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人生は自分とのデート

先日、ネットの海にて「人生は自分とのデート」という言葉を見かけて、いや〜全くもってそうよね〜〜と深く頷いてしまったのですが。

生まれてから死ぬまで、自分のそばにずっといるのは自分。
生まれてから死ぬまで、一番たくさん聞いているのは自分の言葉。
美味しいパン屋さんや、行きたかった美術展、目指している未来。足を運んで連れて行ってくれるのはいつだって自分自身。

いつも機嫌よく、心地よさそうに暮らしている人。
何人か思い浮かぶけれど、あの方たちはきっと「自分とのデート」が上手いんだろうな。
自分をケアしていたわって、喜怒哀楽に耳を傾けて、一番の味方になって。美味しくて身体にいいものを食べさせて、抱きしめて、休ませて、行きたい場所へエスコートして。

仕事に依存したり、SNSや対人関係に夢中になってみたり、食や睡眠に逃げてみたりと「自分と向き合わないで済むためならあらゆる工夫をする」ような暮らしを長く送ってきたので、きっとその頃の私が「人生は自分とのデート」なんて言葉を聞いても恐怖でしかなかったと思う。
自分と向き合うのって、荒涼とした砂漠を彷徨い歩くような無間地獄のしんどいイメージが、かつての自分にはありました。

「こころの家を建て直す作業」に取り組み続けて10ヶ月経ちましたが、最近すごくいい感じに変われてきている気がします。「自分とのデート」が楽しい。常に自分と共にあることが嬉しいし心地いい。自分が納得できていれば、誰の承認もいらない。自然とそう感じられるようになってきました。私にとっては大きすぎる変化です。

この10ヶ月間は一進一退で、実家関係のパンドラの箱を開けまくったせいか先月くらいまで結構フレッシュな辛さがあって。
大がかりな断捨離をしてると一時的に家の中がぐちゃぐちゃにならざるを得ないように、心の中がとっ散らかった暴風雨のような時期を幾度も通りました。

先月のカウンセリングで、初めて母に関するトラウマに手をつけ、EMDRをしてもらいました。
父にフライパンで殴られてキッチンで泣いている母。
なんとか慰めたくて、その隣で母をさすろうとする5歳くらいの私。
心配かけまいとしてか「あっちへ行って」と拒む母。
悲しみ。恐怖。虚しさ。無力感。

こうしたことは日常茶飯事だった子ども時代でしたが、母のことはもちろん、父のことも大好きだったんですよね。殴ったかと思えば、泣きながら謝ってみたり、父との日々は混乱に満ちていましたが、どこかチャーミングな人でしたから、本当に色々なことがありましたが今でもどうしても憎めません。感謝していますし、愛してもいます。どこかで健やかに暮らしていてほしい。

でもまあだからこそ、自分の「愛情観」は全体的に今も混乱を引きずっているなあと感じるし、父や母を救えなかった罪悪感や無力感が、40半ばを過ぎた今でも自分の自己肯定感に影を落としているなと感じる。でもカウンセリングと心理療法のおかげで、そういう物の見方自体が大きく変容したし、めきめきと新しい自分に出会えているなと思います。

その「フライパン殴られ母」のトラウマをEMDRで処理した日ですが、心身に相当負荷がかかったのか、カウンセリング室を出た後、過呼吸・悪寒・鼻血に襲われてびっくりしました。
その後10日ほど気持ちが塞いでしまったので、それをカウンセラーに伝えると、その鬱々とした気持ちに対してのブレインスポッティングを受けることになりました。

そのブレインスポッティングを受けている時、感じたことを自由にカウンセラーに話していくのですが。
その日は、上から白い光がふわ〜っと降りてくるイメージが湧いて、「使命」という言葉が浮かんできました。今なぜ苦しいか。それは「使命」が無いから。父と母を助けようと奔走していた30代前半までの使命もなくなった。目を離せない幼な子たちを懸命に育てている時期も終わった。いま自分には「使命」がない…だから辛くて虚しい…。そんな考えを、湧いてくるままに話しました。

その後、じゃあ「使命」がなかった頃、私はどうやって生きていたんだっけ?と思考が飛び、幼い私を可愛がってくれていたおじいちゃんの顔が浮かんできました。
縁側で私の身長を測ったり、写真を撮ったりして、ニコニコとよく可愛がってくれていたおじいちゃん。
「使命」なんか無くたってさ、おじいちゃんは私のこと無条件に愛してくれていたよな…と気づいた途端、嗚咽が止まらなくなって。それから泣いているうちに、父だって母だって、夫も息子たちも、それからあの人もあの人もあの人だって、みんなちゃんと私を愛してくれていた。というあったかい気づきに包まれて終わりました。

今そこから1週間経ったところなのですが、過去からうまく切り離されて、また癒され具合が一段階進んだなぁと感じています。

例えて言うなら、自分の背中に大きくて厚く頼もしいシールドのような壁ができた感覚。背後には壁しかないので、壁の向こう側の過去には戻れない。戻らなくていい。
壁の向こう側から何かを持ってくることもできないし、背後からいきなり刺されたりもしない。

背中には壁しかないから、もう前を見るのみ。
前方には明るくてクリアな視界が開けている。

自分とこれからどんなデートを楽しんでいこうか。


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