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サマスペ!2 『アッコの夏』(16)<連載小説>

「あっ、何あれ」
 前方に巨大なプロペラが回っている。
「あれ、風力発電だよね」
「そう。あそこは道の駅だよ。うみてらす名立 なだち、だね」
 さすがタカミー。よく知ってる。
 
「タカミー、この旗は?」
『うみてらす名立』の看板の隣に黄色いのぼりがはためいていた。『一〇〇キロマラソン』と白く染め抜かれている。
「ああ、これね。上越市の主催で毎年やってるイベントだよ。確か秋だったな」
「百キロ? マラソンって42.195でしょ」
「うん。だから、その上の上をいくんだ」
「そんなに走って何がうれしいんだろ」
 斉藤がげっそりした顔をする。
 
「あたしたちも負けてないと思うけどね。こんなに歩いて何がうれしいんだろ、よ」
 クリスが小さな手帳にメモを取っていた。
「クリス、日本人がみんなそうじゃないからね」
「心配しないで、アッコさん。アメリカにもそういう人たちはいマス」
「そういう人って」
「三億人もいたら、少しは発生するのデス」
「その病原菌みたいな言い方、気になるんだけど」

 今日も日差しはきつい。会話に気を紛らわしても疲れは確実に蓄積される。いくつもの港や海水浴場を通り過ぎたが、アッコは風景を眺める気にもならない。足元を見つめて、ただ交互に足を動かした。

「おおっ」
 斉藤の声に顔を上げた。
糸魚川 いといがわ市の標識だ。能生って糸魚川市だよな」
「斉藤、ほんと? なら、そろそろ休憩だよね」
 マシンのように歩いていたアッコは我に返った。
「カニだ」
 斉藤が走り出す。
 アッコたちは巨大なカニの看板に迎えられた。奥には白い建物がある。
「斉藤、ようこそ能生へ、だってさ」
「やったね。これも道の駅じゃないか。ここで休憩だな」
「マリンドリーム能生、デスか」
「ここは鮮魚センターも併設してるんだよ。特にカニが有名でね。ほら」
「歩く旅行ガイドだね、タカミーは。うわっ、すごい」
 広い敷地に『鮮魚センター』の看板があった。『かにや横町』の横断幕が掛かり、船の名前を書いたのぼりや、大漁旗がずらりと並んでいる。
「たくさんいるねー」
 広場には大勢の観光客がその場でカニを食べている。

写真提供:マリンドリーム能生

「いいなあ。俺、カニ好きなんだよ」
 斉藤が舌なめずりしている。
「あたしも大好き」
「でも僕ら、食べられないデス」
「それを言わないの、クリス。そういう旅なんだから。ところでうちの旗が見当たらないね。ここで休憩じゃないのかな」
 BABY‐Gに目をやった。昼食を取ってもよさそうな時間なのに、どこにも『レッツ・ウォーク』の旗は立っていない。
「まだ先なんだろうな」
 高見沢は冷静だ。
「じゃあ俺、ちょっとトイレ借りてく」
「斉藤、あたしは先に行ってる。食べられないカニなんて目の毒だから」
 斉藤はアッコたちに「そんじゃ」と手を振って、『カニかに館』と書かれた建物に向かった。
 
「さて、タカミー、クリス。もうひと踏ん張り、歩こう」
「了解」
「がってんデス」
 三人で漁港の風景を眺めながら歩いて行くと、左に街並みが始まる。
「その先を左折すると能生駅か。この辺、何もないな」
「あ、由里さんデス」
『能生』の交差点に由里が旗を持って立っている。アッコは気まずくて目を合わせられなかった。
 
「みんなお疲れ。この看板を見て」
 由里の隣に矢印付きの大きな看板が立っていて『三百メートル先にスーパーマーケット』と書かれている。
「このスーパー、駐車場があって大きいんだ。そこで休憩だから」
 道筋から外れた、こういう休憩場所のパターンもあるのか。
「由里、旗持ちが終わったのに、立ちんぼまでして大変だね」
 高見沢が由里に言った。
「国道沿いに休憩できそうな所がなくて」
「さっきの道の駅でも、よかったのではないデスか」
「あそこだと近くに駅がないの。ここなら能生駅まで歩いて四、五分だから、食当になる人には都合がいいと思う」
 なるほど、さすがは由里だ。ちゃんと食当のことまで考えてる。一昨日の食当を駅まで四キロも歩かせることになった自分が恥ずかしい。
 
