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【エッセイ】新しいことを始めるとき

生きている年数が長くなるにつれて、自分の中で『出来上がった塊』がいくつもギュウギュウになっている。最近そんなふうに感じる。しかも、まったく柔らかさがない『それ』。
『それ』は、染みついた考え方だったりものの見方だったり。道徳や正義や常識や、生活習慣、条件反射のような感情の動きもそうなのかも知れない。人はそうやって慣れ親しんだ生き方を日々繰り返しているのだろう。

何か新しいことを始めるにあたり、ぶち当たるのがこの塊だ。

最初の数日もしくは半月ほどは何とかなる。なにせ新しいのだ。やる気に満ちている、ワクワクでいっぱいだ。けれどもどうしたことだろう?気持ちの高まりはそのあたりで終わりを迎える。

例えば、夜遅くまで起きていて朝はいつも時間ギリギリに起きバタバタと過ごしている人がいたとして。もっとゆとりのある朝の過ごし方へ変えたいと考えて『朝の習慣』を取り入れるとする。目覚めたら起き上がる前にその日一日をイメージしましょう、とか。起床後朝日を浴びながら窓を開けて空気を入れ替えましょう、白湯を飲みましょう、ストレッチで体も心も柔軟に、とか。

それ、どれくらい続くと思いますか?
数分のものもあれば、ストレッチに至ってはもっと時間がかかる習慣を新しく生活に組み込むわけだから、きっと翌月には元のギリギリでバタバタな朝に戻っている確率が高そうではないですか?

ではなぜそうなるのかを考えると、それは『出来上がった塊』たちの隙間になんとかねじ込もうとしているからだ。いつもより早く起きてゆとりのある朝を過ごすためには『夜遅くまで起きている習慣を捨てなければならない』。そうしないと寝不足になって早起きなんて続かない。すると次第に「この試みは自分には向いていなかった」となって終了だ。

新しく趣味を始めるにしろ勉強をするにしろ、その時間を捻出するには何かを捨てなければならない。それはYouTubeやテレビを眺めている時間かも知れない。もう着なくなった洋服をクローゼットに収納し続けたら新しく買った洋服をしまう場所がなく、しまうには古い洋服を手放さなければならないのと同じだと考えれば良い。

何かを新しく始めよう、変えよう、そんなときに大切なのはモチベーションもだが、まずは何を捨てるかを決めることだ。




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