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【永遠の零】戦争を美化することはない!寧ろ、その逆!映画は社会の縮図!時代の価値観に抗い、卑怯者のそしりに耐えて、大切な人との約束を守る為、最後まで、必死に生きようとした男の生き様!死に行く命、生まれ変わる命。いのち!永遠に、繋ぐ!課せられたミッション、それのみ!

#映画感想文 #自己紹介文












ラスト、岡田准一さん;特攻隊長は、全スキルを駆使し、ゼロ戦を操り、砲撃を交わしながら敵艦に突っ込んで行く!

口元に、笑みも浮かべて!

それは、国家、社会、世間体、そして、家族、

すべてのしがらみから、解き放たれて、

自由な空に遊ぶ、

パイロットを夢見てた頃の少年の笑み!!だ。

コロナ、断絶、格差、と人生、何かとうるさくなって来ている!

そんな、萎えてる今、,岡田君演じる主人公のように!

【永遠の零」

衛星放送で、鑑賞しました。

特攻隊上官の立場でありながら、

そしられても、何とか生き延びてようした男の話。

必ず帰ると約束した妻の下に。然しながら、特攻は避けられなかった。。が。。

ある日、妻子の写真を携えた、若い帰還兵が、残された妻子を訪ねてきた。

主人公、岡田君は、身代わりになって助け、彼が託した部下の青年と、、一緒に、、、魂となって、、帰還して、妻との約束を果たしたのだ。

戦後、70年を経て、

現在の若者、三浦春馬は、おじいちゃんが、二人いることを知る。

岡田准一上官と、彼の意志を継ぎ、彼の妻と娘を託された部下。

二人の祖父。

孫の三浦春馬は、ルーツが知りたくて、岡田准一上官、つまりおじいちゃんと当時、係わりのあった人たちに、話を聞いて回る。

始めは、皆一様に、舌足らずだったが、、重い

口調

で語られる彼らの思いに触れていくうちに、三浦春馬の心境は変化していく。

当時、三浦春馬と同世代の方々。、

戦後70年、終戦記念日は、、毎年やって来る。けれど、、

、彼らの、心の中での、葛藤。戦争は。。。本当の意味での終戦は。。。、終わっていないことを知る。

沈黙の中、苦痛に耐えてきた、爺ちゃん、ばあちゃんたちの、戦争経験者の人生。

平和を当たり前に、享受してして育ち、現在を生きてる我々には、想像だにできない。人生。

私の、母方の祖父も、スマトラから帰還した。

子供だった私に、爺ちゃんは、何も語らなかったけど。

終戦記念日がくる夏を迎える度、どんな思いだったんだろう。いまになって、ようやく、思いやれることが、出来る、のに。

戦争を美化するつもりはないです

でも、当時の人たちも、当時の価値観で必死に生きていたんだと思います。

終戦記念日を、すべての国民がいろんな思いで迎えます。

靖国問題。毎年、メディアは取り上げます。

ある人は、国民戦没者墓地で、戦争でなくられたすべての方たちに、

手を合わせる方もおられる。

私も、都内に住んでいた頃は、靖国神社に参拝致しました。

ただ、心ならずも戦地で亡くなられた、方々。残された方々の魂を、悼む心。

それだけです。亡き爺ちゃんの思いを。繋ぐ。

そこに宗教的感情、政治的な感情はありません。

靖国神社で会おうと、言って亡くなられた多くの人は普通の青年。

学徒だけではなく、殆どが地方出身者、今で言うインテリはほんの一握りで。

殆ど、さほど戦争の対する深い見識はなかった。殆どが、何かしら特別じゃない夢をを持った若者たち。

中には、崇高な精神や、新しい知見を持った方たちもいたでしょう。

だけど、今も昔も、若者は、若者。

殆どが、未熟で、今の子と同じ、まだ、こども。

僕たちが、若かりし頃、何も考えず、友達とバカやってたのと、おんなじ。未熟で、無知で、夢しかない、頭の名は、女の子でいっぱい。

それが普通。それは、学生でも、農家の青年でも同じ.。やりたいし、やっぱり、思うのは、故郷にいる、親兄弟、家族、大切な人たち。

本当は、会いたいに決まってる

。遺書,検閲を受けた、に書かれてることが、

全くの本心。いや。そんな、老成した若者など、今も昔も稀有だ!

そんな子供を、お上の命令に、唯々諾従い,,へつらう上官様、が殴る。

そんな彼らが、短い間でも、同じ釜の飯を食べ,苦楽を共にした同期の友達に対して、

強い仲間意識を持ちたいと思う気持ちは、至極当然のこと。

親、家族、大切な人に会うことも許されず、殴られ、死ぬことを義務ずけられた、年端もいかぬ若者たちに取って、

同世代の仲間意識のみが,唯一、瓦解しそなうな心身を支えてる、拠り所だったんだ。

ハードな軍隊生活の中にも、彼らには、彼らの青春があったんだ。」

仲間たちとの語らい、酒を酌み交わし、騒いで喧嘩して笑う。

彼らの死を、簡単に、犬死と呼んでカタズけてしまうのは、あまりにも忍びない。

彼らは、美化される英雄ではないし、どこにもいる普通の青年!

