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写真との向き合いかたが変わった話

朝はツンっと鼻が摘まれたように感じる季節になった。

そんな肌寒い季節、ある人から一本の電話がかかっていたらしい。



今年の4月、僕がトルコへ行く前に写真を依頼してくださった方からだった。
90歳の老夫婦で、二人並んだ写真がないとのことで撮らしてくれることになったが、撮影後すぐにトルコへ出発し2ヶ月ほど帰らなかった。「帰ってきたら、顔見せにきなさいよ」と約束をしていた。


海外から帰省してすぐ、挨拶に行くと老夫婦はおられず、代わりに娘さんがおられた。話を聞くと、僕が帰る2日前に奥さんは足を骨折して入院し、主人は老人ホームに入居されたらしく、もしかしたらもう帰らないかもしれないと。

このご時世で面会もできるはずもなく、時々家にお伺いしたがいつも不在でもうこのまま会えないのかなと思っていた。


撮影した時が最後で、半年の月日が経っていた。

そんな12月初旬に、電話がかかってきたのである。

その日の仕事をそそくさに終わらせ、飛んでいくように家へ向かっていた。

ピンポンとチャイムを鳴らすと、奥さんの声が聞こえた。7ヶ月ぶりにお会いでき積もる話をしている最中、部屋を見回すとご主人を見かけない。

聞いてみると7月に逝去されたとのことだった。

滅多に怒らない主人が怒った話、優しすぎるのでちょっかいをかけた話など、たくさんの話を聞かせてくれました。

笑顔で話す目線の先には、僕が撮った写真があった。
「最初は、夫婦二人の写真はいらないと思っていたんだよ。だけどこうやって今亡き夫の姿をみることができる。二人並んでいい顔してるね。ありがとう。」


二人の時にしか見せない顔もあると、僕は思う。

カメラはその瞬間を切り取る道具に過ぎないかもしれない。

その瞬間は時がすぎれば薄れていく記憶となっていく。

でも写真は記憶を繋ぎ止めてくれる、蘇らせてくれる。

これから先いろんな方に出会い、別れていく。

僕はそれらを、記憶の一節としてシャッターを切っていきたい。






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