サマスペ!2 『アッコの夏』(22)<連載小説>
一分で読めるここまでのあらすじ
大学一年生のアッコは高校時代の友人の由里に誘われて、ウォーキング同好会の名物イベント「サマスペ!」に参加します。由里は高校陸上部のエースでした。応援団の一員として由里を応援していたアッコは、なぜか退部して心を閉ざした由里を、このイベントで立ち直らせようとします。
しかしサマスペは、夏の炎天下に新潟から輪島まで350キロを歩き通すという過酷な合宿でした。一日の食費は300円。財布、ケータイは取り上げられて、その日の宿も決まっていない。しかも女子の参加は初めてです。
女子の参加を快く思わない二年生の大梅田は、二人を辞めさせようと、ことあるごとにアッコと由里に厳しくします。アッコは由里との距離を縮められず、ストレスばかりが溜まります。
食事当番になったアッコは、宿を借りる交渉に捨て身で成功。さらに夕食は得意のラタトゥイユを披露してメンバーに喜ばれます。
ところが同期の電車不正乗車をかばったために、アッコが電車に乗ったと疑われてしまいます。
合宿は四日目、アッコは大梅田の伴走で先頭を走ることに。意外にも大梅田はアッコを手厚くサポートし、アッコはこの先輩に興味を持ちます。
祭りの演芸大会に飛び入りすることになった由里を助け、観衆の前で大喝采を浴びたアッコは、初めて同期の繋がりを感じます。
翌日、由里と一緒に海岸沿いを歩いていると、浜辺に一人の男の子が……
<ここから本編です>
「本当にありがとうございました」
あとむの母親はミニバンに乗る前に何度もお辞儀をした。あとむという名前からして、ヤンママかオタク系かと思ったが普通の人だった。ちなみに、あとむは平仮名。親戚に買って帰る土産物を選ぶのに夢中になって、気がついたらあとむの姿がなかったのだそうだ。
由里が道の駅の事務室に駆け込んだ時には、警察に連絡するところだったらしい。
「それじゃ、これで失礼します。ほら、あとむもご挨拶して」
「ありがと、バイバイ」
あとむは車の窓から手を振る。すっかり元気になっていた。
「バイバイ、気をつけてね」
アッコと由里も手を振った。ミニバンはウインカーを出して道路に向かう。なんだかしんみりする。
「お礼に何か差し入れしてくれるかと思ったのになあ、残念だね、由里」
冗談ぽく言った時、後ろでうなり声がした。
「痛てて」
振り替えると大梅田が右足を抱えるように座り込んでいた。
「先輩、どうしました」
由里が隣に膝を付く。
「足がつった」
由里が「大丈夫ですか」と大梅田の足に手を伸ばした。
「触るな」
由里がびくっとして手を引っ込める。
「あ、いや。大したことないんだ。自分でやる」
ふくらはぎに手をやった大梅田は苦悶の表情を浮かべている。
アッコは大梅田の足先に両膝をついた。駐車場のアスファルトは日陰になっていたので、それほど熱くない。大梅田の足首をむんずと掴んでふくらはぎを触った。
「痛てっ、おい、触るなって」
「あーあ、かちかちじゃないですか」
アッコは問答無用に大梅田のシューズの爪先とかかとを両手で掴んで自分の膝に乗せた。爪先を立てて、ふくらはぎをゆっくりと伸ばしていく。
大梅田は「うーん」と呻いて顔に手をやった。
「あとむ君を抱えて砂浜を全力疾走したからですよ」
「アッコ、すごいね。慣れてる」
由里が感心したように言う。
「由里だって陸上部だったんだから足がつるのなんて珍しくないでしょ」
「そうじゃなくて……相手は女子だったから」
アッコは「あっ、なるほど」と言いつつ、もう一度ふくらはぎを伸ばす。
「あたしは柔道やってたから。男とだってくんずほぐれつだよ。応援部でも練習中にバテて倒れた男を介抱してたし。男なんかなんとも思わないよ」
大梅田が顔をしかめて左の足首に手を伸ばすが、足が硬直しているのか曲がらないようだ。
「由里、そっちのふくらはぎ、触ってみて」
由里がそうっと手を置いた。
「こっちもつってる」
そう言って、アッコがやるように、ふくらはぎを伸ばす。
ゴリラが「うおあー」と雄叫びを上げた。両胸を叩き始めそうだ。
アッコは膝に乗せた大梅田のシューズの紐をほどき始めた。
「マッサージしないと駄目だな。由里、そっちの足も脱がしちゃって」
「了解」
