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「それってほんとかな?」-空気感を疑うことのメリット

魅力・才能発揮プロデュースが大好きー!
333プロデュースのみすずです。

今日書こうと思ったのは、いろんな人と話して改めて気づいた自分の思考のクセについて。

思い返せば、わたしは小さい時から
「なんで?」
「それ誰が決めたの?」
「いつからそうなったの?」という風に、ある出来事に対する人々のリアクションが同じだったりしたときに、「なんで?いつからそう反応するようになったんだろ」「それってほんとかな?」って無意識に疑問に思うくせがあったと思う。


日本では特に政治・宗教等の話はNG!と言われるように、円滑に話をするのであれば避けた方がいいトピックスがあると教えられて育つ。


その一つ、”宗教”に対する反応が小さい頃から不思議でしかたなかった。
何かの出来事を人は”宗教みたい”と表現して気持ち悪がったり、ラベルをはる行為をしているのをたまに見ることがあった。


これを軽い気持ちで読み始めたそこのアナタ。
実際、軽い気持ちで読み始めたのに、こんなワード出てきた時点でなんだかそわそわして、もう閉じようかなって思いませんでした?w
変な話にはなりませんので、よければこのまま読んでみてください。


幼かった私は、そんなリアクションに出くわした時、決まって不思議な気持ちになっていた。

「みんなの、この同じような反応、なんなんだろう?」
「よくわからないけど、それのどこがいけないんだろう?」
「同じような反応をすることそもそもがなんかちょっと不自然だな」
「これって日本だけなのかな」
「100年前からそうだったのかな?」

出るわでるわ、疑問の数々w


詳しくわからないはずのものを、みんなが判で押したように、「よくはわからないけどきもい」みたいなリアクションをすることの方が不自然できもいなと思っていた。

それを自分なりの理由や感覚で、選択できているのであれば、自然なことだし、好き好きは人次第だと思うからいいのだけど。
(だから、ここではそのトピックそのものを扱いたいのではなくて、それに対する一律的&自然発生的な周りのリアクションが不思議、というところが今回の焦点なのです)


理由もないのに、雰囲気でみんなが同じように、反応を無意識的に選択している。そんな様子が不思議だし、「変なの」って思っていたと思う。


だからいつも、何か答えのないものを自分で判断することが求められる時には
・今の日本の常識だけなのかな?
・100年前はどうだったのかな?
・地域が変わるとどうなのかな?
・それのどういう部分に反応してるのかな?

と、いくつか視点をずらして考えるようにしている。


私たち人間は、科学技術や物質的なところは時代によって変わってきてはいるけれど、人間そのもののつくりとしてはきっと古代から根本の機能は変わってないと思っている。

だから、自然と調和して生きていた昔の人が食べていたものは食べて大丈夫だし、ずっと食べられてなかったものには、その意味があるとも思っている。大事なこと、自然なことは、そんなにガラっと変わるものでもない。
少なくとも私はそう感じて生きている。


一つの観点として「それは”フラット”かどうか。」
この観点を、私は無意識に気にしてたんだなあと思う。


生きる時代が違えば。
生まれた場所が違えば。
使う言語が違えば。
人間関係が違えば。
教育が違えば。
自分の経験が違えば。
あの時の選択が違えば。


きっと、色んなものがかけ合わさって、その時々の”自分が当たり前だと思うこと”と、その集合体としての”常識”がつくられている。

要素をひもといていけば、とても色んな変動要素でうつりゆく、とてもとてもふわっとしたものだ。


それがどれくらい曖昧なものかを認識しているだけでも、自分の感覚をどれだけ優先すべきかというのが全然違って感じられるんだろうなと思う。


自分の感覚を採用するのか?
これまでなんとなくつみあげられてきたふわっとしたイメージを採用するのか?

どちらを選ぶにせよ、自分の選択は大切な自分の人生の一瞬を彩るものだから、意識的に選択できるといいよね。


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