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12:父と母、それぞれの事情②

マガジン「人の形を手に入れるまで」の12話目です。まだ前書きを読んでいない方は、こちらからご覧ください。

私が生まれても、父が父性を発揮することはなかった。むしろ母の話では、娘を養うために自分の小遣いが減らされるのは嫌だ、と話したこともあるらしい。

お腹の中で10ヶ月間育ててきた母親に比べて、父親という生き物は、マタニティ期のサポートをしていなければある日突然「父」になる生き物である。昭和の終わりという時代柄、産後の妻に自分本位な話をする人がいてもおかしくはないだろう。(事実、私が5歳になる頃には父はよく公園や外遊びに連れて行ってくれたし、小学生の頃には登山に連れて行ったり、勉強を教えてくれる良い父に育っていた)

妊娠中の父の身勝手、産後直後の父の反応。これは母にとっては父が死んだ今でも残る禍根となったが、これには父なりの事情が推察される。それは、父には「家族への憧れ」も「理想的な家族像」も持ち合わせていなかった…のかもしれないということだ。

父の父…私から言うところの父方の祖父は、父が幼い頃に情婦と蒸発してしまった経歴がある。その後家に戻ってきたとはいえ、もちろん祖父母の関係性は冷え切った。事実、幼少期の私が参加する食事会でも「浮気、不倫」と言う言葉は頻繁に聞かれたし、夫に裏切られた反動からか、いい大人になった父に対しても幼子相手のように世話を焼いて溺愛した。

祖父の父性を見ることなく、祖母から大人として扱われることのないまま結婚することになった父。そんな人が自分の子と証明されていない子供を差し出されても、急に父性を発揮できるはずがないのだ。

母が父との離婚を考えた理由。それは父との関係性だけの問題ではなかった。父方の祖母は、母に対して辛く当たっていた。「あなた個人の時間なんか無いわよ、全て◯◯ちゃん(父のことだ)のために使いなさい」「あなたが仕事をするなんて汚らわしい、どうせ外に男でも作るつもりでしょ」。母はこう言う嫌味を言われるたび、「どうしてそんなひどいことを言われなくちゃいけないの」と幼い私に憤りを吐露した。

でもよくよく考えてほしい。祖母からすれば、母は可愛い息子のところに突如押しかけ、親である自分には挨拶のひとつもなく、自身の親が教師であるという権力でもって息子を拐って行った泥棒猫だ。せめて可愛い息子の面倒くらい、自分以上に見てもらわなければ腹の虫が治らなかっただろう。

義母からは、執拗に「仕事をする暇があったら夫に尽くせ」と言われていたと母は言う。その言葉通り、父の生活面を支えるため仕事をしていなかった母。離婚を考えても、仕事がなければ自分の手元で子供を育てることができない。子供は夫に任せる?それは責任放棄というもので、自身が幼い頃に受けた仕打ちよりひどいじゃないか。

母は、「産んだからには」の気持ちで父との婚姻関係を続けた。夫への愛情はなく、娘への愛情はあっても愛し方がわからず、だからわからないなりに「母としての責任」だけは遂行しようとした。

そこまで理解すると、母の行動は違った側面を持つ。母は私に全ての判断材料を提供したのだ。およそ子供に聞かせる話でなくても、私が正しい判断ができるよう、多面的に判断できるだけの情報を。

私の目から見えていた歪な家族の形は、多くの歪の着地点だった。母の家庭の歪み、父の家庭の歪み。それは私の視点だけでは見えなかった父と母それぞれの事情。私が私として、歪に組み上がってしまった事情だった。


駆け出しライター「りくとん」です。諸事情で居住エリアでのPSW活動ができなくなってしまいましたが、オンラインPSWとして頑張りたいと思います。皆様のサポート、どうぞよろしくお願いします!