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老婆の手と蛍三つ四つ

雨の匂いが
自分の体を包み込んでいる
蛙の鳴き声
田んぼに水が張られたらしい

夜の帳がゆったりと降り始めた

誰もいないと思っていた暗闇に
人の気配
目的は皆、同じだろうか
見えない目的地に歩みを進める


仕事を辞めて
環境が変わって
人間関係も変化した

いや
変化させたのは自分の意志だ
それでも
時々
行き先は見えなくなる

自分は何処に向かっているのだろう

蛙の鳴き声
さわさわと木々が揺れる
歩みを速める

あっと
後ろで母が声をあげた
慌てて
小さな手を握る
小石につまづいたらしい
自分の思考に囚われて
母の存在を忘れてしまっていた

間もなく

小川にかかる
小さな橋に出た

人々が集まり始めている

目の前の人の頭越しに
ひょいと覗き込んだ


はっと息をのむ

源氏蛍だ
虚空を思い思いの方向に
舞っている
先日の大雨で
蛍の多くが
流れてしまったと聞いていたが

それは
思いがけない乱舞だった

思い思いの行き先
今この瞬間だけのショータイム
儚さと妖艶さと
生きることへの執着

この気持ちはなんだろう


自分で决めた行き先だった
自分が求めた変化だった
今この瞬間にかけたはずだった
思うようにいかないことは
覚悟していたはずだった

暗闇の先に
きっと
見える景色がある
恐れてはいけない
そう蛍が語りかけてくる

光る光る光る
何処に向かっているのだろう
この気持ちはなんだろう
光る光る光る光る光る

光の輪

何処に向かっているのだろう
自分のいきたいところ
光る光る光る光の輪
あの輪の中へ
そして
私も光るのだ

雨の匂い
蛙の声

母が
お父さんみたい
そうつぶやく

生きていた頃の父の笑顔は
儚げで
優しく照らす蛍のようだった

お父さん

人々のざわめきが
私を現実に引き戻す

家に戻ろうか

母に声をかける

家に戻ろう
そこから
また出発すればいい
何処に行こうと
私には戻れる場所がある


老婆の手 握りてしんしん

 闇満ちて
    雨の匂いと 蛍三つ四つ




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