誤解されるEBM

オカーシャによる科学哲学の本を読んで気になった所。因果推論について解説している部分です(強調は引用者による)。

医学では通常,RCTが因果関係を見定めるための標準的方法とされている.いわゆる「根拠にもとづく医療」(EBM)運動の支持者にいたっては,RCTだけが治療法の因果的効果の有無を判定できるとさえ唱えている.

オカーシャ[著]、直江・廣瀬[訳]『哲学がわかる 科学哲学 新版』(P36)

EBMをよく勉強した人が見れば、そんなわけあるかと感ぜられる文でありましょう。この文は、EBMの支持者であってもそういう人がいる、のような表現ではありません。それが代表的あるいは多数の意見である、と読めるものです。一部が唱えているだけであれば、敢えて運動の支持者などと強調する必要は無いからです。

EBM方面において、臨床的証拠の確実さや推奨の程度について評価する、GRADEシステムなるものがあります。

これは、診療ガイドラインを作成する際などに用いられる手法群です。日本のMinds診療ガイドライン作成マニュアルでも参照されています。

これらの手法では、色々の臨床的問いに関する証拠の確実さを、複数の研究を参照し、研究デザインなどを検討して評価するプロセスが取られています。
そこで研究デザインについては、RCTは高い信頼性を得られるとされ、観察研究の信頼性が低いとみなされますが、同時にその信頼性に影響を与える要因も検討されます。たとえば、方法的にはRCTが採用されていても、割付のしかたや遮蔽が不充分な事によるバイアスの可能性が深刻なのであれば、グレードを下げるといった具合です。
このようなプロセスを採用している時点で、EBM的アプローチが、オカーシャが主張するような

RCTだけが治療法の因果的効果の有無を判定できる

オカーシャ[著]、直江・廣瀬[訳]『哲学がわかる 科学哲学 新版』(P36)

などと捉えていないのは明白です。もしこのように考えているのならば、観察研究による証拠のグレードなど考慮する必要は無く、RCT以外は無視し、RCTの品質のみを評価すべきだからです。また、もしRCTでしか因果効果にアプローチできないのにRCT以外を評価し推奨に組み入れるのならば、因果効果を言えないものを参照してガイドライン等を作成している事になってしまいます。

GRADEのワーキンググループメンバーであり開発者のGordon Guyatt氏による、GRADEアプローチの説明動画があります。

また、少し古いですが、Guyatt氏へのインタビューがあります(※httpページ)。

このインタビューでは、GRADEシステムが開発され発展してきた経緯について説明されています。エビデンスというものの評価が、実に複雑である事がうかがえます。

なぜGuyatt氏の意見を紹介したかと言うと、

私は,この概念をEBMという言葉で表し,1991年に論文で発表しました。こうしてEBMという言葉が初めて公に発信されたわけです。

Guyatt氏がEBMの提唱者の1人だからです。


2024年5月2日追記

前後の文脈を見なければ解らない、というご意見がありましたので、改めて、前後を含めて引用します(強調部は、最初に引用した所です)。

 ランダム化はなぜそれほど重要なのだろうか.その理由は,自分が調べようと思う結果に対する交絡因子の影響を取り除く一助になるからだ.ふつう,結果は,年齢や食事や運動などさまざまな因子に左右される.そうした因子が余すところなく知られていなければ,意識的に統制することもできない.しかし,患者を処置群と対照群にランダムに割り付けることで,この問題はおおよそ回避が可能である.たとえ薬以外の因子が結果に影響しても,割り付けをランダム化しておけば,一方の群だけに偏ってそうした因子が作用する可能性が低くなる.したがって,処置群と対照群で結果に有意差があれば,まずそれは薬に起因していると考えて差し支えない.もちろん,結果の違いの原因が薬にあることがこれで厳密に証明されるわけではない.しかし,強力な証拠になるのは確かである.
 医学では通常,RCTが因果関係を見定めるための標準的方法とされている.いわゆる「根拠にもとづく医療」(EBM)運動の支持者にいたっては,RCTだけが治療法の因果的効果の有無を判定できるとさえ唱えている.しかし,さすがにこれは極論だろう(「証拠」という言葉をRCTの占有物のようにいうのも語弊がある).実際的な理由にせよ,倫理的な理由にせよ,RCTという手法が使えない科学の分野は少なくない.だが,そこでも因果推論は絶えず行われているのだ.さらに言えば,日常生活で使われる因果関係の知識の多くは,RCTによらずに得られたものである.火のなかに手を入れれば焼けるような痛みが生じることは,小さな子どもでも知っている.それを知るのにランダム化試験は必要ない.RCTは間違いなく重要だし,実行できる場合にはすべきである.しかし,RCTが因果関係を突き止める唯一の方法だというのは正しくない.

オカーシャ[著]、直江・廣瀬[訳]『哲学がわかる 科学哲学 新版』(P36・P37)

せっかくなので、少し検討してみましょう。

しかし,さすがにこれは極論だろう(「証拠」という言葉をRCTの占有物のようにいうのも語弊がある).

↑EBM運動の支持者の主張について誤った説明をしておきながら、その主張を極論と言い、更に、言及対象(EBM運動支持者)がRCTしか証拠として認めないかのように再び強調している。

実際的な理由にせよ,倫理的な理由にせよ,RCTという手法が使えない科学の分野は少なくない.だが,そこでも因果推論は絶えず行われているのだ.

↑EBMが立脚する方法的基盤である疫学において、観察研究の結果に対して統計的因果推論のアプローチにより証拠を評価するのは一般的におこなわれている。タバコが疾病の原因になるか、という問いにRCTが使えない、だが観察研究からも因果関係は言える、というような説明は疫学の教科書でもしばしば見られる。
『アドバンスト分析疫学』より引用する。

 非実験的研究では,交絡やバイアスが生じやすいために,問題はさらに複雑で,因果関係の推論には限界がありますが,歴史的に見れば,観察的研究が,公衆衛生の進歩に重要な貢献をしたことを忘れてはなりません。
(中略)
最近の例としては,加工食品への脂肪含有量の表示,大気汚染の基準の作成,屋内喫煙の禁止などに,観察的研究の成果が生かされています.また,方法論の面でも,操作変数(インスツルメント変数)instrumental variable,メンデリアンラダム化Mendelian randomization,傾向スコアpropernsity scoreを用いたマッチングや調整などの開発によって,観察的研究による因果推論にも重要な試みがなされつつあります。

木原・木原[訳]『アドバンスト分析疫学 - 369の図表で読み解く疫学的推論の論理と数理 -』(P390)

↑最初の文は、ジョン・スノウの成果などを指している。

さらに言えば,日常生活で使われる因果関係の知識の多くは,RCTによらずに得られたものである.火のなかに手を入れれば焼けるような痛みが生じることは,小さな子どもでも知っている.それを知るのにランダム化試験は必要ない.RCTは間違いなく重要だし,実行できる場合にはすべきである.しかし,RCTが因果関係を突き止める唯一の方法だというのは正しくない.

RCTが因果関係を突き止める唯一の方法だというのは正しくないなどと主張する流れで、(EBM)運動の支持者を引き合いに出している。そんな事は、引き合いに出された側がよく解っている事であるのに。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?