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人生と幸せ

どおも。
いよいよ30日連続で書く企画も残り2日。

昔、テッド・チャンの『あなたの人生の物語』を読んだときに、人生について考えたことがある。

人生は自由意志で紡ぐ物語か?それとも、演劇のなかで演技するようなものか?その人生における幸せとは何か?

あなたの人生の物語』では、言語学者のルイーズが物理学者と組み、地球を訪れた異星人との意思疎通を図る。彼女の認識は、異星人の言語を理解するにつれて変容し、終に未来を思い出す。

<未来>で娘の死を知った彼女は、「こどもをつくりたいかい?」そう<現在>で問われるのであった。

極値の経路

ルイーズはフェルマーの原理のような物理学の変分原理に出会う。
光線が空気中の地点Aから水中の地点Bへ入るとき、Aを出た光線は水面までまっすぐ進み、水面で方向を変えて地点Bに到達する。その光線は「極値の経路」、すなわちこの場合は「最速の経路」を辿る、というものだ。

「極値の経路」なる概念は、最初と最後の状態を知らなくてはならない。それらが決まり、事象を一定期間の時間という視点から見ることで、目的の存在が認識できる。

「未来を知ることは、ほんとうに可能なのか?」

“いま”を生きる赤ん坊も、やがて事象を時系列的に経験し、因果関係として知覚するようになる。そして、多くの人はその経験から自由意志の存在を信じるようになり、それを理由に不可能だと答えるだろう。

しかし、人生には死という不可避の未来がある。変分原理の手を借りて、人生を生と死に挟まれた一定期間の時間と見たならば、そこに目的があるという解釈もできる。

人生とは何か?

人生というのは、空気中から水中に向かう光線のように、生誕から死に向かって、計画を現実化すること。

そんな人生観もあると考えたのだった。
いまから1秒後の未来はほぼ決まっている。と考えると、遠い未来もその積み重ね。ボクたちは自由意志を信じて、未来を変えようと思って行動しているかもしれないけど、実は未来は決まっているのかもしれない。

幸せとは何か?

仮にそうであったとしても、悲観的になることはない。ストーリーを知っていても何度でも聞きたい、子供にとっての絵本のようなもの。それは、ストーリーが決まっているかどうか、は問題ではない。

ストーリーが決まっていたとしても、読み進めること。それ自体が楽しい。

つまり、人生も「生きている」というその状態にいられること。

「生きていて、ストーリーを知ることができる」ということが、幸せなんじゃないかな?

んじゃッ!

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