「おい、ほんとにいいから。誰か、男にやってもらう」
「何、言ってんですか。あたしたち、最後尾ですよ。誰も来ませんから」
右足のシューズを脱がせて脇に置いた。由里も左足をシューズから抜いた。手際が良い。さすが元陸上部。
「頼む。俺、風呂も入ってないし、汚いから」
シューズを脱がせた大梅田の靴下は埃まみれで、爪先に血が滲んでいる。かかとにはテーピングもしてある。この人も、あちこち痛んでいるのだ。
「面倒くさいな。黙ってなさいっての」
そう言いながらアッコに疑問が芽生えた。
男尊女卑野郎が、俺は汚いから、とか気にするものだろうか。
「やめてくれ、ほんとに。あ、痛ってえ」
由里が静かに言う。
「先輩、この先、歩けなくてもいいんですか。サマスペを棄権するつもりですか」
これは殺し文句だったらしい。大梅田は「うーん」と呻いて背中をアスファルトにつけた。
「私、マッサージは得意なんです」
由里は片手で膝を押さえて、ふくらはぎを円を描くように揉みほぐしている。確かに上手だ。アッコのように雑じゃない。大梅田は観念したのか、黙って身を任せている。
「すまんな、二人とも。俺は情けない」
「何が情けないんですか」
アッコは遠慮なく、筋肉の固いところを探してぐりぐりしてやった。
「うー、くっ……俺、態度が悪くて」
なんだ、わかってるのか。
しばらく揉みほぐす内に右足は堅さが取れてきた。
「由里、そっちの足はどう」
「うん、ほぐれてる。先輩、どうですか」
大梅田はゆっくり膝を胸元につけてから伸ばした。足首を上下に曲げる。
「おお、治った。ありがとう。もう大丈夫だ」
あぐらをかいた大梅田は、足首を回す。
「まさか、両足が一度につるなんてな」
照れたような顔でアッコと由里を見た。
「参った」
大梅田がため息とともに言う。
「参った? 先輩、それ、柔道なら一本負けってことですけど」
「アッコ、何を言ってるのよ」
「ああ、二人には負けたよ」
「おっ、どうした。梅、なんかあったのか」
水戸だ。トイレの方から出てきた。大梅田が跳ねるように立ち上がった。
「いや、なんでもない。休憩してただけだ」
アッコも由里も顔を見合わせて黙っていた。これも武士の情けだ。
「水戸さん、いたんですか。さっき、あたしたち活躍したんですよ」
「全然知らんかった。トイレに座ってたら、うっかり寝ちゃってさ。やばいやばい」
「水戸、俺、先に行っていいか」
大梅田は屈伸をした。この場から逃げ出したい雰囲気を醸し出している。
「ああ、先に行けよ。交代するから」
大梅田は「頼む」とだけ言って、さっさと歩き始めた。足は普通に出ている。心配ないだろう。
「ちょいと水分を補給して」
水戸は日陰のベンチに座ってボトルの水を飲んだ。アッコと由里は水戸を挟むように座った。
「なんだよ、お前らも行ったらどうだ」
「水戸さん、交代するって何をですか」
由里が聞いた。アッコも同じことを聞こうとしていた。
「ああ、アッコか由里のどっちかが遅れてたら、二年の誰かが最後尾を歩こうって梅が言い出してな」
「それはなぜ?」
「心配なんだそうだ」
「心配? あたしたちが」
水戸はごくりと水を飲む。
「いつもは鳥山が遅いから、結果的にあいつが最後を歩いてるんだが、今日は伴走だからさ」
アッコはよくわからなくなってきた。
「水戸さん、あたし、先輩に失礼なことを言いますけども、大梅田さんって、男尊女卑ですよね」
水戸が水を吹き出しそうになってた。
「梅が? いやいや、とんでもない」
無精髭が生えた口の周りを拭う。
「まあそう見られても仕方ないか。あいつはな、一種の女性恐怖症なんだよ」
「女性恐怖症?」
アッコと由里の声が揃った。
「女子に免疫がないんだよ。梅は男兄弟で、中高と全寮制の男子校だったからな」
水戸が口にした学校は名門で有名だ。
「だから女子と話したこともなかったんだと。新入生の時なんか大変だったぞ。本当に女から逃げて回ってたからな」
「女子が恐いんですか」
由里が信じられないように言った。
「でも、伴走の時は普通に喋ってくれましたよ。すごく頼れる感じでした」
「まあ少しは慣れたんだろ。それに俺が頑張らねばって意識もあるしな」
アッコは由里に頷いた。
「あたし、それはわかりました。新人の旗持ちをサポートするっていう役割意識ですよね」