 矢印の方向に歩くと、すぐにスーパーの白い建物が見えた。広い駐車場には石田が待ち構えるように立っていた。
 ああ、なんか言われそう。由里以外の一年とは、もやっとした中にうっすら気持ちが通じたけど、先輩たちとは昨日のままだ。
 
「差し入れ、差し入れ」
 後ろからスチロールの箱を掲げた斉藤が走ってきた。アッコたちを追い抜いて行く。
「ベニズワイガニの差し入れ、いただきましたあ」
「えっ、それはすごくない?」
 アッコは斉藤を追いかける。
「かにや横町のおばさんにもらったんです」
 斉藤は石田さんをつかまえて報告を始めた。
「本当か、斉藤」
「合宿のことを話したら感激されちゃったんすよ。えらいね、あんたって」
「おう、そうか」
「これから昼食だって言ったら、持ってきなさいって言われて。あっ、一応、断ったんですけど」
 
 差し入れは基本、お断りする。どうしても断れない場合は、休憩地点まで手を付けずに持って行き、みんなで分配するのがサマスペのルールだ。
「それじゃあしょうがないか。どれ、見せてみろ」
「使い捨ての保冷箱までくれたんですよ、親切なおばちゃんで」
 斉藤が『かにや横町』のシールが貼られた保冷箱を開ける。
「おっ、うまそう」
 石田が大声を上げた。
 箱の中には紅いカニが鎮座している。アッコは喉を鳴らした。
「なんか、後光が差してない?」
「アッコ、頭が高いぞ」と斉藤。
「へへえ」とアッコはカニ様に手を合わせた。
 
「カニだって」
「道の駅のだろ。でかした、斉藤」
 みんな寄ってきた。質素な食事の中、差し入れは無茶苦茶、うれしいのだ。
「それ、そのまま食えるのか」
 この昼食まで食当の大梅田が寄ってくる。
「もちろんです。ボイルして天然塩で味付けしてありますから」
 斉藤が胸を張った。
「よし、昼飯にいただこう。どうやって分けるかな」
 大梅田が箱の前にしゃがんだ。
「なんだこれ、空っぽだ」
 大梅田が両手に開いて持ったカニの甲羅には何も入っていない。
「カニ味噌がないじゃないか。あれが一番美味いんだぞ」
 石田がゆっくりと斉藤に向き直る。
「斉藤、お前、食べたな」
「えっ」
 斉藤がじりっと後ずさった。
「食べたろ、お前。抜け駆けしたんだな。神聖な差し入れに手を付けるとは、この野郎、許さんぞ」
「ぼ、僕は知りません。何かの間違いです」
 石田が斉藤に詰め寄ろうとするところに大梅田が声を上げた。
「あれ、カニって足は十本じゃなかったか。一本足りないぞ」
「えっ? そうなんすか。でももらった時からそうでしたよ」
 石田が箱の中を覗き込む。
「斉藤、新潟のカニは九本足か」
 石田に睨まれた斉藤は目を白黒させている。
「し、知りませんよ。僕は食べてませんってば」
 
「遅くなりましたあ」
 高見沢とクリスが到着した。最後尾だったらしい鳥山と旗を持った由里もその後ろに見える。
「アッコ、どうしたんだ」
「斉藤がカニを差し入れしてもらって」
「ああ、大騒ぎして追い抜いてったから知ってる」
「甲羅の中が空っぽで、足が一本無いんだって」
「ああ、なんだ」
 高見沢はカニの入った箱に近づいて見下ろした。
「石田さん、このカニは売れない残り物ですよ」
「なに?」
「そもそも甲羅はカニ味噌を取った後です。飾りに付けてくれたんでしょ」
「じゃあ足は?」
「足も全部取れてますよね」
 高見沢が足を1本、摘まんで見せた。
「漁の途中か茹でてる時に外れた足をサービス品にしてるんですよ」
「サービス品?」
「試食用ですよ。カニ味噌がついて足の揃ったカニは数千円で売れるんです。ただでくれるわけないですよ」
「む、そうなのか」
「はい。おばちゃんたちも商売ですからね」
「嘘じゃないだろうな、高見沢」
 高見沢はにっこりする。
「僕はかに祭りで有名な輪島の出身ですよ。間違いありません」
 斉藤が高見沢にひしと抱きついた。
「高見沢ああ」
「暑いって」

