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平成最後の日は

令和になったことを祝うつもりなんてさらさらなかった。いや、天皇にはお疲れ様でしたと思うし、確かに戦争なく時代を終えたことはとてもすごいことだと思う。けどそれをぎゃーぎゃー騒いで、やれ天皇だ、やれ令和だ、ってすぐ口にするのには意味がわからなかった。お前は天皇がどんな仕事してたのか知ってるんか、って。日本人は何かと理由をつけて騒ぎがち。

平成から令和になる瞬間は、四国から関西に出てきた同い年のいとこの女の子の家でお泊りをする予定だった。別に狙ったわけじゃなくて偶然で、それに気づいたのは前日だった。

祝う気は1ミリもなかったのに、急に意味のあるように思えた。うわー元号が変わる瞬間は、ちーちゃんと過ごすんや、って。

家族の次に生きている時間を過ごしてきたいとこは、生まれたときから一緒、誕生日も偶然ぴったり5ヶ月違いで、いとこの中で唯一の同級生。長期休みなるたびに遊びに行って、親戚一同仲良く過ごしていた。

実は途中、色々あって当たり前に仲良く過ごせることが当たり前じゃなくなるかもしれない時間があった。親同士がケンカして、会ってもピリピリしていた。お互いとても哀しくてたまらなくて、息がつまる瞬間たちだった。

今じゃそんなときがあったのも信じられないくらい以前よりも仲良くて、ほっとしている。仲直りして随分経ったから当たり前を忘れていたけど、令和になる前日はそんなことを思い出していろいろあったなぁなんて耽ってた。

平成はそんな私たちへの絆が高まった日々だったから、今度は私たちがさらに絆を強く作っていく日々にしたい。親戚は友だちではない、特別な絆があって自分にとって本当に大切な人たち。

そうやってちゃっかり自分も改元に意味を見出している。日本人はそうやって何かと理由をつけて祝いがち。

さよなら平成、こんにちは令和。

人生で一回きりであろう、改元のお話。

#平成 #令和 #改元 #エッセイ #日記

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