「って言うか、女子を守ってやらねばって思うんだよ、あいつは」
「えっ、あたしたちを守るんですか」
「あいつの中では女子は基本的に、か弱い存在だからな」
アッコはぶはっと息を吐いた。
「今時、そんなこと考える男がいるんだ」
「いるんだな、それが。だから梅は二人をサマスペに参加させたくなかったんだ。こんなひどい合宿を女子に経験させるのは、あまりにも不憫だって言ってたぞ。まあ確かにひどい合宿だけどな」
「じゃあ水戸さん、一日目の公民館の部屋割りの時のことは? 大梅田さん、男子の寝る部屋が狭くて怒ってましたよ」
「違う、違う。早くアッコたちに女子部屋に行ってほしかったんだ。ひとつ屋根の下で女と同じ空間にいるのが耐えられなかったんだろ」
「あたしたちが食事してるのを、むすっとして見てるのは? 食べるのが遅いと思っていたんじゃなくて?」
「粗末なメシを食わされて、可哀想で忍びなかったそうだ」
アッコは両手を上げて「あーあ」と伸びをした。
「女子はか弱いとか、守ってやらねばとか、不憫だとか。明治の人ですかね」
「まったくだ」
水戸は髭ぼうぼうの熊みたいな顔で笑う。
「あれ、でも大梅田さんは自分が伴走の時に、女子が倒れるなんて想像もしたくないって言ってた。すごく嫌そうでしたよ。あれは守ってやらねばなんて感じじゃなかったです」
水戸が、がははと笑う。
「今度、どっちか梅の前で倒れてみろよ。俺も見てみたいな。どうするんだろ。あいつには、女子を介抱するなんて恐怖以外の何ものでもないからな。そもそも触れないだろうし」
「そういう意味だったんですか。じゃあ何もできなくて逃げたりして」
アッコが笑うと水戸は真面目な顔になった。
「いや、全力で助けるだろうな。パニックになるかもしれんが、それこそ必死になって」
アッコと由里は黙った。
「とにかく、悪かったな」
熊がぺこりと頭を下げた。
「サマスペが始まってから、あいつの言動で二人とも不愉快だっただろう」
「すごい不愉快でした」
アッコははっきり言ってやった。
「俺も梅の奴が、あそこまで女子に免疫がないとは思わなかったよ。理由はともかく、あういう態度はいかんと思った。注意はしてたんだ」
「そうだったんですか」
「梅もその時は、わかった、気をつけるって言うんだが、これが治らんのだ。だから悪いとは思ったんだが、ショック療法になるかもと思って見てたんだ。」
「見てたって……あっ、水戸さん。あたしたちが介抱してるの、見てたんですか」
水戸が髭だらけの頬を掻いた。
「トイレから出たらマッサージ大会が始まってたからな。これはいいチャンスだと思ったよ。これであいつも少しは変わるだろう」
由里が首を縦に振った。
「大梅田さん、参ったって言いいました。すっきりした顔でした」
「いい傾向だ。恐くなくなったのかもしれんな。それに守ってやらなくてもいいってわかったんだろう。自分が女子に助けられたんだからな」
「水戸さんは大梅田さんのこと、なんでもわかるんですね」
由里がなぜだか嬉しそうに言う。
「まあ、サマスペ同期だからな」
サマスペ同期か。
頷く由里の横顔を見ながら、この合宿が終ったら自分と由里も、お互いのことをなんでも理解し合えるようになるのだろうか、と思う。
水戸はボトルのキャップを閉めた。
「それにしても、あいつ、なんで両足がつるまで走ったんだ」
アッコは、大梅田が泣き出したあとむを抱えて走った時のことを話してやった。
「あとむ君が、お母さん、いなくなったらどうしようって言ったら、すごい悲しそうな顔をしたんです。あれ、どうしたんですかね」
水戸は「ああ」と言ったきり少し黙った。
「それは……俺にもわからんな」
「サマスペ同期でも?」
「本人に聞いてみろよ、アッコ選手」
「はあ」
水戸は手を上げてひらひらと振ってみせる。
「さあ、行った、行った。俺が最後を歩かないと、梅がうるさいからさ」
<続く>
バックナンバーはこちらからどうぞ。
https://note.com/a_sakamoto/m/mc4d4b5a946d7
用語解説です。
https://note.com/a_sakamoto/n/n9efa7ac06666
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