見出し画像

小声の日記(01/01〜01/07)

01/01
あけた。 中学2年生の頃からずっと続けている、年を越してからすぐ初詣に行く集まりに5年ぶりくらいに参加した。毎年誰かしらが続けていて途切れていないらしい。 23時半くらいに友人が迎えに来てくれて、話ながら年を越す。県境の峠を超えたあたりで0時になって、今年はなんだか良さそうだなと漠然と考える。

01/02
妻の祖母と両親に新年の挨拶に。なんというか、理想の親族像をかたちにしたような人たちで毎度羨ましく思いつつ、その一員にしてもらえてることのありがたさをしみじみと感じる。そしてお年玉をもらってしまう。いやっ、これは、、、いいのか、、、?すいません、、、うれしい、、、。いつかなにか返さないと。
ここ数日の疲れが溜まっていたのか、バスで爆睡。年を越してから読書はできておらず。

01/03
今日は自分の実家の味を再現したお雑煮をつくる。白味噌のやつ。結構近い味が作れたと思う。満足。年末年始のお休み最終日らしく、怠惰な時間を過ごす。

01/04
久々に読書の日記。読み進めると、ああ確かこんな生活だったなという感覚が戻ってくる。仕事をして、本を読み、ちょっとずつ珈琲豆屋再開の準備をして、また読んで、ご飯を食べる。 それを繰り返すことに幸福を感じていたのだった。この数日間の浮ついた心がすとんと地に落ちていく。戻ってこられた、という安堵。

やりたいことをやることそれ自体が財産であり報酬であると、最近考えていたところだったので、財産、という言葉が出てきてうれしくなった。

読書の日記 本を出す 指を切る お葬式 | 阿久津隆

01/05
眠る前に少し本を読もうと思ったけれど、寒すぎて断念。布団の中で読めたら最高なんだけどな。うつ伏せで読むのが苦手。なにかいい方法はないものか。

01/06
自宅用の豆がなくなってしまったので焙煎することに。 焙煎はなんというか、もう大丈夫だな、という感じ。感覚が身体に馴染む感じがして、多分味もこういう感じかなっていうイメージができて、試飲をしても合っているという具合。いい状態。

01/07
販売再開の告知投稿をしてから一夜明け、注文はなし。2週間後に発送はちょっと先過ぎたかな。 このまま一切来なかったらどうしようかという不安がよぎる。でも、来なかったらその日は焙煎しないか自宅用に焼くだけなんだよな。ロスは生まれないようにしているのだから、問題ないだろう。いや、そういうことなのか?もっと知ってもらう努力をすべきなんじゃないか?いやでも、その努力って自分を偽ることになったりしないのか。何かを削り落とすようなことはしないんじゃなかったのか。そうだよな、よし。あんまり気にしても仕方がない。
などとくよくよしていたら注文が入った。良かった、良かった。ありがとうございます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?