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無資格で選ばれる一流になりたい

私は2回の就活を日本で経験した。
1回目は新卒、2回目はその2年後だ。
就活に伴ってどうしても対面するのが、自分の資格の数だ。
履歴書フォーマットには必ず「資格」の欄があるから、自分はなんの資格を持っていたか考える。
そして、出来れば空欄をそんなに多くは残したくないという気持ちになる。

就職条件を良くするために、資格はある程度貢献してくれるものだということに異論はない。
TOEICのスコアが良ければ英語が出来そうだと思われるし、簿記の資格を持っていれば経理関連業務を任せられそうだと思われる。
他の人よりできることがちょっと多い人は、それだけ難しいことを任されるのでお金もたくさんもらえるだろう。

だけど、「他の人よりできることが多い」ということを分かってもらうために、必ずしも資格が必要なんだろうか?

医師免許や弁護士免許のように、それがなければできない仕事は別だが、大体は無資格でできる。

資格がなくても、自分が優秀であることを示すことはできる。
例えばTOEICを受けていなくてもその場で流暢な英語を喋ってしまえば英語ができることは明らかだし、ぴかぴかのポートフォリオがあれば優秀なエンジニアだとわかってもらえる。
有名なジャーナルに論文が載っていれば頼りになる研究者だと認識されるし、描いた絵が誰かを感動させれば、少なくともその誰かには才能ある画家だと認められるだろう。

とはいえ、資格の力を借りず実力だけで自分が優れていることを他人に納得させるのはかなり難しい。
他人にしたって、ただ「能力があるんだ」と訴えられるより資格があった方がわかりやすいだろう。

けれど、資格で選ばれる人は二流だ、と思う。

もちろん相当な努力があることは分かっているし、再度言うが業務独占資格は別だ。

なぜなら、資格というのは比較的多くの人が同じような能力を持って仕事をしていたところに、クオリティ確保のために導入されたシステムだからだ。
つまり、同じくらいの能力の人が他にもたくさんいることを示している。

資格は定規のようなものだ。

定規はその全長以下の長さを測ることができる。
裏を返せば、それを超えたものを測ることはできないのだ。

資格にも同じことが言える。
これまでになかった才能を、その人だけが持つ能力を、資格では証明することはできない。

資格をとることの動機に年収を上げたいというものがあるのなら、それはある程度までは通用するが天井もある。

世界でお金をたくさん稼ぐ人の職業は、だいたい起業家か投資家だけれど、起業家資格や投資家資格なんてない。

本当の一流は無資格だ。

無資格で選ばれる、そんな一流になりたい。


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