いつの世でも若者は、若者。

そして子供は、子供だし。

親御さんは、いくつになっても、親御さん。

尽きせぬ不自由の中の自由。

その、つかの間、

彼らは、靖国で笑って会おう!と言って死んでいったらしい。

残された若者たちや、その意志を継いだ方々が、

今の日本の安定と繁栄を必死になって築いてくれた事実。

なんやかんや言って安全で、平和で、物質的にも、精神的にもまだ、他と比べたら、、

豊かな国。日本で暮らしてる。

今に、感謝を込めて、ただ、戦没者に手を合わせます。

そして、悼む気持ち。です。

それは、靖国でも、千鳥ヶ淵戦没者墓地でも、どこでも。

政治家の方、総理始め、閣僚の方々

悼む気持ちをお持ちなら、こっそり一人で私服で、手を合わされれば。と思います。

靖国神社。文字通り、神社です。

戦死者が英霊として、祭られています。

日本人は、死んだ者を、敬い恐れる、畏怖の念を持っており、祭る文化があります。

そのことで、いろんな祖語をきたしてる現実があります。

でも、ほとんどの国民が、特に戦争経験者は、、

彼らを英霊と思っているでしょうか。

特に、子をなくした親御さんにとって、息子さんは息子さんだ。英霊なんかじゃない。

英霊と祭りあげられても、そこには骨はないんだ。

靖国で会おうと笑って、逝った。帰りたくても帰って来れなかった、仲間たちや、ご家族のお気持ちを、

お察しして、わたしは手を合わせる。それしかできません。

戦争を口にすると、揶揄する方もおられる。

けど。それは、創造力の欠如。意志疎通しようという気持ちの欠如の表れであると思います。

男とか女,、非モテとモテ、邪魔叔父,,草食系男子とか、

メディアから一方的に与えられた情報を、鵜吞みにして一喜一憂するだけの、国民性!

そのメンタリティーは非常に危険なことだと。

そこで思考停止せず、

一歩、踏み込んで、本質を見極めようとしないと、また、やられてしまうかと。

特攻の思想を肯定していません。

いつの時代も、時代の価値観に翻弄されるのが人間。

それを描くのが、映画、小説など、芸術の意味。

時空を超えて、一人の人間の気持ちが、

世界レベルで共有できること、

アーカイブすること、それが芸術家,クリエーターの意味。

義を見てせざるは勇亡きなり。黒沢、七人の侍の一節!

思い込みかもしれない。けど、思い込みの義務感を信じて。独りきりでも。誰かに届くこと信じて。それが、モチベーション!

そのためには、まず知ることから!

少なくとも、私が知りえる情報から、一つ言えることは、

彼らは、卑怯者ではない!

あの時代、今の時代と違い,私を殺してでも、公を守ることこそが、常識の時代。

そういう軍国教育を受けていたし、東京をはじめ、各地方都市を無差攻撃し原爆を落とし、女子供を国際法無視して焼き殺す列強国、アメリカ。同胞を殺され、中には家族を殺され人もいた筈。

彼らの中には当然、敵を取ってやる!という気持ちもあったろうし。国を守る!という自負も持っていたろう。

だけど、ほとんどの国民にとって、戦争なんて少し前まで他人事。

そんなこととは関係なく、それぞれの生活が一番の関心事項だし。

殆どの人が、なんで戦争が起きたかも、国際情勢にも詳しいわけではなく、強烈に熱心というでもなく、ラジオ放送からのフェイク情報に一喜一憂する、それくらいの感じで、そのうち勝って終わると思って、生活してたいんだろう。

今ほど、情報のソースはなく、検閲されて、書籍もなく、

大卒のインテリも、ごく僅か少数だった時代。

B29によって、爆撃受けるまでは、他人事。。本土空爆は、寝耳に水、のことだったでしょう。

日米決戦も、当初は、

戦国時代の庶民の感覚でいたと。

特に地方の、勤労青年、少年にとって。

でも、彼らは、決して馬鹿ではないし、

少なくとも、人や社会のせいにして、逃げる卑怯者ではない。

仲間意識を持って、与えられた時間、空間の中。

最後まで生きた。誇るべき、今と変わらぬ、普通の日本の若者たち。

ヤンキーもいただろうし、陰キャらな子、秀才君、いろいろで、

今の子と変わらず、政治とか、ほとんど無縁で、

田舎にいる女の子を思いながら悶々とする、普通の若者たち。

彼らは、最後にお母さんと叫んで、死んでいった。というが。ホントだろう。

彼らの意識に,もちろん、国という意識,郷土というものは、あったと思う。

だけど、一部のエリートを除き、

上官の命令を遂行するタダノ、捨て駒と自分のことを思って死んでいく奴、生きたい奴などいない!

