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1度目(16歳春)の膝前十字靭帯損傷、半月板損傷

1.怪我の経緯

今から18年前、高校1年生の時のことです。当時私は、サッカー部に所属していました。幼い頃から体を動かすことは大好きで、小学校ではドッチボールクラブ、中学校ではバスケ部に所属していました。高校生になり、ガチで部活動をやろうとは思っていなかったのですが、先輩方の熱い強引な勧誘により、入部。
入部からひと月過ぎた5月中旬、まだ慣れないドリブルで左に切り返した瞬間、左膝を捻り、ブチっという音と共に、動けなくなりました。そのまま左足では立ち上がれず、病院へ。膝捻挫の診断でしばらく松葉杖での生活となりました。
松葉杖生活から約ひと月で、普通に歩けるようにはなり、日常生活は問題なく送れるようになりました。
少しずつ部活動にも復帰したのですが、よく膝崩れを起こし、練習から外れることがありました。
季節は秋になり、先輩からもう一度病院でしっかり診てもらった方がいいとの助言を受け、再度別の病院へ受診、MRIの結果、膝前十字靭帯断裂、内側半月板損傷の診断を受け、紹介状を書いてもらい、冬休みに手術をするということになりました。

2.入院手術

手術が決まってから部活動では、無理のない範囲でマネージャー業をしながら過ごしました。
手術は県内で、この手術では有名な善衆会病院でしました。執刀医は若い女医さんでした。
手術はACLについては、自分のハムストリングスの腱を移植するという方法、半月板については縫合術で行いました。(私は眠っているだけですが)
麻酔は全身麻酔と部分麻酔を併用して行いました。手術自体は眠っている間に終わったのですが、全身麻酔から目が覚めてからが、とても大変だったことを今でもよく覚えています。というのも、私は車酔いをしやすいタイプで、この手のタイプは全身麻酔の副反応が出やすいようで、術後は、気持ち悪いのと嘔吐、膝の痛みに加え、背中から入っている針の痛みで、まさに生き地獄でした。この時に付き添ってくれて母には本当に感謝しています。実はこの時、腰から麻酔が入っていたはずだったのですが、その管を私が踏んでしまっていて、看護師さんも気づかず、部分麻酔があまり効いていなかったのも痛みが強く出てしまった原因ではないかとのことでした。
術後、しばらくして装具を着用して車椅子での移動が可能となり、術後1週間で全体重の1/3をかけての松葉杖歩行、2週間で1/2をかけての松葉杖歩行、3週間で2/3をかけての片松葉杖歩行、4週間で全体重をかけての歩行可能となり退院となりました。

3.退院後の生活

術後大変だったのが、装具をつけての日常生活です。今では軽くて取り扱いやすい装具が主流となりましたが、18年前は金属のついた、太ももから踵まである長い装具で、とても重たく取り扱いにくいものでした。見た目もつけているとロボットやサイボーグのような感じで、見た目を気にしないタイプの私でさえ、つけて学校に行くのは恥ずかしいと思いました。制服登校では装具丸見えで恥ずかしいので、学校に装具着用期間はズボンの着用をお願いしたのですが、頭の堅い教育指導の先生に却下されました。
話はそれましたが、術後は1ヶ月に1回ほどの頻度で病院へリハビリ及び通院しました。

4.スポーツ復帰について

その当時は、術後半年後からジョギングが許可され、少しずつ全体練習へも参加出来るようになりました。しかし、以前何度も起こした膝崩れへの恐怖心、もう怪我をしたくないという気持ちからか、どうしても左足をかばってしまい、以前のように何も考えずに体を動かすことは出来ませんでした。また、練習に参加できない期間に他の部員は着実に上手くなり、4月から後輩も入ってきて、どんどん上手くなっていく様子を見学をしながら目の当たりにしたり、自分が練習に参加できない焦りもあり、精神的にはとても辛い日々が続きました。
記憶が曖昧ですが、確か術後8ヵ月頃から少しずつ試合にも復帰できるようになりましたが、接触プレーではどうしても怪我が怖くて全力で出来ないところもありました。

5.抜釘手術

手術から1年後、手術で使用した骨に埋まっているチタンを抜く為の手術をしました。記憶が曖昧ですが、全身麻酔のみで入院期間も3〜4日だったと思います。痛みも1回目の手術と比べると少しの痛みで済んだと思います。

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