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#03 生き物たちに倣う -(exchange report)

寝そべって、ただ上を見ていることが多い2週間だった。自室の天井だったり、星の見えないシンガポールの灰色の夜空だったり。

沼地に足を踏み入れた時のような重たい足取りで、前に進むのも億劫だけど突っ立ってるだけでは沈んでしまうのでちょっと足掻いてみるという具合で、うまくいかないことばかりといった感じだ。軽やかにスキップしていた留学開始時のお祭り騒ぎから落ち着き、ある意味ふつうの日常がどっしりと姿を現したのかもしれない。水の中にぷかぷか浮いたあとの、陸に戻った時の気だるい重力感みたいなものがずっと付き纏っている。

しかし出来事だけを思い返していくと、この2週間もなかなかに密度が濃かった気がする。檻のない動物園(Singapore Zoo)に行ったり、珍しい種に溢れる植物園に行ったり、緑地でにわとりと戯れ、湖で白鳥と出会ったりと。

Singapore Zoo 間近でみえる動物たち

生き物たちは本当に美しい。生命がひらき、力強く生きる姿に触れる時、わたしは魂の高揚を感じて絶対的な美だと直感する。最近の推しアニマルはなぜだかお猿さんだ、一番テンションが上がる。お猿さんに会いたい、非常に。旅の行きたいところリストはお猿中心に構成されつつある。

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ちょうど頭上を愉快に通行するお猿、おもちゃの植物をこっちに投げて挑発してくる

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大学ではフェンシングを始めた。まだ正式に入部する前のトレーニング期間だが、半年ほど前にひょんなことから一度試合を経験し、惚れてしまったスポーツだったので、とても嬉しい。中世騎士とは違い、今でこそ死なないスポーツではあるが、剣先を突きつけられて込み上げる怖さや、突かれる時の痛みは明確にある。しかしそれが、逆説的に生きているなあということを感じさせてくれる。スキーなどのエクストリームスポーツに似た高揚感がある気がする。

👩🏻‍💻🎨

NUSでの授業はもう第4回の週を終えたところだ。タイポグラフィーの授業では引き続き、毎週制作課題にとりかかり授業の前半2時間は教授による講評に費やされる。

Typographyの授業の様子, みんな作品を張り出して講評される
異なる2文字を合成して新しい文字をつくるという課題で制作したもの

文字をつくるという課題を終えて現在は、Visual Semanticと呼称されるものに取り組んでいる。letter(文字)からword(単語)に対象は移り、ひとつのワードに対して視覚的な表現を与えてゆく課題だ。例えば、そのワードが”missing”なら、”miss ng”とiを意図的に抜いてグラフィックを作るといった具合だ。

都市緑化の授業では、グループワークが始まりキャンパス内にある屋上庭園の見学・現状分析を経て、何を改善できるか有効活用できるかといった議論をしている。グループ内はみんな留学生でCivil Engineeringの学生が多い。あと1週間後にはアイデアとモックアップをもう発表しなければいけないので時間がない。ちゃんと試作するところまで持っていきたいところ!
また、リーディング課題で、英語にお手上げになりながらレビュー論文を読んだりしている。都市のヒートアイランド現象に対して緑化がどこまでできるかについてなど、面白かった 

その他の授業もいよいよディスカッションやグループ制作課題が本格的に始まってきた。当たり前だけど、それらは言語コミュニケーションが基盤にあるわけで、英語力不足を残酷な程に突きつけられている。どれだけクリティカルな考えを持てたとしても、それを表せなければ意味がなくて、何も生まれない。1対1の穏やかな会話なんかではなく、ピンポン玉のように素早い会話の往復が複数人の中でなされる。全然ついていけないことが本当に本当に悔しく、自分が日本語並みに英語を操れないことがどれだけ機会損出に繋がっているかと考えてしまう。だけどこれが現実だ。多少英語ができるだけで重宝されるような日本という不思議な環境から抜け出して、世界のリアルを突きつけられていることに嬉しさも感じる。

振り返ると、この1ヶ月でかなり口が回るようになったし、メンタル等に左右される波はあるものの、日英の言語脳の切り替えも早くなった実感はある。普通に生きてると、どうしても自分ができないことばかり着目してしまい、理想状態と現実のギャップに苛立ちを覚え落胆してしまうばかりだが、少しずつ言葉と表現を蓄えて、自分の英語を育てていきたい。


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こうやって書いてみると、「今週は全然何もできなかった... 」という沼地のような重たい気持ちが少しだけましになった気がする。
頑張りたいことを頭で考えて詰め込んでみても、実際にやらなかったり、スタミナのなさや体調で身体がついてこない時に、できなかったと嘆くに終わってしまう最近は非常に不甲斐ない。

その瞬間を自由に、いのちいっぱいに生きていた動物たちを見習いたい。生命力の躍動を見習いたい。ありのままの世界を、自分をただそのまま捉えて受け入れる。人間社会にいると無意識にも自身に刷り込んでしまう「こうあるべき」という大して重要でない価値判断基準に、ピュアな好奇心を殺されるのはごめんだ。

今めのまえにあるリアルに体当たりして、ありのままを愉しむマインドを叩き起こそう

あーーお腹すいた!!

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