彼らは、自分に誇りをもって。仲間たちに仲間意識を強く感じながら.

若くして死ぬことへの、恐怖、葛藤、無念、怒りを押し殺し,

強い故郷に思いを寄せて、

最後は母の顔を思い浮かべて、死んでいった。海の藻屑にとなった。

そんな彼らは、老成していないし。未熟者。

残された人たちの気持ちは、計り知れない。

それを犬死に、と、簡単に言ってしまったら、あまりにも死んでいったもの、ご家族がうかばれない。

彼らは、不自由の中で、自分の意地を貫いた、英霊なんかじゃない、普通の日本の若者、子供たち。

あなたの気高い勇気を褒め称え、、抱きしめたい。

そんな親御さんの気持ち。涙を禁じ得ない。

その後、彼らの意志が継がれ、、奇跡的の復興を遂げて、経済大国、日本が築かれることとなるが、

その繁栄にのうのうと胡坐をかいて、

その恩恵を享受しておきながら、

何も知ろうとしないで、そういう人たちに追い打ちをかける様な、配慮に欠ける言葉!

ふざけるな。



傍観者で、何も知ろうとしない人たち。

勝手なことを、書いたり、言わないでほしい。

この言葉は、故人横田さんのご子息の言葉。


卑怯者たちの論理がまかり通る時代。

唯々諾々と。


甲本ヒロトさん、の歌じゃないが、


大人たちに褒めらるような馬鹿にはなりたくない!

唯々諾々。それが常識。それが大人だというのならば


いっそ、馬鹿なガキのままで。死んでいきたい!


とさえ感じてる。




今も、昔も。皆さん、私たち、普通の人たち。

ご家族、関係者にとっては、大切なお坊ちゃん、お嬢さんであり、父母、爺ちゃんと、ばあちゃん、だった筈!

戦争の総括せず、一億懺悔て?て。、、、言われても今も同じ論理じゃん!て。

責任の所在?僕らにもとめられても。。。レフリー、それって、反則じゃん!

責任転嫁を求めるわけではなく、責任追及より、その先、これから、どうするかを、為政者には。

なあなあ文化にも、良い側面はあることは、否めませんが、

全て国民、わたしを含めて、責任回避の為に、不作為は論外として。


被害者ヅラして、もう逃げるのは、もうこの辺で、おしまいに、したいです!


まあ、今、

取り敢えず、日本は手暑くていい国。

僕ら個人にとっては、、これからは、国家ベースより

個人を国家と切り離して考え、今、この瞬間、ここでで、出来ることに。感謝して!ぶちゃけ!やっぱり、


今、でしょ!


岡田君の意識は体当たりした、一瞬で尽きるとも、

彼ら先人の思いは、いのちとして永遠に繫がっていく!繋いでゆくもの!


我々、現在を生きてるものたちの努め、、


それは死んだものの、メッセージを受け取ること!

そうしようと努力すること!


その為には、、自分の胸の奥から溢れくる、

直観、心の声に忠実に、自分を信じて自分を愛して、


そして、目の前にある好きなことを、、、、、


ご自由に、どうぞ!



やがて、僕らも同じ場所に行くんだから、、


それまでの間は、、、


まず自分の為に!

無理して貢献する必要はない!



死んでいくもの、生まれ変わるものたちがいる。

だからこそ、世界、人類は栄えてきた、



そして、これから先も。。。。

ずっと。。。


無意味に思える時代,人生!!


だからこそ、必要な、クリエイティビティ


肝要!


間違いない!



高杉晋作じゃないけど、



面白き、ことなきこの世をおもしろく!



Crazyな龍の人生を、


遊び尽くしてやる!そんな気概で!

じゃなきゃ、損だもん!


意味ない抽象的なこと考えてる時間を変換して!


楽しんじゃったもん勝ち!



すべては、自分次第!


そろそろ.気づき始めました。



我、思うゆえ、に我あり!



ひとの言葉。そんなの関係ねー!


永遠の零、賛否両論! どうでも良い!




先人たちのメッセージを受け取った劇中の、三浦春馬さん、のように!


他人の軸で生きず、自分の軸で。い・きる





ここは、法治国家。

自由主義圏の、民主的のな国。

その一員なのだから。


アテネ,ローマの滅亡、二の舞を踏まぬよう。

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映画感想文

はじめまして ナニモノでも人になりたい! 五カ年計画中 ナニモノでもない 自称、自由遊民クリエイター 永井荷風がんもどき 私、Crazy龍と申します! サポート!よろしくお願い致します! 新しくて珍しい面白いことを、 ご一緒に構築出来ましたら幸いです!