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悲しくても、世界はまわっている


祖父が急去して2週間が経った。

本当は先週投稿しようと思って書き進めていたが、どうも言葉がまとまらず、公開するには至らなかった。だから、この1週間で気持ちは通常モードには戻っている。
でも、先週は通常生活を送っているし、仕事も普通にしているけれど、ふとしたときにぽっかり心に穴が空いたような感覚があった。
そして、祖父を想うと涙があふれてきた。

新しく家に仲間入りしたラウンジチェアでのんびり本を読んでいたとき、ふと「次の休みで実家帰ろかな~~」と思ってふとスマホを手に取ると、祖父が亡くなったとLINEが届いていた。
あまりにも突然だった。

最後に会ったのは、コロナで完全自粛から少しずつ日常を取り戻しつつあった2年前の5月。少し年相応に認知機能の低下、耳の聞こえにくさはあるけども、まあこれくらい元気なら安心だろうと思っていた。
し、母からは近況は聞いていて、少しずつ衰えていっているものの、新しい住まいに期待を膨らませて引越ししたり、亡くなる数日前も元々の家に足を運ぶなど、それなりに生活できていたようだ。


人はいつかこの世から去る。
それはわかっていたことだし、私は何度もその現場に立ち会っている。だけど、ついこないだまで元気だと聞いていた身近な人の死はなかなか受け入れがたい。病に侵され、もう長くないだろうなと知っていたら、まだ受け入れられたのかもしれない。だけど…

連絡のあったその日には実家にいた。とはいえ、実家では父と弟の面倒(ごはんをつくることくらいだけど)を見るくらいで、通夜の日に会うまでは実感は湧かなかった。
「お正月に会ったときは元気やったのに…」と言う弟にはそういうこともあるよと冷静に返していたが、いざ布団で静かに休んでいる、私たちが来ても起きることのない祖父を前にすると、ぐっと息をのんでしまった。表情は苦しそうではないとはいえ、知っている祖父の姿ではなかった。
横で実の父親を亡くした母はきっと何度も見ているだろうに、長い溜息をついて涙していた。



私はお葬式には記憶上3回は参列している。
棺の中にいる曾祖父と対面したときに目の前の人が生きていたと思えず怖かったこと、線香の匂いが立ち込める寒い部屋で見様見真似でお焼香したこと、何やら大量のカップスープなど(たぶんお供え物)が積まれてきらきらと提灯が光っていたこと、断片的にお見送りの儀式は「こんな感じなんだ~」とは知っていた。
そして、祖母がこの世を去ったときも悲しかったけども、身近な人との別れは具体的にどういうものかそのときを理解していたとは言えなかったと今では思う。

今回はスライドショーや故人の紹介もあり(結婚式みたいだった…!)、生前あまり知ることのなかった祖父の仕事や祖母と過ごした日のことを知って、今ちゃんと目に焼き付けなきゃいけないのに、リハーサルでも葬儀でもみるみる視界がぼやけてしまった。

なんで知らなかったんだろう。
なんで知ろうとしなかったんだろう。
本当にきちんとしていて、博学で、聡明で、自分のことを多くは語らない祖父で、家に行ったら必ずいる私の”おじいちゃん”で、それ以上のことを知ろうとしなかったことに今更後悔している。

職場では祖父と同年代の人を相手に、家でどんなふうに過ごしていた?昔の仕事は?家族は?と聞くのに、祖父と話すことはほとんどなかった。
当たり前のようにあと数年は元気だろうから、また会いに行けるだろうと思っていた。
見通しが甘かったことも悔やまれる。

きっと祖父本人は、子どもたちに迷惑をかけないように介護に悩むことなく、みんながよく知るままで生涯を終えたことを誇りに思うだろう。


仕事をするようになってから、今まで関わることのなかった高齢者と関わるようになり、自分や自分の大切な人の未来をよりリアルに想像するようになった。
そして、人の最期は意外とあっけないなとも知った。

この出来事を経て、また、身の回りの人たちを思う存分、大切にしようと心に誓ったし、中でも親孝行は親の元気なうちに少しずつでもしていこうと思った。

今年のやりたいことリスト100には、今なお健在な父方の祖父母に会いに行くことを入れた。

どうか、後悔のないように。


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