「おーい、カニ博士の高見沢」
 保冷箱の前にしゃがんでいた大梅田が呼んだ。
「確かカニの足って、中身を取るのが大変だよな。どうやってむけばいいんだ」
「簡単ですよ。付け根の途中で折れば、中身が抜けます」
「なるほど。じゃあ、このまま分ければいいな。高見沢は漁師の息子か」
 リンゴ農家の息子が同志を見つけたような顔をする。
「父は会社員ですけど、ばあちゃんの若い頃は魚を売って歩いてたそうです」
 大梅田が「なるほどな」と言って首をかしげた。
「足は九本か。俺たちは十一人だから、どう分けたら公平か、だな」
 
 水戸が手を上げた。
「幹事長、この後の食当には悪いけど、足は食当以外の九人で一本ずつってのはどうですか」
「そうだな。歩く連中に栄養を取らせたいからな。食当も了解するだろう」
 全員、うなずいた。
「じゃあ午後の旗持ち、伴走と食当を発表しておくか」
 誰かが唾を飲み込んだ。
「旗持ち、アッコ。伴走、大梅田」
 アッコの心臓がドンと鳴った。「はい」と手を上げる。
 きたよ。ついにきた。ゴリラとの一騎打ちだ。
「了解です」
 大梅田は平然と答える。
 
「それと食当は水戸、由里。以上だ」
「むむ」
 食当に指名された水戸が恨めしそうにカニを見た。自分の提案だから文句は言えない。由里が一瞬、口を尖らせたのをアッコは見逃さなかった。由里も食べたかったのだろう。
 クリスがカニの入った箱を持った。
「幹事長、身が多いところと少ないところがありマスけど、どうしマスか。じゃんけんデスか」
「じゃんけんはないだろう、クリス。こういうことは、きちんとしないと」
 幹事長がとんでもないという感じで答えた。
「すいません、安直デシた」
 幹事長は紙とペンを出した。
「あみだ、にしよう」
 
 駐車場は大騒ぎになった。幹事長が引い十一本の線を選ぶのに異常に盛り上がっている。線の下には二つのバツマーク。アッコと東条のことなど、完全に忘れ去られていた。
 アッコは斉藤に感謝しながら、右から二番目の線の上に自分の名前を書いて輪から抜けた。その斉藤が座ってリュックから、おにぎりを出している。
「斉藤、よかったね。差し入れを食べた疑いが晴れて」
「俺、昨日のアッコの気持ちがわかった気がするよ」
「でしょ。無実の罪を疑われるのは辛いんだよ」
 斉藤が「実はさ」と小声で言った。
「おばちゃんに、ほれ一本味見しろって言われてさ。それは店で食べちゃったんだよな」
「それは斉藤君。まずいんじゃないの」
「堅いこと言うなよ」
 斉藤がにやっと笑う。頭のてっぺんの汗が光った。
「おっ、アッコ。一番長い足が当たったぞ」
 鳥山の声だ。
「やった」
 アッコはクリスからはさみのついた立派な足を渡された。由里に半分あげたいが、話し掛けづらい。水戸が足をもらった大梅田をじっと見ている。
「水戸、半分食べるか」
「マジか、梅」
 これだ、このタイミングしかない。リュックからおにぎりを出している由里をちらりと見た。
 由里、半分食べる? 
 これでいこう。由里が「マジ? アッコ」と答えて仲直りだ。
 しかしアッコの足は動かない。
「ではでは、みなさん正座してくだサイ」
 クリスの声にみなが車座に座る。
 
「由里、俺の分、食べないか」
 由里の隣に座った高見沢がカニを差し出している。
「えっ、いいの」
「俺、カニは食べ飽きてるから。この間も実家から送ってきたんだ」
 ナイス、タカミー 。いや、ちっともナイスじゃない。アッコは溜め息をついた。
「姿勢を正して。いただきマス」
 微妙に語尾を上げたクリスの号令で、みながカニの足を口に放り込む。
「うまい」
「なんだ、これ」
 男どもの叫び声が響き渡る。鳥山が「最高だ」とジャンプしている。
「おいしい」
 由里が頬に手を当てる。
 白い実を舌に載せたアッコは絶句した。
「……海が見える」
 青い海の甘みと旨みが口に広がる。飲み込みたくない。

 よし。午後は勝負の旗持ちだ。新潟のカニも食べたことだし、いっちょ気合い入れますか。

写真提供:マリンドリーム能生

<続く>

※使用した写真は【道の駅マリンドリーム能生】さんのHP、フォトギャラリーから許可を得て使用しました。
 ちゃんとしたカニです(斉藤が差し入れしてもらったものではありません)

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この小説のプロットはこちらです(四日目のプロットは来週公開予定)。

キャラクター設定資料です。


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