな感じで、これが小4の時点で社会人3年目までは事細かに計画を立てていた。

高校1年生でやろうとしていたこと

高校1年生(16歳)の私は、平和大使になりたかった。

長崎から始まった平和大使そして高校生たちによる署名活動は今や全国に広がっている。私は身近な人が務めていたこともあり、憧れ、これを務めたいと思っていた。

しかし、書類選考・面接まで受けたが結果はダメであった。
そのときは相当落ち込んだ。想いが伝わらなかったのかと残念な気持ちになった。

平和を意識しはじめた最初の記憶

私が認識する平和を初めて意識した出来事。
それは10歳のクリスマスに家族で見た1つの動画が全てのきっかけである。

私の父には面白いお友達が沢山いて、その中の1人に「セントニコラス」と名乗って毎年プレゼントをくれるおじさんがいた。段ボールの送り状を見ても「送り先:セントニコラス」と書いてあるため、本名は知らない。
高校生くらいになって両親から本名をさらっと教えてもらったけど、今でも「〇〇さん、、あ〜、セントニコラスのこと」と言われた方がピンとくる。お世話になっているからいい加減名前を覚えないといけないなと思うけど、セントニコラスが強すぎて難しいのだ。

このセントニコラスは音楽が好きで、同じく音楽好きの父に毎年音楽のプレゼントをしていた。素敵な関係だなと思う。
そのプレゼントの中に、この曲のMVがあったんだ。

過激な紛争シーンや重傷を負った映像があるためそれは読者の皆様の理解と責任の元見ていただくものにはなるが、私はこれを母お手製の豪華なクリスマスプレートを食べて談笑した後に見た。実際にこれらの映像がクリスマス当日のものだったかは分からないが、少なくとも私のようなクリスマスを送れていないことだけは分かった。

頭を鈍器で殴られたような衝撃。
何も知らずに生きて、もしかしたら知らないまま亡くなっていたかもしれないという恐怖。とにかくいろんな感情が渦巻いた。この動画を見た2010年12月24日は私の第2の誕生日と言ってもいいくらい物凄い衝撃を受けた日だったんだ。

この動画を見てから、平和について考える日々が始まった。

世界平和は永遠のテーマ

私は結構本気で世界平和を願っていて、世界平和は永遠のテーマである。
そして、そのためにはどうしたらいいのか考えることは自分にとって命題であり、周りも同じだと思ってた。しかし、周囲の人にとって「平和」は8月15日終戦の日に開かれる平和集会で使うもの・触れるものであるようだった。

もちろん平和を心から願う世の中は、平和じゃないということだからこれは凄く悪い状態ではない。しかし平和を平和と認識できない、そもそも平和がなんだか分からない状況にも、ちょっとした危機感を感じたんだ。

それに、日本は良くても世界には未だに平和を望む地域がある。なぜ皆んな平和を望むはずなのに未だに実現されていないのか、非常に謎である。
もしかしたら継続的に平和を考える機会がないだからだろうか。
それとも他の大きな要因があるからだろうか。
この世界に一体何が欠けているのだろう……と私はそういうことを考える。

しかし、こう考えている人は「変だ」と言われるということを中学生の時に知った。誰に言われたかは覚えていないけど、確か上のようなことを総合学習の時間に話して言われた気がする。

正直びっくりした。平和集会の時に言っていた「平和宣言」ってその場限りの言葉で、皆んなそれを成し遂げようとしていなかったの?、と。
今思えば私のこの思想はちょっと重すぎたのかもしれない。驚いたのは相手方も同じだろうと思うが、その時何か引っかかる感覚があったんだ。

理想を語っているのに実現できない矛盾と無力さ

今思うと、その感覚はこれに尽きると思う。
話して「変」と言われたことより、このように話している私が結局は何もできないということに気づいて情けなく感じた。
多分誰も私を「世界を平和な世に導く救世主」なんて頼りにしていないだろうが、自分の命題であるように感じながら、成し遂げることは難しいと感じている自分に苛立ちを覚える。

先の平和大使のキャッチコピー「ビリョクだけど、ムリョクじゃない」。
そうだ、これだ。そう思いながらも今の世の中は微力ながらに平和を思い行動している人がどれくらいいるのだろうか、、などと考えてしまう。もはや無力なのではないかと。

別に何かが言いたいわけではない。導きたいけど導くには複雑すぎる事象で世の中であるから、ここで私がサラッと「世界平和とはこれだ〜!」なんて言えるはずがない。
何かを実現するには、現実的に考える力が必要だ。しかし現実は残酷である。私は時折現実がひどく冷たく感じることがあるのだ。
「現実的に平和を考える。」
「Cool head,but warm heart.」(冷静な頭脳と温かい心)。
要はこういうことだろうが、そんなことをできる人は存在するのだろうかと思ってしまう。

それでもやっぱり捨てきれない

私みたいな理想主義者はこういうことで結構悩んでいるのではないだろうか。周囲からは変だと言われ、自分の内面では矛盾との葛藤・無力さを感じる。結構辛いよね。

そして理想主義者は、私だけの理想だけでなく、みんなにとっての理想を考える。だから「〇〇することは私に幸せをもたらすけど、あなたはそう思わないよね」と思うだろう。
世の中の事象は一面的ではない。どんなこともメリット・デメリットがあり表裏一体なのだ。だから、理想主義者の考えることには正解はなく、自分から考え始めたにも関わらず答えを導けない無力さというかやるせなさにがっかりする。自分でいうのもなんだけど、自分から疲れることをするのは程々にしたほうがいいとは思っている笑。

もしかすると理想主義者が居なくなった世の中のほうが、今より単純にまとまるかもしれない。理想主義者は色んな人の想いまで気持ちを巡らして「みんなの理想」を探し出そうとするから、物事を複雑にさせる。だから、いなくなったほうが「これですよねー」みたいな感じで行けちゃうのかもしれない。

でも、それはそれで残酷な世界になるとも思うんだ。
誰か1人でも混沌とした世界で明るい未来を語る人がいないと、本当に真っ暗な世界になってしまう。

現時点で私が考えている最も結論らしいことはこれだ。
思春期は「何もできないのに何の為に存在しているんだろう」と思っていたけど、この世の中を真っ暗な世界にしないことが存在意義のようにも思える。

16歳の私へ

話は戻るが、平和大使に落ちてしまった話。
23歳の私はそれで良かったと心から思う。

少なくとも任期の間、今以上に考え、悩んでいたはずだ。
そもそもが重いのに、加えて選考に通らなかった子たちの分まで頑張らなきゃと思ってしまうだろう。

恐らく落ちたのは、私の平和に対する想いが薄かったからじゃない。
きっと神様が「あなたには重すぎて耐えきれなくなるよ」と方向転換させてくれたのではないか。

それでも、今平和大使になって活動している高校生には頑張ってほしい。
AO入試や推薦のためのポイント稼ぎではなく、本気で平和な世界へと導く微力だけど勇敢な伝導者になってほしいと心から願う。

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