見出し画像

ばあちゃん

思い出したことがある。
昔、書いた作文。

全部はもちろん覚えていないが、
ばあちゃんちに遊びに行った日の出来事を綴った
その作文の最後に書いた内容を
今でも覚えている。

「ばあちゃんは私が帰るときに
いつも外にでて見送ってくれます。
車に乗ってもずっと、
見えなくなるまで手をふってくれます。」

その作文に、私の担任の先生は、
「見えなくなるまで見送ってくれて、
おばあちゃんはあなたのことが
とっても大好きなのですね。」
と、コメントをくれた。

そうか、私のばあちゃんは
私のことが大好きだから
ずっと手をふってくれるのか。

幼いながら、それを理解し
愛情と幸福感をいっぱいに感じた。

ばあちゃんが私を
大事に思ってくれていることを
何度も心のなかで反芻して
自分自身の大切さを噛み締めた。

そのコメントを見た日から、
誰かとの別れ際はなるべく
見えなくなるまで見送りたいと思っている。

それは私にとっての愛情表現のひとつなのだ。

そんな優しい行為と愛情に気付かせてくれた
担任の先生にはとても感謝している。

そして何より、私が私を大事に思えるような、
そんな優しい気持ちをくれたばあちゃんに
心からありがとうと言いたい。

大人になってますます
人が健康に生きていること
それだけで素晴らしいということが
分かるようになった。

ばあちゃんはきっと
私が大好きだからとかだけじゃなく
帰り道気をつけてね、とか
また会える日まで元気でいてね、とか
毎日穏やかに幸せに過ごしてね、とか
きっと色々な願いを込めてくれていたのだろう。

今、私は大切な人たちに「またね」と
手を振るときそんなことを思う。

大切だから、
その姿が小さく、小さくなるまで
見送りたいと思う。

手を振るときだけでなく、
誰かが私を思って行動してくれたこと。
直接的な優しさはもちろん嬉しいけれど、
奥ゆかしいひっそりした優しさにも
なるべく気付ける人でありたいな。

久しぶりにばあちゃんに会えて
そんなことを思った。

また会える日まで元気でいてね。
毎日穏やかに幸せに過ごしてね。



この記事が参加している募集

おじいちゃんおばあちゃんへ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?