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二人の大人と一人の子どもの話

 先日ひょんな用事で都心の方にある大学病院に行くことになった。かかりつけの病院で書いてもらった紹介状を鞄に入れて、ぼんやりと乗る普段から利用している電車はなんだか少しよそよそしい。院内は真っ白に清潔で、人間味を感じない装いだった。個人個人には興味なく、ただひたすらに外傷やウィルスを個別的事象として対処していくような意思が感じられた。人々は必要な情報を紙に書き込んで、受付で紙を提出し番号を割り当てられ、無数に並んだ椅子の中から一つを選んで自分の番号が呼ばれるのを黙って待ち続ける。僕はなんだか工場で流れ作業の中、検品でもされている気持ちに陥った。

 僕の番号が呼ばれ受付に行ってみると、過去にその大学病院に来たことがあるか確認された。どうやら、僕の受診歴が残っていると。そんな記憶は全くなく、当時受診した際の僕の(だと思われる)情報を確認させてもらうと白黒で荒々しくコピーされた紙の上に、一五年ほど前に住んでいた住所が記載されていた。そう、確かに僕はその大学病院にかかったことがあった。

 広島から東京に引っ越して二年ほど経って小学生低学年だった頃(具体的に覚えているわけではないが、病院に残っている住所から考えるとその期間しか当てはまらない)、両親は僕を連れてよく居酒屋に行っていた。父も母もまだ若く、父の収入もそこまで多かったわけではないだろう。体力はあるけれど、子育てやら転勤によって溜まる疲れと減るお金。そんなこともあって今の僕が安くて美味しい居酒屋探しを楽しむように、彼らもフラストレーションの発散や、もちろん一組の男女の営みとして、色々なところに飲みに行っていたのだと思う。今では離婚した彼らではあるが、当時はとても些細な、それでも親密な空間を持っていた(離婚したものの、現在彼らの仲が悪いというわけではないのだけれど)。人間は、おそらく誰しもが、他者と特別に親密な空間を作り上げ、一定期間維持する資質を持っている。その期間が、片方に先立たれ一人残されても空間を丁寧に維持するような人がいる反面、お互いが違う方向を向くことで空間が失われることがあるように、まちまちなだけだ。

 話を戻そう。初めて東京に出てきて、ボロボロの社宅に住みながら、自分たちにもまだ社会で生きていくタフさが必ずしも兼ね揃えられていないほど若く、それでも子どもを(つまり僕を)育て、かたや毎日働き(父は多忙な職についていて子どもが寝た後に帰宅することも多かった)、かたや新しい土地に馴染もうとする(母は当時専業主婦で、慣れない土地で子どもを育てていた)生活は、大変できつく不安で、それでも希望に満ちたものだったと思う。そんな中で、休日に居酒屋で飲むというのは、とても大きな活力源だったであろう。きっと彼らの、吹けば飛んでしまうような、それでも彼らなりには「それこそが世界だ」というような大切な空間を維持するための活力源だったであろう。

 そして、居酒屋を出て上機嫌で電車に乗り込んで、座席に座って話していると、彼らの空間を構成する小さな命が、彼らの子どもが「頭が痛い」と言い出した。ほとんど知らない土地で病院が閉まっている時間帯に、身体的変化が起きやすい年齢の息子を、切実に守りたいと思ったのだろう。彼らは急いでその息子を開いている医者に診せることにした。電車を急いで降りタクシーを広い、運転手に一番近い開いている病院を目的地として伝え、その大学病院にたどり着いた。

 けれど、医者に診せることにはすっかり僕の調子はよくなってしまっていた。年配の優しそうな医者は「この年頃の子だったら急に調子が悪くなることもあるし、どこかの冷房で体温が変わってそういう症状になったかもしれないね」と、温厚な口調で説明してくれた。彼は僕に語りかけてくれていたように思うが、きっと僕の両親を心配させない意味も込めてあんなに丁寧に説明してくれたのだろう。

 帰りの電車で、両親に対して非常に申し訳ない気持ちになっていたのを覚えている。けれどそんな僕を見て、母は「たいしたことなくて良かった」と言ってくれたし、父は「無駄なお金使っちゃったな」とヘラヘラ笑っていた。なんだかホッとしたのを覚えている。きっと、彼らは本当に僕を心配してくれた。力もお金もなくて、そんな中で小さな僕を守ってくれた。ささやかな命を、大きな慈愛で包んでくれた。すっかり忘れていたのだけれど、感謝と敬意の念を一五年前の彼らに示したいと思う。彼らが離婚したとしても、誰がなんと言おうと、僕を優しく守り育ててくれたのは、僕の両親である。それ以上に何を彼らに望めるだろうか?

 結局のところ、彼らだけの空間は無くなってしまった。離婚して各々の人生を彼らは歩んでいる。けれど、十五年前の彼らが本気でその空間を守ろうとしていたこと、そのために費やした労力が空回りなものだったとしても、笑ってそれを許したことを、僕は覚えていようと思う。きっとそのようなものごとは柔らかく、すぐに壊れてしまう。けれど、そこにある人間の個人的で優しい本性のようなものを、僕は大切に箱の中にしまって取っておきたいと思う。時々その箱を開いて、自分が間違った方向に進んでいないか、確認したい。

 一五年ぶりに行った大学病院は、お目当の先生がおらず、何もせずに新しい受診カードをもらって帰ることになった。大学病院からアスファルトとビルで包まれた暑い街に出た時、僕はふと、一五年前の大学病院の帰りに、熱帯夜の中を歩きながら家族三人でアイスを食べたことを思い出した。

 

 

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